top of page
検索

夜間中学その日その日 (788)    白井善吾

  • journalistworld0
  • 2021年11月14日
  • 読了時間: 5分

『こんばんは、夜勉です。』-大学生が夜間中学を学ぶ-(その6)

                             2021.11.15

 岩井好子さんは天王寺夜間中学を退職後、夜間中学卒業生に乞われ、1986年6月、JR寺田町駅の50m桃谷寄りの青丘ホールに自主夜間中学・麦豆教室を開講された。私が麦豆教室を最初に訪れたのは、1987年7月、毎年、静岡県で開催していた「夜間中学増設運動全国交流集会」の打ち合せで寄せていただいた。夜間中学で毎日の授業に苦しみ、どんな展開をするか、四六時中そのことで頭一杯というのがその頃の私であった。教室に入ると、学習者一人ひとりの状況が頭に入っている、岩井さんは練り上げられた教材が次々と出てくる授業展開と学習者の質問に返す、切り返しの鮮やかさにはリズムがあり、飽きさせない展開はうらやましかった。

 何も知らなかった私は、「麦豆教室」のいわれを質問した。9章「識字教室・麦豆教室とひまわりの会を比較する」で藤田真樹さんも書かれているように、「オモニたちの故郷、朝鮮では邑の長老がソダン(書堂)で千字文を教えたといいます。長老へのお礼は麦一握りでも豆一合でもよかった。この故事に習って名付けた」と岩井さんは私に説明した。守口夜間中学でこの話をすると、自分の祖父も、ソダンの先生で、村の子どもたちがたくさんやってきていて、授業料はなく、豆や麦、野菜が届けられていたと当時のことを話された。

 発足間もない頃の天王寺夜間中学は、修業年限は3年で、在籍1年~2年で卒業していく夜間中学生も多かった。未就学であった夜間中学生も中学校は3年ということで、卒業となった、夜間中学生も多かった。修業年限の延長を夜間中学生はねばり強く要求し、4年に、そして6年にと在籍年限の延長を実現していった。そして岩井さんの退職を待って、もっと学びたいと麦豆教室に集まってきた。



 麦豆教室と夜間中学の学びの違いについて、藤田真樹さんは次のようにまとめられている。「授業の科目や時間数がある程度決まっている夜間中学とは違い、麦豆教室では生徒の今知りたい事を自由に学ぶことができた。麦豆教室で行なわれる岩井の授業は夜間中学で行なわれていた授業より数段自由度が高い、生徒の学びたいことにより即したものであった。さらに、自分の意見を他の人に話し、他の人の意見を聞くことでさらに考えを深めることができるのも、一人で勉強する際にはできない麦豆教室ならではの学習であった」。

 私がこのことに気づくのに長くかかった。夜間中学生から質問があって、教材化しても、前置きが長すぎて、肝心の質問の答えに到達したときは、何時間もあと、質問した夜間中学生の熱も冷めてしまっている展開が多かった。夜間中学生も一日も休まず出席できる人は少ない。その一時間の授業できっちり答えに到達し、次の時間に休んでも、理解が積み上げられる授業の組み立てに努めた。

 藤田さんも指摘されているように、麦豆教室の活動は教室の中にとどまることはなかった。積極的に教室の外に出て行かれた。天王寺夜間中学講堂で行なった近畿自主夜間中学合同運動会の様子は『文字はいのちや、学校はたからや』(開窓社刊1990.10.15)に写真が収録されている。2002年7月、髙野雅夫氏の呼びかけに応え、夜間中学生が韓国京畿道安養市の安養市民大学を訪問したとき岩井さんもお越しになっていた。奈良市「なら・シルクロード博覧会」(1988.4.23~10.23)に麦豆教室は参加されていたが、当時の私は完全に見逃していた。その着眼点はさすがだ。




 識字学級ひまわりの会の「始まりは地震だった」。1996年9月から始まった。震災直後多くのボランティアが被災地支援に入った。曹洞宗の僧・藤井隆英さんは年老いた被災者たちが公営住宅の入居申請などいろいろな場面で読み書きができない悩みにぶつかっている事実を知った。「文字を通して心の交流ができないか」と考えた藤井さんは、西野分校を退職された、桂光子先生も「もっと学びたいのに、卒業後は勉強する場所がない」との声を背に学びの場所を探していることを知った。

 藤田さんはこの経緯を「読み書きに不自由している人たちのため、(神戸市)長田区で識字教室を行うという藤井たちの活動に、西野分校の元生徒たちのために生涯学べる場所をつくりたい、桂の思いが加わり、ひまわりの会は始まった」と記している。

 ひまわりの会で学ぶ人たちを「学習者」、ボランティアスタッフを「協同学習者(支援者)」と呼び、「生徒と先生ではなく、共に学びあう場所だとの思いがあるためだと、藤田は書かれている。夜間中学の教員は夜間中学生のことを「生徒さん」と呼ぶことが多い。とても「生徒」とよびすてにできないのだ、年齢的にも夜間中学生の方が年上ということもあるが、実践に裏付けられた説明はなかなかのもの、私も何度も救われたし、教えてもらったこと限りない。とてもよびすてにはできないのだ。私は「00さん」と名前で読んだり、第三者に説明するときは、「夜間中学生」はということにしている。呼び方一つとってもそこに考え方が濃く表れている。

 藤田さんはひまわりの会の変わらない基本方針をもう一つ紹介されている。「獲得した文字という道具を使って、自分の暮らしを、歩いてきた道を、あるいは希望を綴る、表現するのがこの教室の目的」という考えだ。

 藤田さんは、二つの識字学級を設立の経緯、授業、参加者、作品の展示の4項目で比較を展開されている。昼の義務教育の枠内では見えなかった夜間中学や識字学級の「常識」は私には抵抗なく首肯できるのだが、昼の義務教育にどっぷりつかった人たちにはどのように受け止められるだろう。自己点検、相互点検を進める議論こそ大切なのではそんな主張だと受け止めている。


*髙野雅夫編著『チャリップ』は 

白井善吾(メールアドレス zengo1214@hotmail.com)に連絡ください、10,000円+送料として11,000円でお送りすることができます。

*本書の編著者の水本浩典・金益見さんの出版書籍は、最寄りの書店でご注文いただくと対応できるとのことです。(続く)


 
 
 

Comments


Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page