夜間中学その日その日 (1038) 白井善吾
- journalistworld0
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てんてこまい著『戦争さえなければ』-夜間中学は家族をつなぐ-
2025.07.08
1988年は私が守口市の昼の学校から守口夜間中学に転勤して2年目。
夜間中学での毎日の経験は、それまでの教員生活では経験することのできなかった体験ができるとても新鮮な場であった。「今日は何が勉強できるか?」、授業で使う教材の下書きをカバンに入れ、駅の階段も一段飛ばしで通勤していた。しかし、こんな時の授業の反応は良くないことのほうが多かった。授業の準備が十分できず、半分空白で印刷した授業のほうが夜間中学生の反応が良かった。後で考えると、「教える」から「学び合う」という授業の組み立ての時であったと考えている。
炭酸水素ナトリウムを使って私がカルメ焼きを作ることを演示していた時、うまく膨らまないカルメ焼きを見て、「先生そんなこともやったことがないのか。私は育ち盛りの子どもを手作りのこのおやつを作っておおきしてきました」。その夜間中学生、次の時間、使いなれた銅製のお玉やかき混ぜ棒、店で購入してきた“タンサン”が教室に準備されていた。カルメ菓子づくりの先生が実演し、ふくらますタイミングと火加減の指導を受けながらその日の授業が進んだ。この時の体験は学習者の経験体験を大切に、それを授業の中で発表してもらい、授業を組み立てるという手法を確立することにつながっている。
その頃、別の教員は奪い返した文字とコトバで「ひとこと日記」の実践を行っていた。短い一文を書いた日記が届けられると、その教員はふくらませてほしい内容の返事を書き、受け取った夜間中学生は。その返事を書いて内容が掘り下げられていく。時には授業でその文章を紹介し、クラス内での共有化を図った。お互いを知るきっかけを授業の中で取り組まれた。
教員の構内研修や職員会議ではその一文を紹介し、議論し、その夜間中学生の姿を共有し、いろいろな教科で教材作成に参考にしていく。そして自分の授業の報告をする。そんなサイクルで教員側の考え方を深められたと考えている。

昨年の暮れであったか、1980年代末の一人の夜間中学生のことについて現役の教員から問い合わせをいただいた。そのクラスの授業を直接担当することはなかったが、不思議なことに、その夜間中学生の名前はフルネームででてきた。授業も担当していないので、担任名をあげ、その先生に問い合わしていただくようお願いし、電話を切った。
電話を切って『守口夜間中学20年のあゆみ』に収録したはずだと思って、文章を読み返した。
「私の小さいころの思い出は、楽しい思い出はありません‥」で始まる1700字あまりの文章は「ひとこと日記」に書いた文章をつなぎ合わせた“自分史”で1988年度に収録していた。

ペンネーム「てんてこまい」さんは「戦争がにくい」を書いた夜間中学生の孫にあたる方だと、後でわかった。「…私の小学校3年生のころは、戦争がはけしくなり、徳の島(ママ)の人たちは、内地に疎開する人も多かった…」。
このころ、同じ年齢の徳之島出身の夜間中学生が何人も守口夜間中学に在籍されていた。当時の担任教員とは連絡が取れないのでと数カ月後、出版社の編集担当の方から連絡があった。そして夜間中学についての質問をいただき、回答をすることになった。
内地に疎開することなく「私たちは、妹と二人で、田んぼの近くの、杉林の中に(作った)山小屋に防空ごうを作ってありました。昼間は、私と妹と二人で田んぼで、いなごやタニシを取って遊んでいました。雨の時は、さみしいのと、恐ろしいのとで夜になったら、両親がむかえにくるのを、今か今かと待っていた、あの頃をなつかしく思い出します」と作文は続きます。
出版された本が昨日送られてきた。ページを繰っていくと、生前、祖母(夜間中学生)の家をかたづけに行った母が、戸棚の奥から夜間中学に通っていたころの包みを見つけ、その中に祖母自筆の「戦争がにくい」の作文を見つけ、持ち帰った。その作文を手にした孫である著者はつきのように書いている。
「祖母の作文を初めて読んだ、その衝撃は、今でも忘れられません。私が今まで授業で習ってきた戦争や、私の知る祖母とのギャップ、戦争の映画やドラマとなると、どうしても血生臭い描写のものに焦点が行きがちだと感じます。でも、祖母のそれは、じわじわと、しかし確実に生活に侵食してくる戦争が当時の子どもの視点で描写されていることに、なんとも言えない残酷さを感じました」と書かれていた。
また次のように記されている。「おばあちゃん!自分のことが一冊の本になってびっくりしてるかな?でもきっと豪快に笑い飛ばしっているよなぁ!完成した本をもってお線香あげに行くから、そっちでみんなで読んで、いっぱい褒めてもらってね!ありがとう!そしてお疲れさまでした」。
「豪快に笑い飛ばして」の表現は夜間中学時代の祖母は自分の意見をはっきりおっしゃる方であったという印象がある。著者てんてこまいさんは祖母の文書から祖母のふるさと・徳之島を訪れ取材し作品を完成されている。「急な取材を申し込んだときも『いいよいいよ!徳之島まで来てくれたことが嬉しんだよ』」と書かれている。
私たちは夜間中学が在ることの意義の一つに「夜間中学は夜間中学生の家族にも大きな支えになっている。夜間中学の回路を経て家族がつながる」があると考えている。祖母の書いた自筆の作文の写真が掲載されている。綴じひもを通した穴が開いている。担任から返却された文章が夜間中学を、故郷・徳之島をつなげ、家族をつなげる役割を果たしている。
『戦争さえ なければ』 著者 てんてこまい 株式会社KADOKAWA 1,450円
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