夜間中学その日その日 (711)
- 夜間中学資料情報室 白井善吾
- 2020年9月27日
- 読了時間: 4分
「夜間中学」に関する国会議論(その13-⑧)1990年~1997年
1989年の初め頃であった。個々の夜間中学のことを考えるんではなく、大阪の夜間中学の事を考えよう。そのためには、夜間中学の問題点を、躊躇することなく、出し合い検討を加えようではないか。そして課題提言にまとめ上げようではないかと各夜間中学から参加を呼びかけ、午前中の会議を重ねた。この集まりは夜間中学に関する新たな地平を拓く力を獲得できたと考えている。そこで、1990年が国際識字年であり、国際識字年のとりくみを通して夜間中学開設運動の大きな飛躍に結びつけられないかと提起があった。
まもなくして、国際識字年推進大阪連絡会の結成と参加の呼びかけを受け、近畿夜間中学校連絡協議会も組織参加を決め、活動に積極的に参加した。程なく国際識字年推進中央実行委員会も発足することとなり、全国夜間中学校研究会として参加することを提案したが、同意がいただけず、近畿夜間中学校連絡協議会として参加した。
識字問題にとりくむ国内の仲間の存在を知ることができたことは一番の成果であった。中央実行委員会で、文部省、外務省などと話合いの機会があった。識字問題に一番理解のあった省庁は外務省であり、反対に硬い答弁を繰り返していたのは文部省中でも学校教育関係の部局であった。
中央実行委員会が開いた集会で長い沈黙を破り、髙野雅夫氏が日本教育会館の舞台に立った。「武器になる文字とコトバを」と題して話した(1990.09.10)。熊本から反原発集会に来たおばさんから「東京の人間は口ばっかしだ」といわれたと話した。

パウロフレイレとの出逢いもあった。堀利和さんと話をしたのも中央実行委員会の会議の席であった。橿原自主夜間中学のとりくみを経て畝傍夜間中学の公立化が実現したのも国際識字年が大きく影響した。
第118回国会 参議院 社会労働委員会 第2号 1990年4月24日
*堀利和(社会):「(国際識字年・・また在日朝鮮、韓国人の識字学級あるいは夜間中学や日雇い労働者のための識字運動というのが現実にありまして、こういう方々のお話では恐らく日本で300万人程度の非識字者が存在するというふうに言っております」
第118回国会 参議院 商工委員会 第3号 1990年6月1日
*谷畑孝(社会):「大阪における夜間中学生などは・・・この外国人労働者の問題も絡んで、ことしは識字年ということでございますので、今日的な識字という問題が存在しておるということで、予算を含めて、文部省の方としてそれをどのようにとらえておられ
るのか」
*鬼島康宏(生涯学習局社会教育課長):「夜間中学校が開設されておるわけでございますが、これは早くからやっておりまして、これの充実に努めてまいっておるわけでございます」
第120回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号 1991年3月11日
*伊東秀子(社会):「夜間中学に対して政府としてはどういうふうなことを考えておられるのか、御回答をお願いいたします」
*鬼島康宏(生涯学習局社会教育課長):「学習の指導あるいはさまざまな生活の指導を行っておるわけでございまして、今後その充実に努めていきたいと考えておるところでございます」
第120回国会 衆議院 決算委員会 第7号 1991年5月16日
*上田卓三(社会):「国際識字年 夜間中学の問題等も、全国的にはまだ少ないようですけれども、いろいろな形態で実施されようとしているわけですから、そういうものも非常に大事かな、私はこのように思います」
第121回国会 衆議院 文教委員会 第1号 1991年9月25日
*中西績介(社会):「日本の識字問題の現状というのは、部落、在日韓国人・朝鮮人、一障害者の識字への取り組み、夜間中学の存在、一アイヌの人々の識字運動、こういう問題がたくさんまだそのまま放置されておるわけであります。したがって、こういう人々の識字運動、今やられておる運動の位置づけを文部省としてはあるいは大臣としてはどう認識をしておるのか」
第123回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号 1992年3月11日
*細川律夫(社会):「(増田純一君)障害者の自立に高校程度の学力は不可欠だと夜間中学で学んできての県立高校受験だったが」
*中西績介(社会):「九〇年にこの国際識字年というのが設定をされてまいりましたけれども、これ一つ取り上げましても、日本の場合にはわずかな広報だとか識字指導者協議会で論議する程度で終わらせまして、義務制就学率が九九・七%あるということでもっ
て解決済みだという言い方をし続けています」「これだけは本格的な調査をすべきだと
いうことの提言をいたしておきます」
第128回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号 1993年11月10日
*谷畑孝(社会):「地域で夜間中学だとかあるいは地域における識字活動だとか、そういう状況の中で日本語を学びに来る。だから、夜間中学なんというのはほとんど定住した外国人の皆さんの学校になってしまっている」
第128回国会 衆議院 文教委員会 第1号 1993年11月19日
*小野晋也(自民):「(映画『学校』は)その人生と格闘しながら夜間中学に通う生徒たちを囲んでいろいろなドラマが展開されるわけでございます」
第140回国会 衆議院 文教委員会 第10号 1997年4月25日
*保坂展人(社民):「夜間中学で出会って人間的に再生していくというプロセスが感動的に描かれていましたけれども、ぜひそういう改革の方向を子供たち本位に柔軟に開い
ていただいて、もう一度再検討をしていただきたい」