夜間中学その日その日 (836) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2022年8月7日
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2022年度 第3回 夜間中学卒業者の会総会 2022.08.08
2022年度の夜間中学卒業者の総会を開催した。
「水分を十分とって、室内で過ごして下さい」とアナウンサーは繰り返し言っている。じっとしていても体から汗が噴き出すこの過酷な時期を選んだかのような日の開催となってしまった。
2022年8月3日、日中の日差しを避けて、4時半開催にしたが、奈良、兵庫から30名を超える参加者にお越しいただいた。もっとも暑い時間帯を移動しなければならないのだ。早くに開催日程をきめ、変更することもできない重要な内容もあった。

第1部総会のあと2部で、緊急出版『天王寺・文の里夜間中学の存続を』の出版記念会を行ない、その普及をとりくみ、大阪市教育委員会に夜間中学存続の決断を促す大きな世論へとの想いがあったからだ。
夜間中学卒業者の会は在校生、卒業生、教員、元教員を中心に、市民の参画をえて、夜間中学に関わるさまざまな活動を創造的に推進することをめざしてとりくんでいる。具体的には「夜間中学生寄席」「水平社博物館出展と現地学習会」「夜間中学開設運動に寄与するとりくみ」を行なっている。
大阪市が天王寺・文の里夜間中学を廃校にする計画をもっていることが明らかになった、2021年10月24日以降、計画撤回に向け、近畿夜間中学校生徒会連合会の行動に参加し、とりくみの様子を取材、機関誌を通して伝えていく活動に卒業者の会も力点を移していった。事務局会は、廃校問題の資料分析と記録の整理を行ないながら、廃校問題を打ち破る理論と実践を「夜間中学生寄席」で提起をいただき議論を行なった。各回のテーマ以下の通り
第4回「戦争を生き抜いた私の人生を語る」洪玉山・高玉貞(2021.08.21)。 第5回「『夜間中学の責任-新渡日の生徒のために-」西尾禎章(2021.11.23)
第6回「太平寺夜間中学の生徒会活動とは」藤井和子(2022.03.26)
第7回「夜間中学開設と在日朝鮮人教育運動の広がり」林二郎(2022.07.02)。
また、総会では2022年度の活動方針として以下の8点を確認した。
①シンポジウムの企画(市内夜間中学再編、耐震工事、新校舎建設、2020国勢調査の分析、緊急出版『天王寺・文の里夜間中学の存続を』を読む)
②各夜間中学、開設50年のとりくみに協力
③会誌「砦」発行/「夜間中学その日その日」に投稿し、WEBで公開
④髙野雅夫「夜間中学資料」整理活用作業、夜間中学開設に向けた全国行脚、映像化作業
⑤南河内自主夜間中学・三島地区・泉佐野市増設にむけた資料作成
⑥近畿夜間中学校生徒会連合会の行事に参加していく
⑦夜間中学生寄席の企画とその常設化
⑧『生きる 闘う 学ぶ』『天王寺・文の里夜間中学の存続を』など出版物の普及。
総会に続いて、緊急出版『天王寺・文の里夜間中学の存続を』の出版記念会を行なった。8/5発売を前に、執筆者、関係者の参加を得て、リレートークを行なった。執筆に当たって、考えた事、私たちは何をいまとり組むべきかを中心に発言をお願いした。その報告は別の機会にすることにしたい。ここでは編集作業を行ない、出版できたいま、少し感想を書いておきたい。
廃校反対の夜間中学生の行動は新型感染症がまん延する中、さまざまな制約が加わり、開催が大変困難な状態がいまも続いている。高齢者が多い、夜間中学生徒会は特段の注意が求められる。家族からも、バス・電車で通う親の健康を考えて、ストップがかかる夜間中学生も少なくない。2回目の街頭署名活動(1/30)も直前に中止になった。実施か、延期か、その会議もリーモートの会議になった。
しかし、こんな状況下、できることがあるはず、46,000を超える署名やそれに同封して、送られてきた手紙がある。それらを夜間中学生が読み、意見を交流して、自らの考えを文字にする。役員代表者会の報告や、大阪市教育委員会に署名手交をしたときに語った夜間中学生の発表を書いた生徒会の新聞が臨時で発行される。これらをその場限り、一回限りにしてはいけない。それらを収録して、次のとりくみにつないでいく。そんな記録にまとめておきたい。全国からお寄せいただいた署名にたいし、現状の報告を届けることもできる。夜間中学卒業者の会が冊子発行を提案、出来上がったのが緊急出版『天王寺・文の里夜間中学の存続を-生きる権利と学ぶ権利がすべてに優先する-』だ。音声記録を文字にして、夜間中学生の光り輝く、「コトバ」に圧倒された。その場にいなくても、よく読み込んで、次の場面では先頭に立てるはずだ。編集作業をしていて確信した。

大阪市教育委員会や、市議会の教育子ども委員会の議論を聞いていて思ったことがある。「夜間中学をどのようにみて、考えているか」ということについてだ。廃校にする理由として、担当者は「夜間中学の生徒数が減ってきましたから」という。歴史を変えてはいけない。
2019年の大阪市在住の夜間中学生は334名。市内の夜間中学に174名、大阪市以外の夜間中学に160名(48%、)ほぼ半数が通学している。逆に市外から大阪市内には25名が通学している。夜間中学は大阪府下が校区である。府外の人もいま学ぶことができる。このアンバランスはどうして生じたのだろう。
理由ははっきりしている。9年間学ぶことができるにもかかわらず、校長が、6年目を迎えた人、一人ひとりと面接を行ない「卒業勧奨」をしているという。夜間中学生の尊厳を奪うひどい言葉を使っていたという。入学に当たっても、管理職が面接し、「私が話している日本語が分かるようになったら来てください」といって入学できなかった。ある学校では、426名の在籍生徒数を7年間で113名に減らしている。ある年度では99名も減らせている。市内から市外の夜間中学にと移動が起ったのだ。こんな扱いを、改めさせることができなかったのはなぜだろう?(『天王寺・文の里夜間中学の存続を』54頁)
人為的に生徒数を減じることを行なったにもかかわらず、市教委の担当者は自然減のように説明をし、市議会で議員に説明している。
学齢の時に義務教育を受けることができなかった「気の毒な人たち」が学ぶ場を「設けてあげています」という「夜間中学観」があるのではと考えたくなるやりとりがある。
この夜間中学観に対峙する一文を紹介する
各夜間中学には先輩から続く文集がある。天王寺夜間中学の文集「わだち」である。「わだち」は馬車などが通ったとき後に残す車輪の跡のことを云う。「わだち」一号には「私たちのわだちは、教育国家日本に夜間中学生が印ししていったものです。夜間中学生がいる。そして、今も、そのわだちを、苦しみの中から、怒りの中から、哀しみの中から、学べるという喜びの中から、夜間中学生の生きている印しとして、毎日毎日、少しずつ、日本の教育史上に残していきます。それこそが、この”わだち”の命です」と書いている。(同 52頁)
教育行政担当者は歴史を学び、謙虚に耳を傾け、政治にこびない、教育の主張をする役割がある。長くなってしまった。出版記念会のことは別の機会に。
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