夜間中学その日その日 (727) 砦編集委員会
- journalistworld0
- 2020年12月14日
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髙野雅夫さんに聞く「義務教育未修了者を見つけ出す闘い」小林晃さんのこと(その3)
(司会)このように夜間中学を開設する、生き証人を見つけ出す214日の闘いは、点がつながり線に、線が動いて面になる。その面が結びついて立体に、錐になり、突き刺さっていくそんな闘いに展開していったことが確認できると思います。

(司会)小林晃さんが通った西野分校は、校舎は木造で、太い柱が使われた立派な建物でした。被差別部落番町の中にある学校で、地域の人たちが寄付を集め、土地を提供し、校舎を建設し、神戸市に寄贈しできたという歴史を持った学校です。大阪人権博物館のあるところは元の大阪市立栄小学校があったところで、地域の人たちが大阪市に寄付をして生まれ、西野分校と同じ歴史を持って生まれた学校です。1階は西野幼稚園、2階が夜間中学・西野分校でした。1995年の阪神淡路大震災で被災し、建物は取り除かれ、現在は空き地の状態です。校門の扉を見ると、幼稚園であったことがわかります。神戸市立丸山中学校西野分校夜間中学の門標は当時のままです。

ここに「全国夜間中学生歴史館」を
(髙野)歴史あるこの場所にはかつて西野夜間小学校があった場所です。夜間小学校廃校記念の大きな石碑が建っています。この歴史ある場所に「全国夜間中学生歴史館」が出来ないかとの想いを持っています。番町に住み込んでとり組まないと実現できない・・。神戸学院大学の水本先生とオレたちで部落解放同盟番町支部を訪ね、支部長さんと話をしたことがあるんですが、1階は地域の青年が集い、2階は全国夜間中学生歴史館として活動できる場所にならないかという想いは今も持っています。
(司会)力を結集したら方向は見いだせるのでは、この「夜間中学卒業者の会」としてもとりくみたい。

西野分校跡地(2019年)
(司会)「16年目の入学」の映画に登場した、小林晃さんたち、50年前の生き証人として名乗りをあげ、夜間中学の開設に力を結集した先輩のことを考えてきました。50年後の今、髙野先輩を先頭に全国行脚を実行していることを報告していただきます。高知から参加いただいた細川さんお願いいたします。
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