top of page
検索

夜間中学その日その日 (703)

  • 夜間中学資料情報室 白井善吾
  • 2020年8月25日
  • 読了時間: 11分

 「夜間中学」に関する国会議論(その13-④)    1971年~1975年

 59回国会から64回国会では夜間中学の議論は出てこない。約3年間の空白がある。この期では「憲法で規定された教育を受ける権利を保障させるのだという、権利思想」を掲げ、夜間中学開設運動を展開したのが髙野雅夫さんの全国行脚であった。その結果、夜間中学の開設がつづき、髙野さんの名前も「18回全夜中研大会」も国会議論に登場する。

 坂田文部大臣は「そういう機会均等を失った年齢の人たちの希望が達せられないということであってはいけない。特例の措置というものを考える必要があるというふうに私は思います」(1971.4.22)に代表される、国会内での議論も、それまでとは異なる答弁が出てくるようになる。

 佐々木静子(社会)さんが「教育を受ける権利の保障」で議論を展開している。夜間中学開設運動が大きく影響していると考えてよいのではないか。

第65回国会 衆議院 文教委員会 第8号 1971年3月10日

 *松永光(自民):「(旧制の夜間中学)この定時制教育、通信制教育というものは、もっともっと伸ばしていかなければならぬ」

第65回国会 衆議院 文教委員会 第10号 1971年3月19日

 *木島喜兵衞(社会):「文部省とすれば、いわゆる夜間中学と称されるものを、どのような教育体系の中に位置づけているか」

 *宮地茂(初等中等教育局長):「これはなかなかはっきり申し上げにくいのでございます。私は、認めるとか認めないとか、形式論をやるのは実情に即さない、必ずしも適していると思わないということを申し上げておるわけで、法律論として、夜間の課程を認めるかというふうに形式論でおっしゃれば、認められない」

 *坂田道太(文部大臣):「私たちとしては、やむを得ず、これは認めざるを得ない。また、やむを得ず認めざるを得ないというからには、それに対しての処置をしなければいけない、こういうふうに私は考えております」

第65回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第3号 1971年3月25日

 *塩出啓典(公明):「「中国新聞」広島版に、「島の夜間中学は開店休業」(1971.03.25)の報道があった」「塚原さんという方の書いた本」「夜間中学というものをどのように掌握しているか」

 *宮地茂(初等中等教育局長):「小学校、中学校には夜間の課程は法律上認めておりません」「法に認められていないけれども、必要に迫られてできたという経緯」

*塩出啓典(公明)「必要であるということは文部大臣はある程度認める、そのように解釈していいか?」

 *坂田道太(文部大臣):「そのとおりでございます」

 *塩出啓典:「きのう私は髙野さんという方にいろいろお会いして聞きましたら、この方は非常に夜間中学のことを真剣に推進されてきた方でございますが」「そういう人たちの救済のためにはやはり夜間中学というものは必要ではないか」

 *坂田道太:「夜間中学の問題、長期欠席者あるいはまだ義務教育を受けないでおるという人たちがずいぶん各地におるわけであります。これに対して教育の機会を与えるということは、やはりわれわれといたしまして当然考えなければならない問題だと思います。私どもといたしましても、鋭意、本年度調査をいたしまして実態を把握いたしまして、その上でこれに対してどう対処するか、法律を改正する必要があるならばそれを改正す

る等を含めまして、十分前向きに検討いたしたい」

第65回国会 衆議院 内閣委員会 第17号 1971年4月22日

 *大出俊(社会):「(夜間中学生の募集を)表街道からもう少し積極的に、教育を受けたらどうかという呼びかけのほうがむしろ必要だという気がする」

 *宮地茂(初等中等教育局長):「どうも夜間中学というものは法的に認められてないということで、若干私生児的な扱いをしておりましたが、しかしいま申しましたような現状に目をおおわない、そういう意味では今後積極的にやりたい」

 *坂田道太(文部大臣):「何でもしゃくし定木にはいかない。そのしゃくし定木を貫くがために、そういう機会均等を失った年齢の人たちの希望が達せられないということであってはいけない。特例の措置というものを考える必要があるというふうに私は思います」

第65回国会 参議院 文教委員会 第13号 1971年5月11日

 *内田善利(公明):「夜間中学の実態は?」

 *宮地茂(初等中等教育局長):「学齢生徒のために夜間中学は絶対に置きたくない、これは行管のおっしゃるとおりでございます」「学齢を過ぎた方々のこういうことはあるいは学校教育でない社会教育的な観点からやっていくのがいいのかもしれませんが」「学齢を過ぎた人のために夜間課程を置くといったようなことであればこれは検討課題にはなろうかと思いますが、学齢の子供のために夜間課程を置くような意味での法律改正

