夜間中学その日その日 (776) 白井善吾
- journalistworld0
- 2021年9月12日
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夜間中学の教育条件、学習環境 2021.09.12
行政管理庁の夜間中学早期廃止勧告をバックに、夜間中学を冷遇視の姿勢をとり続けてきたこの国は、ある日突然、正反対のことを言い始めた。夜間中学を開設することは地方行政の義務ですと。
「え-っ、国は今まで何と言ってきたの?」。この国は180度、変更をするにしても、その理由は明確に云わず、恥ずかしくもなくやってのける。廃止勧告を発した当時の当事者が出てきたら、何と言うのだろう。
「原発もコロナもアンダーコントロールの一言で片づける」。「敗戦」の語彙は用いず、「終戦」だと言ってのける。この国の為政者はどこか共通点がある。
12年前、「公立夜間中学はつくりませんと結論を出し、報告書を出したある政令都市は国のこの変化を受け、2024年、公立夜間中学を開設すると決定した。人口が集中し、税収も多く、やりくりが可能なところは変更も容易なのかもしれない。しかし多くの自治体は、義務だと云われても、何とか回避できないかと考える。建物の建設、運営費、何と言っても大きいのは人件費だ。1/3は国が負担する。自治体は2/3だ。その2/3も地方交付税で裏打ちしているから、全額自治体の負担ではないと国は説明するが、自治体はできることなら費用を抑える手法を編み出そうとする。
公立夜間中学を設置せずに、社会教育で講座制の学びの場で回避する方法。もう一つは、教諭ではない形で雇用するやり方で人件費を抑える方法が生まれてきている。
夜間中学生からみれば、授業を担当する先生としては同じでも、教諭・常勤講師。時間講師などがある。教諭は期間が定年までなのにたいして、常勤講師は一カ年で継続が可能である。、時間講師は受け持つ授業だけを行なうなどの違いがある。
大阪の場合、常勤講師が占める割合は33.7%で以前と比べ、大きくなってきている。時間講師も362時間で、1週あたりの平均持ち時間を16時間として22~23人の教諭や常勤講師を用意するところを、時間講師で運用し、人件費を抑えている。
この手法は夜間中学の教育条件を考えたとき勧められる手法ではない。授業の展開や、夜間中学生一人ひとりの状態を把握し、教材研究を深めた授業準備を時間講師の先生にお願いする事は出来ていない。教材研究や準備まで含めた報酬になっていないのだ。授業準備と実際の授業も含め、1時間の授業の報酬単価は、経験区分に応じて、1,880円から3,350円(東京都)だという。仮に一時間の授業準備に1時間かかり、夜間中学の行事に参加をして、理解を深める取り組みをしていただいても、上の単価は変わらない。夜間中学入学者の願いに応える教育条件、教育環境になっていないのだ。
もう一つある。教員の仕事として一つの独立校並みの校務分掌がある。教員が少ないから、一人何役もの分掌を担当する。夜間中学間の会議以上に、他の校種間との交わりが重要だ。夜間中学の理解を深めることにつながり、夜間中学が今の教育現場の課題に夜間中学の立場でコミットすることは夜間中学の存在意義の一つだからだ。全同教大会で夜間中学の学校公開の依頼があったのも、この流れからだ。依頼に応えることは、教員だけでなく、夜間中学生も大変だった。しかしこのとりくみをへて、夜間中学生のことばに重みが出てきたことも実感した。その瞬間に立ち会い、身震いしたことも、全員の時間講師の先生にもその時おわけすることができていなかった。夜間中学生の変化に応える授業に結びついていないことが残念であった。わたしたちだけが得してていいんだろうか。率直な感想だ(『生きる 闘う 学ぶ 関西夜間中学運動50年』解放出版社 2019年 285~299頁)。

大阪の夜間中学50年のあゆみでは教員、近畿夜間中学校生徒会連合会が教育条件・学習環境の改善をねばり強くとりくんできたが、不十分であることの証左だ。
「教育機会確保法」公布以前からとりくみを進めてきた夜間中学も含め、教育条件、学習環境を充実させる施策をこの国は打ち出す事があってはじめて、地方自治体に「夜間中学を開設しましょう」といっていけるのではないだろうか。
同時に、夜間中学現場は「夜間中学は義務教育を受けることのできなった人たちの学びを保障するとりくみは、教育全体にどのような効果をもたらすものであるかを示し、ああ、そうなんだ、公立夜間中学を開設、することはこんな効果をもたらすんだという具体をお示しいただきたい。ここに来て、文科省も「個性を大切に」「多様性の尊重」「夜間中学の先進性」との語彙で夜間中学の存在意義を言葉にし始めている。
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