夜間中学その日その日 (753) 白井善吾
- journalistworld0
- 2021年4月19日
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夜間中学のあゆみに学び、明日を切り拓くこと 2021.04.19
奈良県御所市にある水平社博物館の企画展「夜間中学生展」を訪れ、隣の人権センターで「第1回夜間中学寄席」を行ったのが3月27日であった。それから半月後、会期を終え、出展物を受け取りに博物館を訪れた。満開の吉野桜は葉桜に代わり、若葉が目に優しい色で出迎えてくれた。近鉄大阪線で奈良県に入ると二上山から葛城の山々は萌黄色から黄緑、緑そして水墨画の墨色まで個性あふれる色の山に変化していた。大和高田でJR和歌山線に乗り換え、掖上(わきがみ)駅に降り、水平社博物館をめざした。
ウィークデーであったからか、田畑には人影はなかったが、どこもよく管理されている。一度耕された田は2耕を待っている。1か月後には田植えが始まるのだろう。用水路の水を集めた博物館前の満願寺川は水草が新芽を伸ばしている。山も野原も一番変化に富み、個性を主張した時節だったのかもしれない。これだけで、心が和むのはありがたい。
理科フィールドワーク明日香を企画し、夜間中学生の参加を呼びかけたのが1990年であったと記憶している。明日香村は、水平社博物館から4~5キロ東に位置する。関西タンポポと西洋タンポポの分布を参加者全員で調べ、地形図にプロットして歩いたのもこの季節であった。高松塚古墳から飛鳥寺往復を各夜間中学別々のコースを調査して歩いた。10キロを超える行程だ。参加できなかった夜間中学生も多かったが、各夜間中学が調査した分布を一枚の地形図に書き写し、授業で報告した。飛鳥駅周辺の道路以外は関西タンポポが優占種であった。掖上駅から博物館まで、私が歩いたあぜ道は西洋タンポポは見つけられなかった。
近畿の夜間中学合同の理科フィールドワークでは教室を出て、野外て実物に触れ、学習を深めることを目的で始めた。二上山山麓の屯鶴峯(どんづるぼう)の火山灰層の厚い堆積に圧倒され、強制連行による強制労働でつくられた地下壕戦争遺跡、生駒トンネル、淀川のワンド、毛馬の閘門、岬町の海岸など大阪近郊の様々なとこに出かけて行った。夜間中学生は行き先で摘んできたタンポポ、ノビル、クサギ、イタドリなどを調理して次の日、教室に持ってきた。夜間中学生はそれを味わいながら故国の子ども時代の話をしていた。ほんの一時の解放かもしれないが、夜間中学生同士が話し合う表情は話の内容と共に鮮やかによみがえってくる。大切にしてきた、夜間中学の学びの一つだ。
話を元に戻すと、コロナ禍の中、いくつかの夜間中学から企画展に来館いただいたとお伺いしたが、すべての夜間中学生の参観にならなかったのは残念だ。
いま学んでいる夜間中学はどのようにして生まれ、どんなあゆみを経て、今が在るのか、そして明日の夜間中学を展望するのかを意識したとりくみが必要だと考える。
先日、夜間中学資料情報室に稲積賢さん執筆の「多様な生徒が集まる新規開校の公立夜間中学」の報告文の紹介があった。読んで、うなずける部分もあったが、「法整備により地方自治体には、夜間中学における就学の機会の提供が求められるようになった」「新規に開校した本校は夜間中学におけるパイオニア的存在であるためここでの教育実践が、これから他県で新設されていく夜間中学のスタンダードになっていく可能性がある」と記述されている。一方で40年近い当地での自主夜間中学のとりくみが一片もふれられていなかった。意識してそのような記述になったのか、あゆみをお知りにならないのか?私は前者だと思っている。どうしてその地で新規に夜間中学を開校するようになったのかあゆみを変えてはいけないと思う。
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