夜間中学その日その日 (750) 白井善吾
- journalistworld0
- 2021年3月30日
- 読了時間: 4分
夜間中学生の分析 2021.03.30
夜間中学があること、そこに行くと中学校の卒業証書がもらえる。義務教育を修了したことになる。調理師や理容、美容師の資格試験を受験できる。しかし夜間中学を必要とする人にはこの情報がなかなか届きにくいのだ。時間がかかる。
夜間中学にたどり着いた夜間中学生は、自分と同じように苦しんでいる仲間に夜間中学があることを知らせようと積極的に広報活動を行っている。守口夜間中学では、ターミナルや街中でビラ配り、FM放送に出演して夜間中学入学を訴えている。また、新聞・テレビの取材に応じ、夜間中学の必要性や学ぶ喜びを語っている。それだけでなく、居住市の広報紙に夜間中学生募集記事の掲載を依頼して回り、教育委員会担当者の訪問にも長年続けて取り組んでいる。夜間中学を公開し、小・中・高校・大学、社会人との交流を行い、来校者に夜間中学の授業を受けてもらっている。少しでも夜間中学が広がっていくことを願っているからだ。そして、来校した子どもたちの求めに応じ、来校者が通っている学校に出かけていくなど相互交流を行ってきた。
さらに映像でと30年前、大阪府の教育委員会に夜間中学生徒会や大阪教組が要求し夜間中学の広報番組、「夜間学級は私の夢」(30分)が実現した(1990.11.27)。そんな映像が存在することを今の府教育庁の担当者はご存じだろうか?
守口夜間中学は道路に面して、夜間中学入学案内の看板を開設以来掲示している。ある夜間中学生から、この横の道路は何度も通っていました。しかし入学案内の看板があることは今まで気づきませんでした。もっと早く気がついていたら‥。このように話された夜間中学生があったが、これが現実なんだ。これを聞いて、何が入学のきっかけになるか、いろんな可能性を追求しないといけないと思いなおした。
しかし、夜間中学がマスコミで取り上げられることは圧倒的に多くなった。先日も、20年前の卒業生から「先生、夜間中学のテレビやってるよ。見てください」と連絡が入ったが、当日放送があることは知らなかった。家に戻り、スイッチを入れると春日夜間中学の卒業生・西畑保さんの澄んだ声が聞こえてきた。
前にこの欄で、新聞記事の掲載数を書いた(「夜間中学その日その日」732)。2021年に入り。3ヶ月が過ぎるが、記事数79になる。もっとも、以前のように、配達されてくる新聞に掲載された記事はというと記事数3で以前と変わらない。インターネット情報に検索をかけ、ヒットした記事数が上の数字だ。夜間中学のようなところで学んでみたいと考えている人に直接届く情報としては新聞を読んでというのは少ないのかもしれない。そのように自分に云い聞かせるのだが、私のせっかちの気性は治らない。
2020年度の第66回夜間中学校研究大会はコロナ禍の中、研究大会は開催されず「大会発表誌」の発行だけになってしまった。残念である。コロナ禍の中、夜間中学にどんな影響が表れているのか大会発表誌を読んでいるところだ。
まず、夜間中学生数の変遷を見ておきたい。発表誌巻末34頁に学校数と在籍生徒数の推移のグラフが掲載されている。

これだけを見ていては今の変化を見誤ることになってしまう。「教育機会確保法」が公布されたのは2016年12月14日。文科省が形式卒業者の夜間中学入学ができる旨の通達を出したのが、2015年の7月。‘19年~‘20年、新たに夜間中学が3校開設されたことなどを考慮し、同じ条件で比較をすると表-1のようになる。
2013年の生徒数を1000とすると、‘14年938、‘15年876、‘16年867、‘17年807、‘18年741、‘19年714、そして‘20年617と減少していっている。

*更生在籍数;形式卒業生数、あたらしく開校した生徒数を除き
2013年と同じ条件にし、比較した。
2013年に存在していた夜間中学にはこの間の夜間中学をめぐる、状況の大きな変化は夜間中学生数増には作用せず、逆に大幅に減少していっていることになる。コロナ禍により、十分募集活動が行えなかったことも言えるが、それは‘20年のみのことで、説明がつかない。大会発表誌を読み進めているが納得のいく記述には出会えていない。いろんな条件が入りすぎて、全国を俯瞰すること自体が意味のないのかもしれない。もっと地域を限定して考察が必要なのかもしれない。しかし、なぜだろう?
Comments