夜間中学その日その日 (794) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2021年11月30日
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畝傍夜間中学公立化30周年の記念行事 2021.11.30
畝傍山を背に、近鉄電車の車窓から、畝傍夜間中学の校舎が見ると、「文字はいのちや 学校はたからや」夜間中学生の筆になる文字が目に飛び込んでくる。

2021年11月28日、畝傍夜間中学公立化30周年の記念行事が開かれる日だ。30年前、開校入学式があった、集会室は出席者で一杯であった。その写真が『新編文字はいのちや、学校はたからや』(開窓社)の表紙に採用されている。学ぶ場をかちとる闘いが30年の時間を経て、どんな変化を生んでいるのか、それを確かめたくて、記念行事に参加した。
会場の体育館の壁面には(左)に「文字はいのちや」の大きな文字の下に、共同作品の学級歌、そして(右)には「学校はたからや」下に大和三山の貼り絵と開校入学式にも飾ってあった、「かしはら自主夜間中学ただいま勉強中の」看板が間隔を開けて置かれた椅子とまもなく始まる会場を見つめている。
定刻、在校生の司会で始まった。生徒会長は「みなさんは在校生の第2の家族です。ひびきの先輩と一緒に畝傍夜間中学を守っていこう。学習成果を見ていただきたい」と挨拶した。
うねび夜間中学を卒業後も毎土曜日、畝傍夜間中学に集い、学びの場「ひびき」で活動を行なっている。かしはら自主夜間中学、畝傍夜間中学、そして「ひびき」で学んでいる人たちの発表から始まった。
障がい者用意思伝達装置トーキングエイドを使って打ち込んだ作文を機械が読み取って、聞いてもらう方法で発表した。以前は夜間中学の教員に、押さえた、あいうえおの文字盤を読んでもらう方法で集会でも発表する方法であった。車椅子で発表台の前に立つ彼女は、会場に流れる自らが時間をかけて書いた作文の音声に、笑い声を出して応えていた。
「ひびき」に学ぶ85才のオモニの発表の後、娘さんが「私とオモニにとって夜間中学」の題で発表した。「(訪問した学校の)子どもたちの前で堂々と自分の経験を話し、教育がいかに大切か、学べることがどんなに幸せかと話している姿を見て、娘として本当に誇りに思いました」。夜間中学が今、存在することの意義のひとつ、「夜間中学は夜間中学生の家族にも大きな支えとなっている」を証明する発表であった。
卒業生先輩の発表を受け、在校生の発表があった。闘いを乗越え、獲得した学ぶ喜びを途中から、用意した原稿を横に、自分のコトバと間合いで発表されている姿に感銘を受けた。
94才の在校生ははじめに、「今日、孫が大阪から2人来てくれています」と紹介をして、「私が今、夜間中学で学ぶ理由」という題で発表した。「私はけっこんして、4人の子どもを産んだんですけど、絶対叩かんとことと思いました」と語り、子どものとき、父親にキセルで頭を「カチン」と叩かれた出来事を紹介した。「目から火が出るほど痛かった」「今は痛ないけど、頭を押さえて痛いところを確かめることがあります」と語った。何を私たちに主張されていたのか?私には受け止められず、おさまりどころがなかった。
集会の終わりにあった、橿原に夜間中学をつくり育てる会代表の挨拶で合点がいった。ただひとつ、不満を言えばと、厳しい挨拶であった。「生徒さんの作文は全て感動的で素晴らしいけど、道徳教育の完成形と紙一重と感じました。やさしい先生と親切な学友、育てる会に感謝して、夜間中学での学びが人生を豊かにしているというストーリーです」と話し、そして「恨みを晴らして恩返しする」という意味の中国のことわざを紹介した。
この記念行事の二日前の天王寺夜間中学での出来事が好対照だ。天王寺夜間中学の廃校の計画について大阪市教育委員会の説明と夜間中学生の意見を聞く集まりが天王寺夜間中学で行なわれた。この事を知った天王寺夜間中学同窓生が、集会に駆けつけた。これら同窓生を前にして「今日は在校している人しか参加できません」との管理職の対応であった。一方、自主夜間中学以来34年、卒業生、在校生、教員、サポーターが一体となって続いている畝傍夜間中学の学びの違いが歴然となった。

夜間中学教員は表に出ず、縁の下の力持ちになって、進行を支える。どんなに時間がかかっても、とれる手段に知恵を絞り、時間をかけ準備し、学習者の発表を実現させる。そんな執念がにじみ出た記念行事ではなかったか。夜間中学卒業者の会も大きなヒントと力を得た。
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