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夜間中学その日その日 (667)

  • 夜間中学資料情報室 白井善吾
  • 2020年2月26日
  • 読了時間: 4分

夜間中学が今 存在する意義 ②

 戦後の夜間中学は誕生から行政管理庁が夜間中学早期廃止勧告を出した1966年11月までを第1期とするなら、第2期は2016年12月の「教育機会確保法」公布まで。第3期は公布以降となる。昼間登校できない学齢者が夜間に学ぶ場として発足した1期から2期の約70年間、国や文部(文科)省は夜間中学を学校教育法にはないとして一貫して「見て見ぬふり」の姿勢を取り続けてきた。

 2期に入った1969年、夜間中学生や市民の夜間中学開設運動により開校した大阪市立天王寺夜間中学。入学した90人の内訳をみると、

・出身地別、大阪市内40、大阪府内8、21の都県から35、韓国から5人。

・年齢別では20~30歳代各29人、10代13人、40代11人、50代7人そして60代1人。いまと比較すると圧倒的に若い年齢層だ。15~16歳の入学者は4人。

・国籍別でみると朝鮮半島から引き揚げてきた人も含め韓国朝鮮5人、残り85人は日本。NHKの「こんにちは奥さん」(1969.07.14放送)に出演したひとりの在日朝鮮人の主張が契機となり、「あっ、学校に行けなかった、私たちも夜間中学で勉強できるんや」と多数の在日朝鮮人の入学が相次ぐこととなった。

学齢を超えた人たちが学ぶ学校として、中国からに引揚げ帰国者、日本人との結婚で新しく日本に住むようになった人たち、そして不登校や登校拒否、障害により就学猶予免除の扱いを受けた人たちなど、夜間中学にたどり着いた人たちは、時代とともに変化してきた。

 3期、国や文科省は「教育機会確保法」を議員立法で立法化し、「一県最低一校」の夜間中学開設をさらには政令指定都市にもの方針を明らかにした。それに伴う国の財政措置は不十分のまま、地方行政に設置の義務を課した状態と言わざるを得ない。そしてこの期は新しく日本に住むようになった人たちの割合が、天王寺夜間中学開校時とは正反対の割合に変化している。

 先日、法ができて夜間中学現場がどのようになっているのかを研究者と共に訪れる機会があった。授業や夜間中学生一人ひとりの24時間を視て、考えることが重要だと痛感した。1967年、髙野雅夫さんを中心に東京・荒川夜間中学の夜間中学生、教員が制作した証言映画『夜間中学生』で夜間中学生の24時間を追跡、その姿を通して、廃止勧告がいかに不当なものかを映し出し、告発したように、夜間中学生の今の現状を見ることの大切さを痛感した。

 その時、大変参考になると再認識したことがある。産経新聞の夜間中学校取材班が1年半に及ぶ取材を行い、「夜間中学はいま」の25回の連載記事だ。連載はさらに続くとお聞きしている。

 全国14校の公立、自主の夜間中学を取り上げ、夜間中学生25名、教員5名、関係者3名が登場する。夜間中学生の内訳は日本9、在日朝鮮6、フィリピン3、中国・パキスタン各2、ネパール、シリア、アフガニスタン各1名。

 登場する何名かを紹介する。子どもの児童婚に反対する父と来日したネパール人(女性22歳)は夜間中学で学び、現在高校生だ。彼女は「勉強すれば世界を知ることができ、自分の力で行動できることを伝えたい」と語り「(ネパールの)村に女子のための学校を建て、そこの先生になる」と語っている。

 児童養護施設を経て形式卒業となり、公民館の読み書き教室で学び、45歳で夜間中学に入学した夜間中学生は、「夜間中学はただ勉強するところではなく、自分を見つめ直し成長させてくれる場」で「独自の空間」だと語っている。

 2017年来日したパキスタン人兄弟は父の住む福井県から夜間中学で学ぶため、大阪に引っ越してきた。パキスタンでは、ほとんど学校に通えず、国際テロ組織アルカイダなどの影響で治安が悪く、通学中に子どもが誘拐されることもあるうえ、教師の暴力も怖かった。夜間中学の学習環境のなかで学んで、「日本語だけを勉強すると思っていましたが、いろんなことを勉強できて楽しい・・」と自身の変化を語り始めている。

 産経新聞の連載記事に背中を押され入学した84歳の日本人男性は「ここに来て、いろんなことを知り、いろんな体験をしました。入って日の浅い私が夜間中学についてどうだこうだと言えませんが、以前は家でお酒を飲んでいた時間に勉強していることは確かです。こんないい環境で学べて、ちゃんとしないと、と思います」と話している。

 夜間中学現場を取材した記者は「学ぶとは何か」として次のように書いている。「単に読み書きができるようになることではない。世界が広がる。未来への一歩を踏みだすこと。つまり『学ぶことは生きること』夜間中学生たちがそう教えてくれている」。

 夜間中学は新しく日本に住むようになった人たちの日本語学校に変質してしまうと語る人がいるが、細かく視ているとそうではない。第2期の夜間中学にあったように、夜間中学の持っている場のちからで仲間の生き様を視て、社会を批判的に視て考え、世界を考える。そんな学びが展開されている、その一片を視ることができた。「外国人労働者としての自覚を持って社会参加をする力をつける」とするあゆみが始まっている。同化でなく、「ちがいを豊かさに」彼ら彼女らが視る「日本の社会」への指摘を受け止め、夜間中学教師集団として、集団討議を大切にして進めていただきたいと考える。この営みは夜間中学が今 存在する意義のひとつではないだろうか。

(写真:産経新聞発行パンフ「連載企画 夜間中学はいま」)

 
 
 
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