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夜間中学その日その日 (651)

  • 夜間中学生歴史砦編集委員会
  • 2019年11月23日
  • 読了時間: 7分

 大阪人権博物館第72回特別展映像記録 ④

「夜間中学生歴史砦・夜間中学卒業者の会」の設立準備の一環としてインタビューを収めた映像記録のシナリオを作成した。(第4回)

芦田君親子

ナレーター:「この写真は大阪駅前、梅田の歩道橋ですね」

髙野:「そうです。芦田正明君、これ、4回目の出会いのときです。ビラをもっていって姉ちゃんに見せて相談したら、『夜間中学なんてできるはずがない。だまされてはダメだ』と。4月開校が大阪市の教育長が自殺した、一大教育汚職があった。新聞で4月5日天王寺でと開校すると記事が出ていたんだけど、開校されず、不安になって、彼が来て、『本当に夜間中学ができるんですか?』心配になって歩道橋にやってきた。今の職場は天王寺から遠くて通いきれないから、夜間中学ができるんだったら、職場を変えたい、やめさせてくださいとお母さんと、職場へ、挨拶に行く前に彼が来た。その時の出会い、4回目の出会いです」

消える夜間中学

ナレーター:「名古屋の夜間中学のことですね、名古屋へも行かれたんですか?」

髙野:「大阪市に夜間中学をつくれと言っているときに、名古屋の天神山中学と東港中学、二校が廃止になるというんで、生徒がゼロになるというのが理由なんです。情宣活動も一切していないのに、絶対いるから、形だけでも残しておいてと(名古屋の)市教委に言ったんだ。最終に間に合わず、帰れなくてベンチで‥。全国行脚で一番悔しかったのは、お金がないとかではなく、体が一つしかない、一日24時間しかない。最低、体が3つあれば、一人大阪、一人京都、一人名古屋へ行って。一日50時間あれば、もっと市役所とかいろいろまわれる。その悔しさは今でも忘れられない」

学ぶ喜びの89人

ナレーター:「教育汚職で開校が遅れた天王寺夜間中学は1969.6.5開校を迎えました。その時、髙野さんはどんな気持ちでしたか?」

髙野:「大阪は同和教育、民族教育、人権教育をやっているから、そんな人は一人もいませんと大阪市教委や府教委にさんざん言われて。どんな仲間が来るのだろうと玄関でドキドキしながら待ってた。ぞくぞく、光り輝く姿で、みんなやってきた。〝ざまーみやがれ〟一人もいないといっていたのに、こんなにいっぱいいるではないかと思ったと同時に、この夜間中学が10年早くできていたら、89人の仲間はもっと豊かな青春を送ることができたはずだと悔しくて、悔しくてたまりませんでした。特に、奥村さんという方が、名古屋で、こんな小ちゃな(5cmぐらい)天王寺開校を知らせる記事が出たんだって、それを見て、新幹線に飛び乗って、名古屋からわざわざたずねたずねてやってきた。玄関でウロウロしている女性がいたんで、何かあったんですかと言ったら、受付に行ったら、入学を断られたと、いやすぐ入学ですからと言ったら、神部博之も飛んできて『入学、入学』といって、いろんな出来事があった。それともう一つ、荒川九中で行方不明になった子がいきなり、入学してきたんですよ。これもまたびっくりした。だからビラ300万枚撒いたら、絶対に仲間がいるはずだと信じて撒き続けた。やはり、〝ラブレター〟が届いたという感動と悔しさでいっぱいでした」

ナレーター:「入学式が始まるとき、会場でどんな出来事がありましたか」

髙野:「前列で(今でもそうだと思うんだけど)写されたら困るという人が騒ぎ出した。そしたら、わが恩師、塚原先生が東京から来ていて、『チョット待て、その気持ちはわかるけど、君たちの先輩たちが自分の名前と顔をさらしてこの夜間中学はできた。ムリなのは構わないから、顔を出してもよいという人がいたら、前に出てきてチャント座ってほしい』と塚原先生が言った。そしたら、ゾロゾロと前に来て座った。それまでの夜間中学は、校区内の校長先生が先頭に立って、長欠児対策として夜間中学がスタートしている。日本で生徒自身が生き証人である彼らが創りだしたというか、切り拓いた歴史なんです」

神部博之挨拶

ナレーター:「俺たちが勝ちとった夜間中学だ・・・」

髙野雅夫挨拶 荒川9中の寄書きと左下の髙野さんの文字をアップ

ナレーター:「東京・荒川九中から天王寺の仲間にとして送られた寄書きに、髙野さんは、『ぼくらにとってコトバや文字は知識じゃない、生きるための闘うための武器なのだ!!武器にしない限り、戦争も差別も貧困も永久になくならない。1969.6.30』と書いている」

