夜間中学その日その日 (806) 白井善吾
- journalistworld0
- 2022年1月31日
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夜間中学の存在意義(1)教育関係者の学びの場・夜間中学 2022.01.31
国や財務省の「学齢時、義務教育を受けることのできなかった方々に学びの場をもうけています」との恩恵思想を乗越え、夜間中学が今存在することの意義について書いておく。
夜間中学の理念と存在意義の1点目「夜間中学は教育関係者が学ぶ場である」から述べる。
教育関係者として、当然認識し、理解しておかねばならない事柄が、日常的に夜間中学では提起されている。たとえば夜間中学で学ぶ在日朝鮮人生徒からは、戦争、強制連行や皇民下政策などの植民地支配、指紋押捺問題、子どもや孫の教育の問題など、在日朝鮮人教育に関わる諸問題である。また中国からの引揚げ帰国者やその家族からは、日本の植民地支配や中国から見た日本という国、日本の教育や労働、定着自立への努力の中に映し出される「日本の国」についてである。
夜間中学現場は、教員としてどういう立場に立ち、どう関わるのかが問われ、観念ではなく、その行動が問われている。これを回避しての教育活動はありえない。このことを髙野雅夫さんは「夜間中学は教師の道場だ」と述べている。
守口夜間中学では積極的に学校公開を行っている。もう24~25年になるが新転任教職員研修も夜間中学で行っていただいている。夜間中学の授業を参観するだけでなく、夜間中学で授業をしていただくことも行なったことがある。参加者が書かれた感想を紹介する。
「言葉が心に響くことはなかなかないことです。私が教師になって3ヶ月。子どもたちに言葉で心を響かせたことがあったかと思うと疑問です。今日の三中夜間の生徒さんたちの話は本当に心に響きました。生徒さんたちが私たち教師に向けて言われたことは本当に貴重な言葉です」
2004年11月全国人権・同和教育研究大会が大阪で開催され、守口夜間中学では学校公開を行った。200人近くの参加者にお越しいただいた。参加者の感想を紹介する。
「私の母は部落差別によって、文字を奪われました。私がそのことに気付いたのは、母が病床についてからでした。病床について、簡単な計算と文字の書きとりがあったそうです。2名ずつ一緒に、母の前の人はすべて計算し、文字も書いたそうです。母は文字が書けないことを伝えられず、『わすれた』とすべて答えたそうです。結局老人性認知症と誤診され、寝たきりになりました。文字が書けないことで(部落差別によって)差別は心も体も奪います。今、自分が部落問題について学びだし、母のことを誇りに思えるようになりました。夜間中学のみなさんと同じような年代です。母と重なり、涙が止まりませんでした。ぜひがんばってほしいと思いました。母のような差別の犠牲者がいなくなるように、私も声を大にしていきたいと思います」
夜間中学生はこの日来校された、初めて会う人たちに、人生の辛い出来事を言葉にして語る。それを受け止めたこの日の来校者は、夜間中学生の問いかけに応えるため、自分の人生の辛い体験をまず、明らかにしてから語りはじめる。そんな場は教員も生徒もない、すべてが学習者になる。そんな場に身を置いて、授業中の出来事、子どもが語った言葉の意味を反芻してみる。するといろんなヒントが得られ、アイデアが浮かんでくる。私の場合はそうであった。ゆっくりと時間が流れ、こんな想いになれる場所は夜間中学であった。後でわかったことだが、私も夜間中学から昼の学校に転勤したとき、子どもの話をじっくり聞き、子どもも心を開いて話す、そんな先生に改造されていた。夜間中学だけが特別でない、昼の子どもたちとの場でもあるはずだ。
それにしても私たち夜間中学の教員だけのものにしていてはいけない。多くの先生たちにも知っていただきたい。そんな想いで、学校公開を積極的に呼びかけていった。

ある時、私たちにも夜間中学の授業を体験させてくれませんか。そんな申し出があった。夜間中学生に伝えると、大賛成やと答えが返ってきた。昼の先生は、自分たちが温めてきた授業内容が、夜間中学生はどのように受け止められるか、夜間中学生の胸をかりたいとの申し出である。そして実現した。
もちろん夜間中学の教員もその場を最大の学びの場と考え、参観させて頂いた。
おそらく、夜間中学が持っているそんな役割のことを「夜間中学を開設してください」、「開設しなければ」と考えられている行政担当者や首長は特に認識頂きたい。
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