夜間中学その日その日 (891) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2023年6月11日
- 読了時間: 4分
髙野雅夫夜間中学資料室だより ① 2023.06.12
夜間中学関係者の間で“夜間中学の電話帳”と呼び合っている、総ページ数1122頁、質量1800g、髙野雅夫編著『자립(チャリップ:自立)』(修羅書房 1975年)がある。目次がない大変不親切な本であるが、よくここまで収録していただいたと感嘆する、夜間中学の貴重な記録が収録されている。例えば、第18回全国夜間中学校研究大会(1971年)の記録誌は発行されていないので、議論の様子は、この本で当たる以外方法がない。

夜間中学についてわからないことがあれば、チャリップのどこかに書いてある。こんなことがあった。入学資格は最初から「府内在住」だと強弁する大阪府の教育委員会担当者に、1969年に大阪府・大阪市教育委員会が作成した夜間中学の募集要項の提出を求めたら、調べますといって、一年経っても見つけ出せないといって、出してこなかった(2004年)。『チャリップ』の600頁に「大阪府下に居住、または府下に所在する事業所などに勤務する」人とあることを指摘し、大阪府担当者の誤った認識を糾したたことがある。
夜間中学のあゆみがゆがめられ、誤った歴史がつくられてしまう例をもう一つ指摘しておく。2015年61回全夜中研大会資料集に「60周年記念大会記念事業・全国の夜間中学校―そのあゆみとまなび―」が収録され、当時あった、30校の各夜間中学のあゆみが記述されている。各夜間中学が執筆した自校のあゆみだと考えられる。証言映画「夜間中学生」は東京荒川九中夜間学級の夜間中学生・卒業生・教員が共同して制作した映画で、1969年天王寺夜間中学の開設運動に大きな力を発揮した映画である。ところが、夜間中学の歴史に大きな足跡を印した映画「夜間中学生」の記述が東京荒川九中夜間学級の記事には全くないのだ。江戸川区立小松川第二中学校夜間学級の開設は市民による夜間中学開設運動のとりくみの結果、1971年4月開校し、あわせて引揚者の日本語学級併設が6月に実現したという画期的な歴史も全く記述されず、「小松川第二中学校に夜間学級を設置」との記述である。行政が自らの考えに基づいて設置したとも取れる記述になっている。そして、このあゆみの記述を下敷きに65回大会(2019年)、67回大会(2021年)も訂正することなく、同様の記述になっている。
このほかにも詳細に資料集や記録誌を読めば誤記があるのではないか危惧する。2022年68回大会の資料集とあとで発行された、記録誌収録の「地区別・国籍別生徒数(訂正版)」記録誌(170頁)にも同じ夜間中学が重ねて統計に入れられるなど初歩的な誤記が見られた。なぜ校正段階で、チェックはかからなかったのか。夜間中学関係の論文や出版物に引用される大会資料集や記録誌である。速やかに訂正版を出し、購入者に周知する努力をお願いしたい。
『자립(チャリップ:自立)』を是非手にとって読み込んでいただきたい。収録された当時の夜間中学生の叫びを読み取り、今の夜間中学(生)を思考していただきたい。
話を本題に戻そう。夜間中学卒業者の会が(2023.05.25)開いた、「髙野雅夫夜間中学資料室」の会議で夜間中学の現在と明日を考えるため、「夜間中学開設はお願いでもなければ救済でもない。人間として当然の生きる権利と学ぶ権利を奪い返す闘いなのだ」と主張した「中学校形式卒業者」の叫びとそれに向き合った夜間中学教員の対応を例に公立夜間中学の役割について分析と議論を進めることにした。
『チャリップ』には18回全夜中研大会で発表した須尭信行さんの自筆原稿が収録されている。18回大会要項・研究資料には元原稿を編集して収録されている。これでは意味が伝わらないとして、当日須堯さんは自筆原稿で発表を行なった。
「高校の予備校化された今の中学校、エリートコースを目差す進学体制の『ひずみ』から生み出された俺たち形式中卒者に対する責任はどうするのか!?俺たちは現在教育体制の『いけにえ』になった犠牲者なんだぞ!」(略)「中学校を卒業していないと嘘をつくことを条件に入学した」(略)今俺たちが立ち上がらなければ俺たちの恨みは。俺たちの怒りは、永遠にこの世から抹殺されるぞ!」(略)「それでも嘘をつきながらこそこそ遠慮しながら学校にきた方が良いというのか」

これら主張を受け止め、学校教育制度のもつ問題を明らかにしていくことが夜間中学の存在意義だと考えるが、未解明の部分が何点か有り、元資料にあたり、解明作業が急がれる。
1976年6月5日、髙野雅夫さんは完成した『チャリップ』を車に乗せ、かつてあった、夜間中学も含め、92校の夜間中学に届けるため、東京を出発した。守口夜間中学にも寄贈を受けた初版本が2冊あった。両方とも付箋が貼られ、使い込まれていた。髙野さんは夜間開設運動の第1ラウンド、私設夜間中学の第2ラウンド、生闘学舎の第3ラウンド、そして敗者復活戦の第4ラウンドと著書で表現している。十分解明出来ていない、第2.第3ラウンドも髙野雅夫夜間中学資料室のとりくみで明らかにしていきたい。
公立夜間中学に託した生命線。そのこだわりを「昔話」として踏みつける傲慢さを自らに問いかけながら、とりくみを進めたい。
Comments