天王寺夜間中学新入生の寄書き 入学生89人の寄書き、

生まれて初めて

ナレーター:「入学生の学びが始まる。入学感想文『生まれて初めて』そこには『学校の机に座った/差別のない社会を知った/名前を書いた/地図をかいた』と書いている」

1期生写真

ナレーター:「大阪の夜間中学は俺たちに任せろ天王寺夜間中学1期生」

スタジオ写真

ナレーター:「入学から39日後7人の夜間中学生はNHKの大阪放送局のスタジオのテレビカメラの前に立っていた。朝の人気番組『こんにちはおくさん』が『私たちは夜間中学生』を放送した『海にはまる』『てのひらに文字を書いて握って家に帰る』などどの夜間中学生も感動的な話をした。予定時間が大幅に伸び、花菱アチャコさんの『お風呂と私』の放送時間が大幅に少なくなった。マイク運びの上手な鈴木健二アナウンサーも夜間中学生にはかなわなかった。突然予期せぬ事が起こった。鈴木アナがマイクを動かそうとした瞬間、そのマイクを止めさせた。韓国済州島から15才で来日した高オモニが『私いいたいことがあります』と叫んだ。『私は数字の1・2・3』も日本語で言えないだ。だから国のお母さんに電話もかけられない。お母さん、私は今天王寺の夜間中学で勉強しています。安心してください必ず電話をします。手紙を書きます」と叫んだ。この突然の出来事は9月の新入生が大幅に増加をする事につながった。『日本人でなくても在日朝鮮人の大人でも通えるんだ』として受け止められた」

若草山集合写真

ナレーター:「翌年、1970年、2校目の夜間中学が菅南夜間中学が開校」

「夜間中学育てる会」設立準備会写真、設立趣意書、結成総会案内状 募集ポスター 募集ビラ

ナレーター:「私たちは天王寺夜間中学で学ぶことができた。卒業後も夜間中学をふやしていく運動を続けていきたいそんな活動ができる組織『夜間中学を育てる会』をつくろうと倉橋健三は訴えた」

第18回夜間中学校研究大会資料集

ナレーター:「18回全国夜間中学校研究大会が大阪で開催された。この大会は夜間中学の歴史に残る、夜間中学生が主人公となった革命的な大会であった」

讀賣新聞 (1971.11.27)

ナレーター:「形式卒業者も夜間中学に正式に入学できるようすることを訴えた」

須堯信行作文「怒り」

ナレーター:「『たった1枚の紙切れが夜間中学入学を邪魔した』と訴えた」

天王寺講堂壇上

ナレーター:「2年越しの訴えを東京の夜間中学生、古部さんも展開、参加していた、文部省に回答を求めた。長いやりとりの末、中島課長補佐は入学を認めるとの回答をおこなった」

17回大会の古部さん

ナレーター:「古部さんは17回大会でも訴えをおこなっていた」

日教組教研でも

ナレーター:「1971年1月日教組全国教研でも訴え」

ビラ

ナレーター:「ロウ原紙に鉄筆で書き、謄写版で刷ったビラを配った」

チャリップ

ナレーター:「全国夜間中学校研究会は18回大会の記録誌は発行していない。全体会の克明な記録が収録されているのは髙野さんが出版した『チャリップ』だけである」

44年後の通知

ナレーター:「文科省の回答にもかかわらず、形式卒業者の入学は徐々に入学できなくなっていき、入学できなくなった。文科省が形式卒業者の入学を認めるよう通達を出したのは44年後の2015年7月だ。この間、入学できなかった人は膨大な人数に上るはずだ。通達には一言も触れていない。50年を振り返って、髙野さん話してください」

髙野:「一つの歴史の大きな原点だと思うんです。つまり、形式中卒の本人たちが、17、18回全夜中研大会と告発したのは特に北海道の古部美江子と筑豊の須尭が発言したというのは、全国に切り捨てられた仲間たちが何十万、何百万いるということなんです。それを中島課長補佐が入学を認めたということなんだが、実際は解決することなく、全部(入学を)断っている。全夜中もそういう総括は一切していない。それが一番大事なことである。だから、18回大会の記録誌すら出していない。

 三つのことでまとめて答えたい。

死ぬまでに一度でいいから夜間中学で勉強したいと言って死んでいったオモニたち。それと、

紙切れ一枚をもらったが為に夜間中学からでさえ、断られて、このまま死んでいきますと留守番電話に入れていた。もう一つは、

近くに夜間中学はありません。だから私は無学のまま、このまま、毎晩、布団の中で泣いています。

これが50年後の俺たちが文科省に対する唯一の答えです」

 
 
 
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