夜間中学その日その日 (1096) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室 第1回講演会(その1) 2026.06.13
神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室第1回講演会が2026年6月6日、神戸学院大学有瀬キャンパスで開催された。私たちが“韓国の髙野雅夫”と呼んでいる萬稀(マンフィ)さん〈元韓国文解成人基礎教育協議会代表〉をお招きして、「社会の平等は、教育の平等から―髙野雅夫さんと萬稀さんの出会いが切り拓く新たな地平―」と題して講演をいただいた。通訳は金洋見さん。

100名を超える参加者は、大学生、卒業生、教員のほか近畿を中心に福島からも参加があった。
夜間中学・識字・文解・髙野雅夫・夜間中学資料・カンボジアの識字活動がキーワ-ズでスクリーンに映し出される映像を織り交ぜ、参加者も講演に参加する進行が注目される展開であった。
スクリ-ンには石に何かを刻み付けている石器時代の人の絵を映し出し、隣でそれを見守っている人との会話を次のように説明された。
「あなたは何をしていますか?」そうすると、「私はいま文字を発明しています」すると「隣の人は何と答えただろう?」と出席者に質問された。
会場から「(ああ文字を発明したんですか)素晴らしいですね」「すごい」との回答があった。
萬稀さんは「しかし、あなたが発明された文字のせいで私は非識字者になってしまった」との発言を紹介され、「文字社会では文字は人間の眼であり、口であり、耳です。文字を教えない事こそ非人間的であり非民主的です」と文字の重要性について、知識、情報の記録。経験と歴史を次の世代に伝える。法律、政治、宗教、教育など文明発展の基盤であるが、一方で「文字のせいで私は非識字者になってしまった」という、複眼的思考の大切さを説明された。
強調されていたのは「識字」と「文解(ムネ)」の決定的な違いを説明された。日本で使っている「識字」は字を識ることであるが、韓国では「文字を(理)解するだけでなく、文化を理解し、文化的に疎外されてきた状態から自らを解放する」という意味を込めた『文解』ではないのかという指摘だ。韓国で2007年の識字法の立法化の時、「文解ではなく文字解得」になっていることを萬稀さんたちは非常に懸念されていた。その後も改訂運動に取り組まれ「文解」に改正された。
韓国の生涯教育法は第2条(定義)3. 「識字教育」とは、日常生活を送るために必要な文字解得能力を含む、社会的・文化的に求められる基礎的生活能力などを身につけられるようにするための、組織化された教育プログラムをいうと明記された。
萬稀さんが主宰された安養市民大学(文解教室)は「大衆教育を通じて民主市民意識と参加意識の涵養により正しい市民像を確立する」を目的とされ、「自信回復と生活の変化により歴史の主体となる、単なる知識の習得ではなく、知能開発と態度変化学習を行う」を実践されている。
ひとりの学習者の作文が紹介された。
流水のような歳月というものか、いつの間にか50年の人生を越えてしまった。学べなかったことが怨みとなり、ハングル学校に通い始めてすでに2年が過ぎた。しかし、もっと学びたい気持ちは天のように大きく、もっともっと学んで立派な国民になりたい。もう少し学んで。ああ…ああ…ああ 歳月よ!行ってしまわないでくれ」キム・スノク
各夜間中学で発行されている文集にも同趣旨の文章がある。
夜間中学生が文解教室を訪問、学習者と相互交流をしたとき、①奪い返した文字とコトバで皆さんはどのような社会活動をされていますか?という、衝撃的な問いかけをいただいた ②学習者が次の学習者の指導者になる、意識して、その実践をしておられる ③社会活動と学びをつなげた文解教育の実践が強く印象に残り、夜間中学の学びを振り返り議論してきた。
髙野さんと萬稀さんのつながりは、1998年髙野さんが韓国に語学留学の時、安養市民大学を訪問した時が始まりだ。萬稀さんたちの主張と実践を知った時、夜間中学生にもこの出会いを経験してもらい、夜間中学で学ぶことの意味を考えるきっかけにしてほしいと、髙野さんは相互訪問の取り組みを夜間中学生に提案された。2002年日韓識字文解相互交流が始まった。
萬稀さんも髙野さんから大きな影響を受け、韓国の生涯学習法の立法化に、日本の夜間中学の位置付を参考にしようと考え、2002年から各夜間中学現場を訪問された。
髙野さんの主張「文字と言葉を奪回するということは、ぺちゃくちゃしゃべることではなく、自分が感じたこと、言いたいことを正しく正確に言うこと。さらに、自分が言いたい権利や場所までを奪回すること。『文字と言葉を奪回するための闘いは、人間宣言の出発!』」と受け止められ、パウロ・フレイレの主張の共通点を萬稀さんは次のように報告された。
「文字と言語を学ぶことは、抑圧された人たちが世界を批判的に理解し、変化させる過程である。教育の平等なくして社会の平等も実現できず、社会正義のない教育の平等も完全なものとはなり得ない」。
講演会に参加された学生さんには初めて耳にする内容や語彙が多かったと思う。講演後の質問も3人の学生さんからあった。
筆者の場合、何十年後振り返った時、その後の人生や生き方を決定する出会いは夜間中学生や髙野さんとのある時の出会いであった。3人の学生さんから、相次いで『髙野雅夫にまなぶ』の学生編集委員への応募があった。また61名の参加者から応答(感想文)が届いた。「髙野雅夫夜間中学資料室」の果たすべき役割が確認できる応答であった。改めて紹介する。(つづく)






















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