夜間中学その日その日 (631)
- 白井 善吾
- 2019年8月10日
- 読了時間: 3分
「産経新聞連載 「夜間中学はいま」
夜間中学校を増やそう、充実しよう!シンポジウム」の会場(2019.08.02大阪市城東区民ホール)で、産経新聞が連載した「夜間中学生はいま」の収録写真のパネル展示が行われていた。
2018年12月から始まった取材で10回の連載とアルバム編、反響編あわせて12回にもなる。紙面の半分を使い、漢字にルビをうった特徴ある紙面で、夜間中学のいまを発信していただいた。収録された写真が語る、訴える力もいかんなく発揮されている。
連載1回目の「勉強だけじゃない 生きることを学んだ」(2019.03.16)の写真にはびっくりした。椅子に座る夜間中学生が机の前にしゃがみこんで、説明する教員を凝視する夜間中学生の視線。説明を受け納得できた笑みがこぼれる瞬間をとらえている。教員と学習者の目線がこのようにとらえられていることに私は感動した。二人の後ろには、ひとり課題に取り組む夜間中学生が写っている。夜間中学の〝まなび〟を映し出していると考える。
不登校だった32歳の女性、中国引き揚げの72歳女性、フィリピン人の41歳女性、家庭の事情で小学校を卒業できなかった23歳の女性、全く学校に通えなかった77歳の女性、知的障害がある47歳男性、日本語が全く分からなかった22歳のネパール人女性、人工透析を受ける34歳男性、貧困で通学できなくなった80歳の在日朝鮮人女性、いじめでひきこもりになった45歳女性と圧倒的に女性だ。
50年前、夜間中学が本当にできるか否かわからないときに、名乗り出た〝8人の生き証人〟が大阪の夜間中学開校の門を押し開けたように、登場いただいた、10人の夜間中学生は〝いまの生き証人〟ではないだろうか。
当初、取材が入ることに否定的な教員や学校が多かったと聞く。粘り強く、夜間中学生の24時間に迫り、人間関係を創っていかれた取材班の記者の皆さんにそして、それに応えた10人の夜間中学生や夜間中学に敬意を表したい。
産経新聞は「『こやしの思想』を語る 髙野雅夫との対話」の50回に及ぶ記事(2002.04.04~2003.03.27)を企画いただいた。掲載日は毎週木曜日の夕刊であった。いろんな教科で記事を教材化し授業を展開した。夜間中学の歴史や、髙野雅夫さんの主張について理解が深まったことを覚えている。何よりも夜間中学生が元気になれたことだ。
奪い返した文字と言葉で、社会を変える。このことを追求した記事もある。「学ぶことは生き延びること」「再び動き出した人生 同じ境遇の人の力に」「ネパールの女子教育に光を」「『故郷の村に学校を』学び喜び伝えたい」と見出しが続く。

記事は続いて「故郷の村の子ども女の子たちは今もほとんど学校に行っていないという。夢は、村に女子のための学校を建て、そこで先生になること。日本の教育手法の良いところや学校行事も取り入れたい。『勉強すれば世界を知りことができ、自分の力で行動ができることを伝えたい』」と報じている。
夜間中学にであわなければ、考えることができただろうか。夜間中学で学ぶ仲間の生き方、夜間中学の教室が醸しだす〝場の力〟が大きく作用したと考える。
「一県に最低一校の夜間中学を」と施策を進めている行政担当者の頭の中は「学齢時に義務教育を受けることができなかった、気の毒な人たちのために・・・」との考え方が強いのではないだろうか?この見方は早急に払拭すべきだと考える。逆に「夜間中学生に学ぶ」という考えに立つべきだと考える。「社会の矛盾を一身に受け、学ぶことができなかった人たちが、夜間中学で発するコトバ、姿に教員をはじめ教育関係者は耳を傾け、学ぶべきではないかと考える。あるべき「教育」の姿を提示していただいているのだ。別のいい方をすれば、〝夜間中学は教師の道場〟だということだ。
あるべき「教育」の姿を夜間中学で問い、そしてもう一度昼の学校で、子どもたちと向き合う。そんなとりくみができる場が夜間中学である。