をする気持ちはございません」

第65回国会 参議院 文教委員会 第14号 1971年5月13日

 *小林武(社会):「(定時制高校は)いわゆる夜間中学のような存在にしてしまったらたいへんだ」

 *宮地茂(初等中等教育局長):「世の中の認識が夜間中学に似たようなものになっていくというふうには少なくとも思っておりません」

第68回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第1号 1972年4月22日

 *塩出啓典(公明):「夜間中学の問題についてどなたか、どういう現状になっているのか、のことを御報告」

 *岩間英太郎(初等中等教育局長):「生涯教育の一環とでも申しましょうか、そういうふうな観点からこの問題をとらえるということも一つの方向」

 *高見三郎(文部大臣):「私は、一人でも夜間の学校で学びたいという子供がおる限りは、夜間中学をやめるわけにはまいらないと、こう考えております。できるだけ教育の機会均等という観点から、夜間中学というものを、生徒の数はだんだん減ってまいりますけれども、これは一人といえども要望者がある限りは続けていきたい」

第68回国会 参議院 予算委員会 第18号 1972年4月26日

 *塩出啓典(公明):第四分科会の審査の経過の報告:「夜間中学の現状」

第68回国会 参議院 文教委員会 第6号 1972年5月25日

 *内田善利(公明):「前宮地初中局長は、中学校未修了者については関係官庁と連絡をして未修了者が絶無になるように持っていくよう血の通った施策を講じたい、そういった意味のことを言われまして、本来の義務教育、これを一そう充実して、夜間中学は廃止する方向に持っていくのがやはり本筋だ」「以後どのように考えているか」

 *岩間英太郎(初等中等教育局長):「生涯教育ということが非常に重要になってまいったわけでございます。したがいまして、ある意味の生涯教育ということでそういう方々の教育もとらえていったらどうか」「就学の意欲を持っておられる方につきましても、これは正面から取り組んでもよろしいのじゃないかという気が最近はちょっとしている」

 *高見三郎(文部大臣):「夜間中学校の高年齢層の就学者が非常に多いということを考えまするというと、むしろ、夜間中学はできるだけ多くつくって、できるだけ多く収容してあげることを考えるべきである」

 *内田善利(公明):「夜間中学を充実するような方向に持っていく、こういうことですか」

 *岩間英太郎:「格別に法律を改正しなければ夜間中学の存在というものが認められないということでもなさそうな気がする」

第70回国会 衆議院 本会議 第5号 1972年11月8日

 *米田東吾 (高橋清一郎議員追悼演説):「新潟市に四人きょうだいの長男としてお生まれになりました。家庭が貧しかったために、幼少から生活の辛酸をなめながらも、向学の志に燃え、小学校を卒業するや、新潟夜間中学に進まれた」

第71回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号 1973年3月3日

 *高木玄(厚生省援護局長):「援護局は引き揚げ者の援護を行なうところでございまして、引き揚げ者と申しますのは、終戦前から外地にあって、初めて内地に帰ってこられるのが引き揚げ者でございまして、そういった方々はまさに敗戦による犠牲者でございますので、私どもは引き揚げ者として援護しておるわけでございます」

 *横路孝弘(社会):「韓国からの引き揚げ」「引き揚げ者の寮ばかりではなくて、もう一つは教育の問題があるわけです。あとでお話ししますけれども、やはり引き揚げ者センターみたいなものをぜひつくってもらいたい」

 *別府哲(初等中等教育局中学校教育課長):「韓国語には若干たんのうな先生が配置をされておりますけれども、中国その他ほかの国からも帰ってくるわけでございまして、すべての語学の先生方をここにそろえるということは、いわゆる中学校の夜間学級という一つのワクの中での仕事であるということからたいへん制約がある」

第71回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第5号 1973年3月8日

 *大出俊(社会):「その後この夜間中学問題はどういうふうに動いているか」「行政管理庁の方あるいは労働省の方、文部省の方々にものを申し上げましたが、そこでひとつ、どういうふうにごらんになっているか」「18回大会」

 *岩間英太郎(初等中等教育局長):「義務教育該当年齢の者がわずかに4.5%、人数にして1,150名のうちの50名。現実問題としましては生涯教育の場の一環というような形としてとらえてよろしいのではないか「(勧告の時と現在」現状で申しますと完全に考え方を変えなければいかぬという段階でございます)

