夜間中学その日その日 (851) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2022年11月6日
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近畿夜間中学校生徒会学習会/決起集会 (1)
「生・闘・学」 2022.11.07
近畿夜間中学校生徒会連合会は2022年11月5日、「学習会/決起集会」を東大阪市立荒本人権文化センターで開催した。
近畿夜間中学「50年」やっとたどりついた「学校」「学ぶことは 生きること」-今・これまで・これから- 天王寺夜間/文の里夜間の「学びの灯り」を消してはいけない!・・・この日の学習会テーマである。
生徒会連合会に集う、15校の各夜間中学がとりくんだ学習の成果報告する、熱い集会となった。何回かに分け報告をしたい。

髙野雅夫さんが、記念講演 「近畿夜間中学『50年』『学ぶことは 生きること』-夜間中学のあかり-」を行なった。
証言映画「夜間中学生」の制作から、夜間中学開設運動にとりくみ、89名の義務教育未修了になった人たちの力で、公立の天王寺夜間中学を開設した、大阪214日の闘いを、貴重な資料をスクリーンに投影して語っていった。
髙野さんは演題の「学ぶことは 生きること」について、「一つ抜けている」と会場に問いかけた。何だと思いますか?・・・しばらく間をおいて、・・・「闘うこと」だと語った。
もっと深めていただきたい、写真もあったが、時間の制約もあり別の機会に譲らざるをえなかった。「全体を通して?」の問いかけに対し、髙野さんは、母校の同級生の書いた、つぎの3つの詩を朗読紹介した。
私の手 江草恵子
私の手は/17才の細く白い手ではない/30代の手みたいに/太く短くふしくれだっている。/そして見るからにごっつい。/私はなぜ/こんな手にならなければ/いけなかったのだろう。/だれが/私の17才の手を/こんな手にしたのだろうか。/私は/一日中ペンと紙を相手に勉強がしたい/そして/もう一度/細く白い17才の私の手に/私の手にしておくれ。
東京・荒川九中夜間中学校3年(17)プラスチックほうそう
私の家族 辺見美紗子
父
家にはいったきりの父/青白色い顔には/つかれがいっぱい/私は ただ見つめているだけ。
母
背中のまがっている母/どこの人が着るのかわからない服を/一針一針/細く あわれな手でまつる/この服を 着る人は/どんな気持ちで着るのだろうか。
兄
私の兄/無口でおとなしい兄/その兄が家出してしまった。
弟
私のすぐ下の弟/体が悪くて運動ができない/心臓弁膜症とわかっていながら/なおしてやれない。
死んだ妹
生まれて間もない妹を/涙をこぼしておいて去った母/どこの人かわからない人がつれてゆき/三日目で死んだ妹/母は妹の死をきくと/気がぬけたようになってしまった。 東京都荒川九中二部2年14才 洋服かがり
夜間中学 多胡正光
夜間中学はなんであるか/どうやってつくったか/げんいんは/だれがつくったか/ぼくは知りたい 荒川九中二部2年 14才 家具とそう
髙野さんは読み上げる順番がある。江草恵子「私の手」。次ぎに、辺見美紗子「私の家族」。最後に多胡正光「夜間中学」の順で朗読するという。どうしてこの順番なのか?あるとき、たずねたねたことがある。
夜間中学の学びの中味に深く関係しているという。髙野さんは次のように説明した。夜間中学の学びを通して、個人の次元から出発して、次ぎに身近な家族に認識が広がり、そしてその認識は社会に向けられ、深化していくのだと。
髙野さん自身が、荒川九中夜間中学の学びを通して身につけた認識の順序で、状況を切り拓く「武器になる文字とコトバ」にこだわる、学びにつながる。髙野さんは次の言い方もしている。
「文字とコトバを奪い返すということは、ただ単にべらべらお喋りするんではなく、自分が感じたことを自分が言いたいことをちゃんと正確に喋れる。さらに自分が喋りたい権利まで、場所まで、ちゃんと奪い返すことなんだ」
「今までたたかうということは腕力とナイフしかないと信じていた僕が夜間中学で学ぶうち、本当にたたかうということは教育という武器を磨いて、ものごとを社会を客観的に科学的に把握し、自分のたたかう相手を正しく見極め行動するということを自覚した」
集会参加者は、髙野さんの朗読する声を聞きながら、「天王寺・文の里夜間中学の廃校」を目論む大阪市教育委員会にたいし、撤回を迫る闘いの中で発揮しようと決意した。(つづく)
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