夜間中学その日その日 (770) 白井善吾
- journalistworld0
- 2021年8月2日
- 読了時間: 4分
ランドセル 2021.08.02
時が経つのはほんとうに早い! 一学期が終わった。今の私の感覚は「もう、一学期が終わった?」。勤めていたときは、「やっと、一学期が終わった」が感想であった。学校ではこの学期に本当に色々なことがあったからだ。
子どもたちが、12時をまわって、校門を出て、道路を歩いている。明日から夏休み、という、解放された喜びの顔を予想するのだが、そんな子どもの姿ではない、なぜなんだろう。学校行事も大幅に制限され、プールも入れなかったそうだ。
それならそれで、工夫を凝らして新たな遊びを編み出す、それが私たちの子ども時代の子どもであった。夏休み前の短縮期間が来ると想い出す出来事がある。何もすることがなくて、自転車に乗ってぶらぶらしていて、遺跡の発掘現場を発見、何日も見に行っていると、気になった作業員が遺跡の説明をしてくれた。クラスで興味のある友だちに呼び掛け、発掘現場の手伝いに行った経験も小学校5年生の時だ。わからない話も、聞いていると少しずつ分かってくる。学校で習った、断片の知識がつながりを見せてくる。この経験はこの時が初めてであった。同級生だけでなく、異年齢の人たちとの遊びもええこと半分、悪いこともならった。いまの子どもたちはそんな体験があるのだろうか。今は今で別の内容があるのかもしれないが、子どもたちの表情が気になる。
4月、入学式を終えた翌日、ランドセルが歩いている。小学一年生が歩く姿を見て、そんな表現がおかしくない、大きなランドセル。しかし驚くほど軽い、うまくできている。6年間使っても痛んだところは見つからない。耐久性のあるランドセルに驚き、ご近所の人と話したのが3ヶ月前であった。私が背負っていったランドセルは2年もたなかった。4年生になると、ランドセルで通学する子どもは、クラスで1~2名だった。高価な耐久性のあるランドセルを購入できる時代になったという事か。
登下校する子どもの姿を見て気になったことがある。特に下校時、マスクをかけ、体を前に傾け重そうに歩く子どもの姿だ。中学生になり、学校が遠くなったこともあるが、途中でリュックを下ろし談笑している子どものそれを持って驚いた。「こんな重いものを持って毎日学校へ行っているの?」、返ってきた子どもたちの返事、「慣れました」。
両手を空けるため、背負うカバンになったと想うが、水筒、給食セットの入った手提げ、借りてきた図書の本が加わりさらに重量を増している。そこで7月初め、一週間、集合場所にしているところに上皿ばかりを持っていって、荷物を計量させてもらった。
結果は15.25kg(中1男)、6.8kg(小5女)、7.8kg(小5男)、4.26kg(小1女)、4.3kg(小1女)、〔一週間の平均〕であった。
成長盛りの子どもはそれでよいとの声もあったが、それにしても重すぎないか。
以前は教科書も、上と下に分かれ、A5の小型本であったが、今はA4一冊の大型本で1年間ずっと使用する、に変わっている。1年を通して重い本を使うのだ。市販の漢字練習帳とノートに加え、市販の計算ノート、本読みの点検プリントなどなど、出てくる出てくる、連絡プリント。学校や学年や、クラスが発行した印刷物。整理の下手な私は、すぐ紙くずの山になってしまう。保護者も目を通すのに相当時間がかかるのではないか。小学1年生子ども、一学期に使った授業の副教材などの費用として約9千円かかったとのことだ。
私の場合、2001年が昼の学校を経験したのが最後で、総合学習の時間があり、総合学習の教科書はなかった。現場に創意工夫が求められ、まだ自主編成で授業が行える時代であった。学力低下が叫ばれ、点数化しやすい「点数学力」を競う、悉皆の全国学力調査が始まり、やらないといっていた、都道府県別、市町村別、学校別の点数競争が始まり、その対策に時間を費やす、学校現場に変化し、「点数学力」で学びの締めつけへと音を立てて変化していった。
これはおかしい、そんな反省と見直しが始まるのも遠くないと考えるが、こんな流れと対極な存在が夜間中学の学びだ。夜間中学を訪れた教育関係者が決まって言葉にするのが「学びの原点」という語彙だ。「学びの原点」を用いず、別の言葉で云う事にすると、今の「教育」に欠落してしまっている具体がコトバになるのではないかと考える。
勤めていたときは、「やっと、一学期が終わった」の感覚だったと書いたが、頭の切り替えをして、普段できないことをやれるという喜びがあった。授業で使える教材づくり、子どもたちと化石採集、教員と地質調査、授業で気になったことの調査研究など、子ども、教員同士、個人でといろいろ取り組めた。
夜間中学に勤めたときは、校内研修のまとめと個人のテーマを決め、とりくみを進めた。そのまとめを公刊することができた。誰かの強制ではない、いわんや、教育委員会からいわれたからでない、自分たちで決め、動くことができた。そんなとりくみができるという喜びがあった。

炎天下、ランドセルを背負い、水筒を掛け、両手に膨らんだ手提げ袋を持ち、マスク姿の小学生の姿を見て、ため息とこのような事が頭の中をよぎった。
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