夜間中学その日その日 (780) 白井善吾
- journalistworld0
- 2021年10月9日
- 読了時間: 4分
『こんばんは、夜勉です。』-大学生が夜間中学を学ぶ-(その1)
2021.10.09
すごい夜間中学の本が出版されたぞ-っ。会うどの人にも声をかけたくなる衝動を隠せない気持ちだ。こんな感覚になるのはほんと久しぶりだ。夜間中学の「学び」を実践すると、こんな学びができるんだという主張を本書はしている。これは今の夜間中学現場に熱いメッセージであると同時に、挑戦状ではないだろうか。私はこのように受け止めている。
水本浩典/金益見編著 『こんばんは、夜勉です。』-大学生が夜間中学を学ぶ-(発売 神戸新聞総合出版センター)。神戸学院大学人文学部水本研究室に学んだ人たちが執筆者だ。

貫かれているのは、「協働」、学生と先生が「共に学ぶ」、この考え方に基づく実践である。学生がとりくみたいテーマ、これはもちろん大学の教員も未知の分野、それに両者がとりくみ、「共に学ぶ」方法で、まとめ上げられた「夜勉」の報告集ということができる。
「夜勉」は大学の授業のおわる夜夜6時過ぎから9時まで、「昼の授業だけでは足らない」、「先生、6時限目に、また演習をやりませんか」という提案を受け始まった。毎回10名にもなる参加者は「教えられる勉強」「押しつけられる勉強」ではなく、参加者がはつらつと自主的にとりくむ勉強会になっていった。内容も「近代従軍日記研究会」から阪神・淡路大震災の資料整理へと「震災資料研究会」に、そこで神戸市立丸山中学西野分校にたどりついた。旧西野分校の校舎の一角に取り壊しされず残った倉庫の中に、雨漏り水にぬれ、朽ちかけたゴミの中に西野分校の資料があることを発見し、許可を得て、資料の救出と乾燥、カビ止め、そして整理作業を経て、夜間中学に焦点が定まった。そこに、髙野雅夫夜間中学資料が加わり、資料整理を進めながら、資料の解読を参加者が各自のテーマを決め進めていかれた。夜間中学を学ぶ夜の勉強会へと進んできた。
本書に取り上げられている内容は髙野雅夫、「わらじ通信」、証言映画「夜間中学生」、丸山中学西野分校、天王寺中学、生野オモニハッキョ、ひまわり教室、麦豆教室そして定時制高校など。
実際の現場を参観できたのは、定時制高校などで、夜間中学現場からは、個人情報の保護を理由に、参観や文集など見ることも断られたりしたという。
夜間中学教員の次のような発言が紹介されている。「現場は、過去をふりかえるゆとりはないのです。過去がどうあろうが、その時代、その生徒にあった授業をしていく、それが夜間中学の教育ではもっとも必要な姿勢です。実際、20年以上も前の教材は、今の生徒に対しては役立たないと思います」。どんな流れの発言かは分からないが、今の現場の繁忙さと、夜間中学生の変化によりそこまで対応できないとの発言だと考えても、残念な現状認識だ。
ゆとりを実現するために、教員が夜間中学生と共にその状況を変えていく普段のとりくみがあったのか否か、何でもかんでも押しつけられて、「できっこない」と怒るとりくみが現場にあったのだろうか。
昨日まで昼の教育にとりくみ、転勤を希望したわけではなく、次の日から、夜間中学の教員としてスタートした。夜間中学の事はよく分からず、現実に押し流され、目先の対応しかできて行っていない状況があるのではないかと危惧する。
仮にこんな形でスタートしたとしても、夜間中学生の現実と、抱えている課題を知ったとき、どのように解決の方途を探るかを模索しながら、毎日の授業や活動を組み立てていく、夜間中学のあゆみにもあたりながら、職員会議、校内研修で議論を深めていく、現状を変える普段の努力は勿論だ。
本書では資料を読み込み、学生自らの解釈を「夜勉」で報告、議論を重ね、生み出された方法でさらに実践を進める。つぎに、出てきた、新たな疑問点を報告する。そんな積み重ねを通して、まとめ上げられていった論文だ。まさに校内研修が「夜勉」ではないだろうか。
夜間中学の現場の経験がない、大学生が、手にすることのできる、資料や課題を見つけ出し、読み込んで、夜間中学の課題を記述した各論文に、夜間中学現場は、応答していただきたいと考えた。取り急ぎ、本書を紹介する。(つづく)
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