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夜間中学その日その日 (627)

  • アリ通信編集委員会
  • 2019年7月12日
  • 読了時間: 4分

関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い(4)

 呼びかけ人はボランティアで参加した神戸学院大学の大学生のインタビューに応じた後、リレートークに入った。関西夜間中学運動50年にちなんで夜間中学生50人のリレートークとして積極的にスピーチをするよう呼びかけ人は各夜間中学を訪問し、要請していた。卒業生、在校生20名がマイクを握った。

「15歳の時大阪に来た。友達に教えてもらって、75歳で夜間中学に入学した。それまで夜間中学があることを知らなかった。夜間中学を創ってくれた人に感謝している。この夜間中学がいつまでも続いていくように」

「入学して第2の人生が始まった。今年で9年目だ。いよいよ卒業だ。大変お世話になった。入学したときは日本語がわからなかった。夜間中学の先生は私たちに学ぶ方法を考えてくれ、孫と日本語で話すことができるようになった。ここまで夜間中学が続き、守っていってくれた人たちに感謝します」

「日本で生まれた在日朝鮮人だ。一度済州島に戻ったとき、4・3事件に出会った。済州島から日本に戻ってきたとき、大村収容所に入れられた。76歳の時妹に連れられ夜間中学に入学した。入学して大きな影響を受けたのは今年卒業した金夏子先輩だ。私たちには優しいが、おかしいことは教育委員会の人にもはっきり言っていた。次は私たちが頑張る。私たちの学校は私たちが守る」

「65歳で夜間中学に入学した。先輩が頑張ってくれたおかげで50年を迎えることができた。生徒会で力を合わせて、60年そして100年と夜間中学が続いていくよう頑張っていく」

「4人の話を聞いて感じたことを話す。4人は闘った同士だ。戦士だ。私も加えてほしいと思った。学校で話し合った時、中国からの帰国者の夜間中学生が『学ぶことは 生きること』といった。生きるため、いのちをかけて夜間中学に来ている。そしてやっと孫と日本語で話せるようになったといっていた。私は高校へ行くため、夜間中学に入ったがこの人たちと比べ、甘い気持であったことに気づかされた。一緒にとりくんでいきたいと思うようになった」

「中学2年生のとき、いじめでひきこもりとなった。先生や親に相談したが、私の話を聞いてもらえなかった。35歳まで働いてきたが、勉強もしていないし、将来を考えた時不安になった。2年前、長栄夜間中学に出会って、いろんな人と話ができて、心がすっきりして人生が明るくなった。移った意岐部夜間中学で頑張っていく」

「あがってしまって、足がガタガタする(みよちゃん頑張れの声)。行き当たりばったりになるが‥姉が誘ってくれて茨城県から奈良県にやってきた。体が疲れていても夜間中学に来るといっぺんに元気になる。特別なことがない限り休まない。友達ができた。電車に乗って、一人でどこにでもいけるようになった」

「待ってくれる人がいる。心を溶け込ます仲間がいる、これが夜間中学」「早く高校に行こうと思って夜間中学に入学したが、連合生徒会の府教委との話し合いに参加し、先輩の訴えがあって、いま自分が学べていることが分かった。夜間中学に来るまでは先公は嫌いやった。親身になって相談を聞いてくれている先生を見て考えが変わってきた。困難な人生を歩んできた人たちだからこそ、苦労が分かり合える。こんな夜間中学は守らなあかんと強く思うようになってきた」

「中国帰国者の2世です。夜間中学で学べたこと、私にとって一生の宝物です。いま帰国者の介護、訪問介護の仕事をしています。夜間中学で学ぶことができること、外国人にとってどんなに助かることか。この夜間中学を創る運動をした髙野さんに心から感謝します。髙野さん、先生、生徒たちありがとう」

 6月2日、50年記念の集いを行った天王寺夜間中学同窓会から10人がトークに参加した。

「同窓会は学校との話し合いを頑張ってきたが、50年の記念集会を学校の先生と同窓会と考えが違い、一緒にできなかった」「皆さんの協力をいただいて50年の記念集会を持つことができた」「夜間中学の灯をともした大先輩・髙野雅夫さんに感謝します」「家から1歩も出してもらえなかったが、それをふりのけ、外に出て、夜間中学に入学した。『しょうがい者にも生きる権利がある』という事を夜間中学で学んだ。そして〝人間の誇り〟を取り戻した」「韓国からお越しいただいた萬稀が会場にいらっしゃる。萬稀さん一言お願いします」

 呼びかけに応えて、次のように語った。

「髙野さんは今日、舞台に上がらないと聞いていたが、24人の髙野雅夫が舞台の上にいる。生きることは苦しいこと、学ぶことは喜びであり、このような学びができる夜間中学は絶対守っていかなければなりません。私も韓国で髙野雅夫さんに出会い、学んだことを生かしながら韓国からカンボジアで文解(識字)活動を行っています。カンボジアで髙野雅夫を見つけました。夜間中学でその精神を生かして今後の、10年20年そして50年を目指して頑張っていきましょう」

 50年は多くの夜間中学生がなくなった50年でもある。小林晃、八木秀夫、神部博之、飯野正春、一森悦子、倉橋健三、寿烈子、康友子…多くの夜間中学生がとりくみの中で仲間を勇気づけ、難局を切り拓いてきた近畿夜間中学校生徒会活動のあゆみの50年である。夜間中学の先輩たちは舞台からどんなコトバを語りかけただろうか。(おわり)

 
 
 
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