 *大田宗利(行政管理庁行政監察局長):「夜間中学に通っている生徒をできるだけ昼間の学校に通わしたい」

 *吉本実(労働省労働基準局監督課長):「職安機関と基準監督機関とが相互に問題のあるものを通報し合いながらこの是正をはかっていくというようなことで措置してきた」

 *奥野誠亮(文部大臣):「(学齢者超過の人の)需要にこたえていくのはやはり私は教育を推進していく道ではなかろうか、こうも考えますので、ぜひいまのお考えを体しまして夜間中学が存置され、整備されるように配慮していきたい」

第71回国会 衆議院 予算委員会 第20号 1973年3月9日

 *黒金泰美(第二分科会の審査の経過及び結果を報告):「夜間中学校への助成措置、等々の問題について、種々論議がかわされました」

第72回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第1号 1974年4月4日

 *佐々木静子(社会):「文部省のほうでは全国的に見て義務教育の未修了者何名というふうに把握しておられますか」「国民から見れば教育を受ける権利を保障するために、もっと何らかの措置を講ぜらるべきではないか」「最も底辺にある引き揚げ者、そういう人たちに対する教育をどのようにお考えになるか」

 *岩間英太郎(初等中等教育局長):「0.1%くらいの者がはずれておるということであろうと思います。その一番大きな原因は、いわゆる重度の精神薄弱者を含めます、まだ義務教育の施行されておりません養護学校あるいは特殊学級の対象者がそのうちの大部分だ」「昭和45年度の国勢調査報告書によりますと、572,979人が未就学者そのうちで64歳以上の方が365,545名です」「(引揚げ帰国者の教育は)厚生省のほうでごめんど

うを見ていただくというふうな行き方もあるんじゃないか」

 *奥野 誠亮(文部大臣):「私は義務教育という見地でとらえるんじゃなくて、社会教育的な見地で考えていくとかいう性格のものではなかろうか」

第72回国会 参議院 予算委員会 第23号 1974年4月8日

 *矢追秀彦(公明):第四分科会の審査の経過報告:「夜間中学の取り扱いについて熱心な質疑がかわされました」

第72回国会 衆議院 文教委員会 第24号 1974年4月26日

 *湯山勇(社会):「中学には夜間のがありますね。これはパーセントにしてどのくらいありますか」

 *岩間英太郎(初等中等教育局長):「夜間中学の場合は現在97.8%だと思いましたが、これは学齢を越えた者が入っております。ですから学齢の者はわずかに6人」

第75回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号 1975年2月26日

 *松浦利尚(社会):「夜間中学で年齢制限をオーバーした人がたくさんありますね。そういう人たちには卒業証書は渡るのですか」

 *安嶋彌(初等中等教育局長):「渡る」「異例な措置としてではございますが、戦後設置されました中学校の夜間学級あるいは夜間中学校の趣旨と、そこにかなりずれが出てくるわけでございまして、これにどう対処していくかということが、私どもの検討の課題になっておるわけでございます。

 *長谷川正三(社会):「各都道府県に一校以上、夜間中学校といいますか、正式の名前は中学における夜間学級というものを置いて、そこで、日本語を担当する教師も置きながら、普通の教育を受けてそういう資格が得られるようにしてあげる、こういうことと、それからそのためには、ぜひ先生を複数以上置いてもらいたい」

 *永井道雄(文部大臣):「初中局長からお話し申し上げましたのは、主として夜間中学の年配の人たちでございますが、他方・・」

第75回国会 衆議院 文教委員会 第4号 1975年3月14日

 *長谷川正三(社会):「海外からの引き揚げ帰国者の日本語教育の問題について」

 *安嶋彌(初等中等教育局長):「夜間中学においてその受け入れが行われておるわけでございますが、御承知のとおり夜間中学というのは法制上認められた学校制度ではございません。従来は、この夜間中学の学級に対して教員定数の配当をするというようなことはいたしてこなかった」「日本語学級についての定数問題というものは、先生先般御指摘のとおり十分検討しなければならない課題であるというふうに認識をいたしており

ます」

第75回国会 衆議院 社会労働委員会 第23号 1975年6月19日

 *柴田健治(社会):「日本語の語学の勉強というか、そういうものを今後どういう形でやっていかれる」

 *八木哲夫(厚生省援護局長):「年齢層の方々につきましては、社会教育の問題等と絡みましてなかなかむずかしい問題で、文部省の方でも今後検討していただくことになっておるわけでございます。お話のございましたように、一部すでに東京、大阪等につきましては、夜間中学校におきまして非常に熱心な先生がおられまして」

第76回国会 参議院 外務委員会 第5号 1975年12月9日

 *立木洋(共産):「(帰国者への支援)政府の方としてはどういうふうな援助を行っているか」

 *柴 義康(厚生省援護局庶務課長):「中国語から日本語を教えるといったような学校は現在日本には東京に二校、夜間中学であるだけでございます」

 
 
 
Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page