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夜間中学その日その日 (862)   夜間中学資料情報室

  • journalistworld0
  • 2023年1月3日
  • 読了時間: 6分

夜間中学の学びの創造         2023.01.03

 新しい年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 次ぎに、「今日的な夜間中学の学び」の内容を明らかにすることが急がれていることについて述べる。


公立夜間中学の現在の新設状況は、千葉県松戸市立第一中学校みらい分校、埼玉県川口市立芝西中学校陽春分校(2019.04)。茨城県水海道中学校(2020.4)。徳島県立しらさぎ中学校、高知県立国際中学校(2021.4)。札幌市立星友館中学校、相模原市立大野南中学校分校、香川県三豊市立高瀬中学校、福岡市立きぼう中学校(2022.4)。そして本年4月には仙台市、千葉市、静岡県、姫路市に公立夜間中学が開校となる。一方、全国的な開設状況下、大阪市教育委員会は市内夜間中学の統廃合を計画し、夜間中学生を中心とする反対運動にもかかわらず、未だに、その計画を断念するとは表明していない。

 1969年以降、夜間中学開設市民運動により開設されてきた公立夜間中学に加え、2016年以降、「教育機会確保法」の公布により、国は最低一県一校の開設、そして政令市にも一校の夜間中学開設をとの流れの中で、開設市民運動がない地域での行政主導の夜間中学の設置が続いている。

 ある新設の夜間中学の管理職はその地域に40年以上活動している、自主夜間中学とは隔絶して「新規に開校した本校は、夜間中学におけるパイオニア的存在であるため、ここでの教育実践が、これからの他県で新設されていく夜間中学のスタンダードになっていく可能性がある。今後もフロントランナーとして、常に挑戦と改善を続けていくことは、本校の使命だと考えている」(「都市とガバナンス」Vol.35 2021年)と述べている。

 半世紀にならんとする大阪の夜間中学においても確固たる夜間中学の学びの実践が確立できているとはいいがたい。というのは、夜間中学は社会の変化を真っ先に受けるところだと考えている。夜間中学は“救急病院”だと言われるように、夜間中学に“たどり着けた”人たちの層はその時々で異なるのだ。筆者が夜間中学の教員としてスタートした時、ニューカマーの人たちは少なかった。学齢時、家計を助けるため、学べなかった大人の日本人、在日朝鮮人、中国からの引揚げ帰国者、そして登校拒否、卒業拒否をして夜間中学に来た10代の若者。この人たちが中心であった。同じ大阪の夜間中学でもその構成は学校によって異なっていた。状況も異なるが、それらを貫く学びの共通点があるはずだ。夜間中学現場にそれを明らかにしていただきたいと考えている。

 私の場合、このような夜間中学にたどり着いた人たちを前に、どのような学びを創造するか、まず、明日の授業をどう組み立てるかに直面した。年齢、国籍、就労、就学経験の有無、日本語の理解、学級内でもその状態は一人ひとり異なるのだ。昼の学校の時がどれほどけうらやましかったことか。授業準備をしながら何度想ったことか。しかし、使いたくても昼の子どもたちが使っている教科書は使えない。自分の専門教科は見通せるが、専門教科以外の授業も担当するのが夜間中学教員である。昼のカリキュラムの流用を克服し、学びの組み立ては、先輩の教員の授業をカーテンで仕切った隣の部屋で聞いて学んでいたことか昨日のように思い出される。校内研修も、夜間中学生ひとり一人の状況を報告しながら、認識を共有し、授業の組み立てを報告、率直な批判と助言をしあう。学校を超えて、夜間中学の教員同士でも行いながら認識を深めていった。

 授業の準備だけではなかった。夜間中学生から様々な相談を受けるようになると、夜間中学生の登校を阻害している問題の解決に家庭や職場訪問だけでなく、さまざまな機関に相談に伺うことも多くなった。病院、市役所教育委員会、生活保護担当課、職業安定所(ハローワーク)の担当者に面談し、夜間中学の理解を求めることから始めた。他の行政区の一教員が訪問し怪訝に想い、守口市の教育委員会に問合せの連絡が入ることもあった。そんな動きも、夜間中学生の想いを満たすことはできなかった。スピードアップが求められた。授業の準備が十分にできず、教室に行くこともあった。苦し紛れにその日あった、生活保護担当者のやりとりをクラスで報告することもあった。意外な展開が生まれるきっかけになった。夜間中学生が置かれている社会的状況を知り、自分たちのさまざまな体験が語られ、解決の糸口が見出すことができたそんな学びの経験ができたのだ。多様な学習者を前に、かぎられた教員体制で応えていく、この悩みは夜間中学発足当初からつづく大きな問題であった。

 そんなとき、一つの新聞記事を手にした。夜間中学生の叫びと行動に自分はどう応えるのか、今も私を問い質している叫びである。




 「オレたちの手でつくろう 私設の夜間中学 これ以上踏みつけられるのはご免だ 学習会で輪広げる 仲間集めに奔走 かえるつうしんのグループ」見出しの新聞記事がある(1973.2.2 朝日新聞)。当時の夜間中学生の声が綴られている貴重な記事だ。


「だけど、そこ(夜間中学)で行なわれている教育は、昼間の学校と同じ優等生中心主義で、ぼくらのような劣等生ははじき出されてしまう」

「夜間中学でも毎日きちんと行ける人はまだしあわせ。ぼくには仕事も家庭もあって、行きたくてもいけない。残業の多い職場で働いている人も同じだ。そういう連中はとり残されるしかない」

「授業がわかってもわからなくても、3年間通えばトコロテン式に卒業させられる。これではなんのために、わざわざ夜間中学にいくのか」

「昼の学校はもちろん、夜間中学でさえしょうがい者は軽度の人以外はなかなかうけいれてくれない」

「そこ(夜間中学)もぼくらを温かく迎え入れてくれるところではなかった」


 この現状にたいし、「かえるつうしん」のメンバーは「彼らは去年夏頃から月一回、学習会を開くようになった。授業でわからないことをお互いに教え合う。それだけではなく、なぜ夜間中学が生まれるのか、その社会的背景まで突き詰めるようになった」と記事では書いている。東京で髙野さんたちが「私設夜間中学」の活動を行なっている時期だ。

 


 はじめに紹介した「フロントランナーとして、常に挑戦と改善を続けていくことは、本校の使命だ」で夜間中学は成り立ってって行かないことはおわかりいただけるだろう。しかし、次ぎに、国の意向を受けた教育行政は、今は口にしていない、「効率化」「費用対効果」を出してくる。

 

この動きが考えられるからではないが、「夜間中学の学び」の完成版はないし、絶えることない改訂が求められる。しかし実践を積んだ先発校は、現時点の到達点は示すべきだろうと考える。

2019年『生きる 闘う 学ぶ-関西夜間中学運動50年-』(解放出版社)の編集委員会で議論した夜間中学で実践してきた「学び」について以下のように文章化している。

・自己否定から自己肯定へと転換を図る学び。

・生き方、人生、生い立ちを学習の中に登場させる。

・暗記する学びからわからなければ、自分で調べる、その調べ方を学ぶ。まねをする学びを多用する。

・学習者が学ぶ意味を実感できる内容。

・指導要領のいう教科の枠に拘束されない学び。

・教える者、教えられる者の固定化を排し、その立場は変化していく学習と展開を追求する。


 飛躍の年、2023年、夜間中学、夜間中学生の大きな羽ばたきに期待しよう。

 
 
 

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