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夜間中学その日その日 (816)   砦通信編集委員会

  • journalistworld0
  • 2022年4月3日
  • 読了時間: 5分

第6回夜間中学生寄席             2022.04.04

 午後はあいにく雨の、しかも大きな雨になるとの予報。出にくい条件にもかかわらず、県外からの参加者も含め、30名。この日のテーマは 「東大阪の夜間中学2校体制を守り抜いた生徒会」を中心に夜間中学の生徒会活動についてだ。文の里、天王寺夜間中学の廃校の闘いに大きなヒントを得るべく、夜間中学生、卒業生、夜間中学同窓会、元・現教員、一般が熱い討論を行った。

 報告では写された当時の映像が流された。1993年から2001年にわたる分教室独立化運動、東大阪の夜間中学の2校体制を守り抜く闘い(2015~18年)では改めて思ったのは、マイクを持つどの夜間中学生も書いたものを読むのではなく、自分の言葉で、説得力のある、話している姿が映し出されていた。自信をもって話しているのだ。こんな力を獲得できた夜間中学の生徒会活動と夜間中学の学びが話題提供された。



 夜間中学生が書いた文章が記されていた。一部を紹介すると、「何回もの交渉、教委は私たちを苦しめているように思えた。大人の学校だから、朝鮮人の多い学校だから字を覚えるだけでなく仲間を増やして団結の精神をもって何事にも前向きに頑張り続けていきたい」「歴史を知り、自分がしっかり立つこと、声を出すこと、人を信じ仲間の大切さを、しかし仲間同士の痛みをなめあうだけでなく、前向きに歩かねば後に道はできない」「読み書きができなくても生きてきたことに胸を張れる学びを」。闘いの中で生まれた言葉で、卒業にあたり語ったコトバだそうだ。文の里・天王寺廃校阻止の闘いに活きる言葉であり、生かしていきたい言葉だ。

 語られた言葉では「夜間中学が抱えている課題を解決する学びを提供する」「生徒会は生徒のためのもの、先生、黙っといてください」「夜間中学は、誰が、誰のためにつくったか」がある。

「ソウルのオモニハッキョの73歳のハルモニが語った『一回でよいから、学校で学びたい!』の意味」「獲得した文字とコトバがどこまで通用するか」「太平寺の独立校化の闘いで問われた」写された映像で髙野さんは語っていた。

 髙野さんも、ジャンバーを取って、髙野さん流の“正装”で次のように報告した。「殿馬場、八尾、長栄の夜間中学が今年、開設50年を迎える。やろうやろうといって声をかけるが反応がない、さみしい。死んでも死にきれない。82歳、最後の挑戦をする。最後の闘いに勝利することを宣言したい」と。

 報告を受けた討論では、厳しい発言もあった。どうしてと尋ねても、納得のいく説明が先生から聞けなかった。夜間中学のことに理解のない先生が夜間中学に来ている。勉強して来てほしいし、私たちの中に入って、勉強してほしい。この夜間中学生寄席の集りのこと、学校の先生は紹介してくれなかった。友達の連絡で参加した。廃校を出してきた背景がよくわかった。先生は公務員だから教育委員会のいうことに声を出しにくいのだろうか。橋下知事になり、学校の様子が変わってしまった。就学援助、補食給食の支援を廃止し、公務員の首切り、統廃合をして金を浮かして、儲かると思っている、万博やカジノに税金を使う、「株式会社大阪」になってしまった。私が夜間中学に通っていたときの先生は偉かった。魂をこめて意見を言うてくれたし、私らができんことをやってくれていた。

 コロナウイルスの蔓延が加わり、夜間中学生徒会の行事も持てず、活動ができにくい状態を狙ったかのように、出てきた廃校計画。生徒会として取り組める、さまざまなことを実行している。その一つが議会に陳情書を出し、記者会見を開くことだった。その動きをブロックする先生があった。教育委員会の顔色を窺っていて、完全にアウトだ。



 参加者から次のような決意表明が語られた。

「私は40数年日本で暮らしてきました。夫が9年前、認知症となり明日どうなるかもわからない状態です。夫がなくなったら、日本の私のくらしはどうなるか、不安な状態で暮らしていました。毎日通ってきてくれるヘルパーさんはネパール人で自分の名前をカタカナで書くのを見て、「あんた何処でカタカナ学んだの」と聞くと「夜間中学に1年間通って習いました」との返事。地図を出してきて、ここの学校、あそこの学校と夜間中学の場所を教えてもらって考えたんですが、やはり通えるのは天王寺しかなかった。夫がいってしまっても、生きる道はあそこだと思って、天王寺夜間中学に入学したんです。

 しばらくして、廃校問題が起きたんです。初めて聞いたとき、「わたしに死ね」ということやと受け取りました。

 それまでの生徒会活動は週1回、20分開く生徒会、それだけでした。廃校問題が起きると、私たちの後ろには卒業生がいてくれ、同窓会があることを知りました。

 同窓会の人が夜間中学に来て、そこで一言一言、話すのを聞きながら、私は涙が出てきました。私たちだけではない、同窓会があり、後ろで先輩たちが守ってくれているんだ。一緒に闘おう、そんな気がしました。

連合会長がおっしゃた通り、韓国から来たもんやから、言葉もよくわからないもんやけど、やる気は満々ですねん。どうすることもできなくなったとき、私たちは市役所の前にテントを張って、夜間中学廃校撤回を訴えて闘うつもりです。

 夜間中学はただ文字を学ぶだけの学校ではありません。学校は私の命なんです。さそわれて、今日ここに来ましたが、20数年前、東大阪で、同じ廃校問題があることを知りました。そこで闘った先輩の話を聞きながら、いやあ、あの先輩たちよりもっとやろう、もっとやりますよ」。拍手が起こった。

 寄席の運営についても意見があった。もっと広く、一般の人にも夜間中学のことを知ってもらえる集まりも考えたらどうだろう。

 
 
 

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