夜間中学その日その日 (902) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2023年7月30日
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7・29夜間中学報告交流集会(1)
「文の里・天王寺夜間中学の存続を」求める闘い 記録(3) 2023.07.31
この日も熱かった。気温だけではない、夜間中学報告交流集会会場がだ。熱中症アラームがでている中、多くの仲間が会場に駆けつけた。どうしても出かけるというのを家族に止められてしまいました。電話もはいってきた。
大阪市議会の議論や、4月の統一地方選挙候補者への公開質問の回答内容を受けて、夜間中学生や夜間中学現場の悩み、課題が教育委員会事務局担当者からは全く伝えられていないと考えた私たちは、直接報告する機会をと考え、この日の集まりを企画した。
「状況は、去年の夏から変わっていません。6月市議会でも夜間中学については議題になく、このまま9月議会を迎えることになる。どうするのか、早く決めてほしい」。5月末の担当者の話である。全く主体性のない、他人任せの担当者の話しぶりに、わが耳を疑った。
報告交流集会を準備し、関係者に案内を送ったところで、「天王寺夜間中学 8(2026)年度末まで 統廃合計画変更、特例校分校に」(産経2023.06.20夕刊)の報道である。6・27教育委員会会議傍聴、担当者との話し合いなどを取組ながら集会の準備を進めた。
「私たちは夜間中学のあゆみを深く胸に、文の里・天王寺夜間中学の存続への闘いを実行する」を、直接、議会関係者に私たちの取組を報告し私たちの考えを直接訴えることを企画し、参加を呼びかけた。議会関係者を含め、50名の参加があった。

夜間中学卒業者の会は次のように基調報告を行なった。
戦後の夜間中学はこの大阪市で誕生した。新制中学が発足しても、学校に来れない子どもたちのために、教員は家庭訪問を重ね、夕方、学びの場・大阪市立生野第二中学を設けた。これを契機に夜間中学は全国で92校に増えた。1966年11月、夜間中学は法律違反だとして、行政管理庁は廃止する勧告をだした。この国に対し、憲法を守れ、生きる権利と学ぶ権利の保障をと主張する夜間中学開設運動を、髙野雅夫さんはこの大阪で行なった。髙野さんの呼びかけに応え、8名の生き証人が名乗りでた。この市民の開設運動を受けとめた、大阪府や大阪市は国の意向とは反対に、天王寺夜間中学の開設を決断した。この決断が夜間中学の今の動きに大きな影響を与えている。
ところがあろう事か、54年後、文の里・天王寺夜間中学廃校を大阪市教育委員会会議に提案し、承認を求めた。4人の委員の質問や意見はいずれも再考をもとめる内容であった。議長を務める、教育長は承認に反対の挙手を求める方法で採決を行なった。手が挙がらなかったとして、承認されたと宣した。私たちは夜間中学のあゆみを踏みにじる大阪市教育委員会の承認手続に反対であり、再考を求める。
この日の教育委員会会議に諮られた55号議案「本市における中学校の再編にかかる方向性」と56号議案「識字・日本語基本方針」は委員に正反対の判断を求める内容であった。夜間中学の廃校にたいし、56号議案は夜間中学の果たしている役割も説明しながら、「本市に於いて実践されてきた識字・日本語学習の成果や蓄積を活かして、成人基礎教育の機会の提供にひき続き取組むことが必要です」と夜間中学施策の推進を主張する基本方針の提案である。ブレーキとアクセル、それを同時に踏みましょうという、全く矛盾した提案ではないか。
基調報告のあと、マイクを持った髙野雅夫氏は次のようにアピールを行なった。
「アンニョンハセヨ、東京・荒川九中夜間中学卒業生の髙野雅夫です。
1969年6月5日、大阪市立天王寺夜間中学を勝ちとった89名の夜間中学生の仲間たちの緊張した顔があった。大阪には義務教育未修了の人はいません。大阪は同和教育や民族教育をちゃんとやっているから、そんな人はいません。大阪府や大阪市の教育委員会、どこへ行ってもそう言われました。当時大阪に、200万人住んでいる。200万枚ビラを撒きつづけたら、必ず仲間たちが名乗りでてくれることを信じて毎日、毎日ビラを撒きつづけました。天王寺、梅田の歩道橋、心斎橋、いろんなところでビラを撒きました。その合間を縫って、大阪府、大阪市の教育委員会に毎日毎日、行きました。
200万枚ビラを撒くまで、大阪に夜間中学ができるまで、この大阪に居るぞと心に決め、釜ヶ崎のドヤに泊って、うわごとのように言いながら、ビラを撒きつづけました。
その結果、8人の仲間が名乗りをあげ、89名の仲間たちが入学し、日本で初めて、夜間中学生予備軍が勝ちとった天王寺夜間中学の第一回入学式が行なわれました。
仲間がこんなに大勢いたではないか、そう想ったと同時に、この夜間中学で5年、いや10年早く学べていれば、もっと豊かな青春を、人生を送ることができたことを想うとくやしくてなりませんでした。

この想いを受け継いだ天王寺第一期生の倉橋健三は自分たちだけが学んで卒業してもダメだ。大阪にはもっと多くの仲間たちが居るはずだ。夜間中学をもっと多くつくるために、運動を続けようと呼びかけ「夜間中学を育てる会」を結成、活動が始まりました。結果、大阪に11校、奈良に3校、神戸に1校、尼崎に1校が開校した。
このことは関東の夜間中学の歴史と全く違うところです。関西の夜間中学は夜間中学生自身が創りあげた歴史を持っています。そんな歴史を持った天王寺・文の里夜間中学が統廃合されるという。
今こそ大阪の夜間中学生は総力を挙げ、統廃合に反対する闘いの先頭に立つ。同時に大阪の夜間中学を、夜間中学の歴史をつくってきた人たちの責任です。
夜間中学は不滅だ!天王寺夜間中学は不滅だ!文の里夜間中学は不滅だ!このことを訴えて、終わります」 髙野さんは力強く訴えた。(つづく)
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