夜間中学その日その日 (890) 白井善吾
- journalistworld0
- 2023年6月4日
- 読了時間: 4分
夜間中学の動向(3) 2023.06.05
68回全夜中研大会のプログラムとして、川口市立芝西中学陽春分校で公開授業があった。数学、理科、音楽、英語、道徳(2)、学級活動、日本語全部で8種類の指導案が資料として出されていた。2時間目と3時間目、各4クラスすべてで公開された。道徳は教員が2名ずつ担当している。国籍数で10、1クラス平均9名の学習者がどのような表情で授業に臨まれたのだろうか。
私の場合、授業の組み立てと流れは緩やかに決め、夜間中学生の反応や、想定外の質問や発言があり、その展開の方が深まると判断したとき、あらかじめかんがえた組み立てに拘らないという方針に切り替えた。夜間中学生に見事に裏をかかれた経験を多く持っている。そんなとき、夜間中学の授業は学習者と教員、両者で創りあげるものだという想いを強く持った。夜間中学生の体験経験に基づく発言が授業の方向を大きく規定していたと考えている。
その授業で取り上げられなかった意見が、夜間中学生から自分の体験や経験が文章で届くことがあった。私が答えに窮しているとき、スマホが活躍した。操作に長けた夜間中学生が、いつの間にか新聞記事を検索し、読みあげる。一同が納得する。そんなことが何度もあった。夜間中学生の方がスマホの普及が教員より早かった。私はと云えば未だに導入できていない。
1987年3月、夜間中学への転勤が知らされた。すると次の心配が大きくなってきた。国籍もいろいろ、おとなの夜間中学生を前にどんな授業をすればいいのだろう?それまでに、夜間中学の授業見学をと、訪問はしたが,教室には入れなかった。教室から漏れ聞こえる声を聞くのが精一杯であったことを想いだす。手元にあった、岩井好子『オモニの歌』、山田丈夫『文字を私に』を読んで、想像するだけであった。そんな状態で夜間中学に転勤した。
改めて、『オモニの歌』を読み返した。『世界』(2022年5月号)の大門正克『生きる現場からの憲法① 夜間中学の学びと東アジアの歴史』に『オモニの歌』が紹介された。「生きる現場に憲法は届いているか」「読み書きの学びに映し出された人生」「教室から手繰り寄せた二つの『朝鮮戦争』」「夜間中学の教室を歴史と憲法に位置付ける」「夜間中学から東アジアの分断をつなぐ」「憲法の理解を更新する」「夜間中学という現場からの憲法」と夜間中学が繰り返し書かれていたからだ。
最初に書いた8つの指導案と48歳の夜間中学生の語る夜間中学の授業を並べ、夜間中学の社会的役割の観点から考えた時、夜間中学の授業について、夜間中学現場での議論をお願いしたい。

1973年4月、48歳の夜間中学生、玄時玉(ヒョンジオク)さんは開校5年目の天王寺夜間中学に入学した。1年1組は在日朝鮮人のオモニ(おかあさん)、被差別部落出身者、沖縄出身者、中国やブラジルからの帰国者、戦争や労働のため、学齢時に学校に通えなかった人が同級生である。玄さんの語りを岩井さんが聞き取り編まれた。その中に数学、理科、日本語、社会など夜間中学の授業の展開が分かる部分を参考にしたいと考え、読んだのが最初だ。
夜間中学に通うことになったきっかけ、夜間中学の行事も詳しく語られている。新入生歓迎運動会、遠足、修学旅行、「夜間中学生の像の除幕式」「文集『わだち』」、そして「52歳の卒業証書」まで玄さんの夜間中学生活が記述されていた。中でも「自分の歴史を学ぶ」の社会科の授業の展開が参考になった。昼の学校の教科に規定されることはない。教科の領域を超えて、授業を組み立てるという手法を学んだ。
夜間中学の卒業は「自分史を綴ること」を一つの目標にしている。毎年発行する夜間中学文集に掲載する文章に加筆し、新たな知見を加え自分史を完成させていく。オモニの歌には「日韓併合(1910)、米騒動(1918)、三・一独立運動(1919)、関東大震災(1923)、二次朝鮮教育令(1933)、日中戦争(1937)・・」クラスの夜間中学生の生まれた年を書いた一覧表を配り、この年表に書き加えていく授業が記されている。「朝鮮を植民地にしてしもうた一番悪い人は伊藤博文や」「いや、大久保利通や」「伊藤や大久保って誰や」「千円札の人や」「千円札は伊藤博文や、なんであんな人がお札にのってんのや」。授業の会話が記されている。「いつ日本に来ましたか」「なんという日本名をつけさせられましたか」「結婚したときは」「日本の敗戦の時は、どこにいましたか」・・年表に書き加えていく、そんな展開だ。
今の時代、夜間中学の学習者も様変わりしてきた。大きな変化だという声が聞こえてきそうだが、私はそうは考えない。オモニの歌で追求されたことは、今の夜間中学でも追求する意味があると考える。新渡日外国人生徒の学びは「働く者の自覚を持って、労働者としての権利を主張し、行動する力を獲得する」ということではないか。
私の場合、夜間中学生の文集を読みながら、夜間中学にたどり着くまでの人生、仕事、出身地、働き先などを記録して、大根アメ、ドングリ団子、ひえ団子、新暦と旧暦、十干十二支、淀川の渡し船、私が焼酎を造っていたころ、水に関する地名を捜そう、食糧問題、たたら製鉄、など自主編成の授業に活かすことができた。教科の枠を超え、「生きる・闘う・学ぶ」を追究できたと考えている。
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