夜間中学その日その日 (731) 砦編集委員会
- journalistworld0
- 2020年12月30日
- 読了時間: 3分
髙野雅夫さんに聞く「義務教育未修了者を見つけ出す闘い」小林晃さんのこと(その4)
50年目の夜間中学全国行脚
(細川)高知県に「夜間中学」をつくる会の細川です。2020年2月22日の学習会に「夜間中学卒業者の会」から4名の方がかけつけていただいたきました。それを報じる記事です。

大阪に戻られてすぐ、門脇勝さんから私に手紙が来ました。「高知に出来る夜間中学のために、私たちが出来ること何でもやりますから」という手紙でした。そこでお話ししたのが新聞の声の欄に投書する方法でした。そしてすぐ高知新聞に投書を送られ、掲載された「世界一の夜間中学校」です。

50年後の夜間中学生の訴え
(司会)高知県に夜間中学をつくる会の学習会に参加された高知市議会議員の岡﨑邦子さんが6月議会(2020.6.18)で議会質問をされました。その映像を見ていただきます。夜間中学生のとりくみや願いが受け止められ、広がっていることが確認できるのではないでしょうか。
今私たちが直面している問題を一つ報告します。11月、大阪都構想の住民投票をすると発表しました。新しく4つの区になるということです。すると新天王寺区には3校の夜間中学があるという区割り案です。夜間中学の統廃合のきっかけになるのではという問題です。大阪の夜間中学は市内も府下も関係なく、通学しやすい夜間中学に通っているのが実態です。大阪府に限っても吹田から高槻島本の地域、片町線沿線、そして南河内地域の夜間中学開設は永年の夢です。全体を通して、髙野さんお話しください。
(髙野)若いときのように体が動けないので、先ほど話しました、番町に住み込んで最後の夢を実現したい。いま、文科省が旗を振り夜間中学が増えていくと思うのですが、それといま話があった都構想も含めて、66年の行政管理庁の夜間中学早期廃止勧告以上の夜間中学の最大の危機だと思っています。なぜなら、生徒も教師も「仲間を守らない」夜間中学になってしまっている。その典型が今ドキュメンタリーにあった西野分校では生徒会をつくらせない。オレたちが何十年間言い続けているが。神戸2校の夜間中学には生徒会が今もない。近畿夜間中学校生徒会連合会に神戸2校の仲間たちが参加できていないことは残念でなりません。仲間を守らない、夜間中学が増えていく中でそこで学ぶ夜間中学生がバラバラになっていく。そんな中で本当に仲間の学ぶ権利を守っていくことができるのか。そう思うと体の動けない自分が許せない。
ドキュメンタリーで見ていただいた小林晃の末路もはっきりしません。1974年久しぶりに家を訪ねていったとき、住んでいた家はなく、ウロウロしていたとき、年配のおっちゃんがきて、何をしているのかと聞いてきた。ここに住んでいた小林君はどうしているかと来たんだというと、「あきらか、あきらは死んだよ、のたれ死にだ」とはき捨てるようにいったおっちゃんのコトバが忘れられない。1975年沖縄に行き、その後三宅島に行っていた。なんとか小林晃の消息を確かめたいと動いてみましたが、わかりませんでした。この50年間多くの仲間を見殺しにしてきた自分が許せません。
山田洋次監督の映画が封切られたとき、東京の夜間中学では学校の電話が鳴りっぱなしでした。この人たちは夜間中学で学びたいという形式卒業の人たちでした。横浜に5校あった夜間中学も1校に減らされた。家の留守電に「タッタ1枚の紙切れをもらったばかりに夜間中学を断られ、このまま死んでいきます」と録音が入っていた。
どこまで仲間を守っていけるかは今年11月の都構想の住民投票の結果に関西夜間中学の先輩の想いを受けつぐ夜間中学になっていくのか大きな分かれ道です。死んでいった仲間に恥じないような、新しい歴史をつくるために、仲間が一つになって挑戦していくことが出来るか、このことを最後にみなさんにお伝えしたい。
(司会)長時間ありがとうございました。
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