夜間中学その日その日 (903) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2023年8月5日
- 読了時間: 5分
94年2月22日合意 2023.08.05
「在校生が在籍できる原則上限期間(6年)」(産経 2023.06.20)。「21年度時点の在校生が、在籍できる上限(6年)の26年度まで天王寺に通えるよう廃止の期限を見直す」(朝日 2023.06.21)。この記述は記者の言葉ではない。発信元は大阪市教育委員会担当者だ。第9回教育委員会会議(2023.06.27)の資料にも「最長で令和8年度まで」と記述があった。そこで私たちは、担当者に「あなたたちは『94年2月22日合意』の重大な約束違反をしている」と指摘した。意味が解せないのか、担当者は一瞬、目線を外した。合意を知らないのか、教育委員会内部で引き継がれていないのか。「次回までに、94年2月22日合意の見解を明らかにする」ことで次ぎの話題に移った。
私たちが略して言う「94年2月22日合意」は夜間中学の運営について、府教委は「府民・議会・財政・文部省」から批判されず夜間中を守り堂々と増設を主張するため夜間中学設置教育委員会(大阪市、岸和田市、堺市、八尾市、東大阪市、守口市、豊中市)と大阪府教育委員会が、そして大阪府教育委員会と部落解放推進大阪府民共闘会議(略・解放共闘)、大阪府教職員組合(略・大阪教組)が1994年2月22日、確認合意した内容をさす。これらが今日まで変更することなく引き継がれ運営されてきている。
90年代初頭の夜間中学を巡る状況は大阪府内での夜間中学増設運動が大きく前進した。南河内(91.2.15)、生野・東成(92.3.13)、吹田(93.10.1)で自主夜間中学が開校、行政交渉がとりくまれた。

まず、90年、近畿夜間中学校連絡協議会(略・近夜中協)の中に、増設推進を主な任務とする専門委員会が発足し、3校の自主夜間中学の活動、近畿夜間中学校生徒会連合会(略・連合生徒会)の集会・署名活動、大阪駅前などターミナルでの夜間中学生募集活動の取組を背景に、部落解放共闘、国際識字年推進大阪連絡会への積極的な取組要請を行なった。
要請に応え、大阪教組の活動方針に夜間中学増設運動が、国際識字年推進大阪連絡会の「識字10カ年計画」にも夜間中学増設が明記された。大阪府・大阪市との行政交渉がもたれるなど大きく取組が進んだ。
大阪教組は1992年2月『夜間中学校増設のために』(27頁)の冊子を作成、夜間中学の基本的考え方を明らかにし、大阪府教育委員会(略・府教委)に研究会議開催を申し入れた。92年6月、8月、11月と3回夜間中学現場も参加する「夜間中学校問題研究会」を開催した。
丁々発止の議論を行なうことを毎回冒頭で確認し、増設を阻害している問題点の解明に努めた。近夜中内でも報告を行ないながら、追加資料「夜間中学でめざす学力・教育内容」の文章化を各研究部会で行ない、提出した。
府教委は92年11月、解放共闘の交渉で「(夜間中学の)地域的偏りがあり、通学に不便をかけている」と述べ、増設の方途を探る姿勢を明らかにした。
93年度に入り、当然会議が続行すると考えていた。審議の継続の働きかけを行なったが、夜間中学現場には何も連絡はなかった。ところが9月に入り、教育委員会からとんでもないことが現場に伝えられたと近夜中協事務局に連絡が入った。
9月14日、府教委が夜間中学設置市教委に提示し「7項目」の確認をしたという。その7項目は1.中学校の教育課程を編成する。2.日本語修得や識字のみのものは入学を認めない。3.入学許可は設置市教育委員会が行なう。4.入学時期については四月末を限度とする。5.二重在籍などの在籍管理を徹底する。6.在籍年数については原則3年、当分最長6年とする。7.年間出席日数10日以下の者及び半年間連続欠席者は除籍する。
近夜中協の事務局会を経て大阪教組に連絡を取った。大阪教組は直ちに府教委に抗議を行なった。府教委は陳謝し7項目を凍結する対応をとった。研究会を再開することも確認した。府教委は「府民・議会・財政・文部省」から批判されず夜間中を守り堂々と増設を主張するためには最低この7項目の制度整備が必要だと説明した。
再開された研究会(93年11月8日)のあと、大阪教組中執、単組代表者による2回の研究会。94年1月27日、「夜間中学増設を求める決起集会」を280名の参加で開催。「生野・東成、吹田、羽曳野、太平寺に夜間中学開設の目途をつける」「府教委7項目提案に夜間中学生の実態に配慮した改善を行なうこと『在籍6年』を突破する」を獲得目標で府教委に交渉団を送り出した。
大阪教組ニュース(132号 1994年3月9日)「夜間中学校の新増設を展望し諸条件合意へ」にまとめられている。
「大阪教組は、2月22日午後4時府教委との間で、夜間中学の新増設を展望した諸条件について最終合意を行なった。1月27日の決起集会以来、連日の折衝・協議、2回の正式交渉、岩井委員長と谷口教育長のトップ会談を経、ギリギリの折衝の中で、増設を含む夜間中学の原則見直しに達した」として、府教委回答とそれに対する大阪教組の見解並びに府教委との確認事項が記述されている。
「在籍6年」については「夜間中学校の生徒の多くが小学校すら卒業していないと実態がから考えるならば9年(小学校6年+中学校3年)とすることで合理性を持っているとして」9年を認めさせる。府教委は「府民・議会・財政・文部省」から批判されず、夜間中を守り堂々と増設を主張するため、「9年」をどのように表記するかに腐心した。
はじめに書いたように府教委と7市夜間設置教育委員会。府教委と解放共闘、大阪教組の確認事項として94・2・22確認は行なわれている。「在籍年数が9年を超える生徒は、遅くとも1996(平成8)年度末までに卒業するものとする」との表記で「最長9年」を表わすことを確認した。この確認は同時に大阪市も入った夜間中学設置教育委員会も確認したことだ。
この合意に納得できない連合生徒会の集まりに、大阪教組の樋口書記長が出席、夜間中学生の問いに答えていた姿は忘れることができない。生徒会との話し合いをふまえ、書記長は「94年2月22日合意」を解説する記事を投稿、『解放教育94年7月号』に掲載されている。 29年経った現在、「94年2月22日合意」を人々が知る唯一の資料になってしまった。
大阪市教育委員会担当者にも樋口書記長の論文コピーを渡し、見解を糾している。
Comments