夜間中学その日その日 (907) 白井善吾
- journalistworld0
- 2023年8月20日
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第42回夜間中学増設運動全国交流集会をまえに 2023.08.21
夜間中学増設運動全国交流集会が始まったのは1982年8月。関東と関西の真ん中、静岡県で始まった。関西から岩井好子さん、関東は松崎運之助さんが呼び掛け人ではなかったか。自主夜間中学、公立夜間中学の学習者、スタッフが年に1度、手弁当で集まって始まった。参加費用も各組織、とくに学習者の負担は極力少なく、工夫されていた。後の関東世話人の壇上啓治さんは費用をできるだけ抑えるため、公共の宿泊施設を半年前に押さえ、案内があった。ところが毎年、本当にいらいらさせてしまった。参加締め切り日になっても、各組織から返事がないのだ。各組織は組織で主人公である夜間中学生の参加を最大限募るため、週2回の学習日に返事をとことん待って、参加の申し込みが出てくる。ところが、会場はそこまで待ってくれない。胃が痛くなる思いを毎年させてしまった。
夜間中学増設運動全国交流集会は取組の成果を『ザ・夜間中学-文字を返せ、170万人の叫び』(1986年開窓社)など4冊の書籍を出版している。ページをめくると多くの学習者やスタッフの写真や文章がその当時の時空に連れて行ってくれる。

スタッフが教員用語を使って話しを始めると直ぐ、岩井好子さんは「わからん話しするな」ストップをかけた。「ここは学習者が中心の集まりや。先生らは別のところでやってくれ」と声が飛んできた。
学習者にマイクがまわってくると話したいけど、コトバがでてこない。それでも待とう。助け船を出したらあかん。がまん比べ。しかし、何も言えなかった。そのことも次の変化につながるのだ。その時、先生は傍で付き添って、助け船を出して、夜間中学生のもっている力を削いでしまっている。こういうのは髙野雅夫さんだ。立ち往生したくやしい体験は、怒りとなり、次の変化につながる。自身の体験がそう言わせているのだと考える。
「夜間中学の主役は夜間中学生、ところが夜間中学の生命線を握っているのは先生」といわれる。その意味するところは? 一例を挙げよう。
子どもの時、いけなかった修学旅行、夜間中学に入学して、是非行きたいと思っていたが、仕事を休むと収入が減ってしまう。手当が付かなくなる。修学旅行に参加しない理由を知ったとき、「なんとかならないのか」「何とかしよう」と声が他の夜間中学生からあがった。声をあげよう、一人の声をみんなの声に。生徒会がとりくんだ。先生にもその声が届くし、相談が持ちかけられる。職員会議で議論され、職員会議の結果を受け校長は教育委員会に要求を出す。一方教職員組合の要求として解決方法が提案される。このとりくみは、夜間中学の就学援助制度の創設につながっていった。学齢の子どもたちには就学援助制度があるが、学齢を超えた人にはその制度がない。大阪府に制度創設を求めた。1972年のことだ。 憲法、生きる権利と学ぶ権利、労働者に認められた労働基本権を学んだ夜間中学の授業も大きな力となった。夜間中学生であると同時に社会人、社会の常識に従ってとりくんだ。各夜間中学の生徒会から生徒会連合会結成に、そして「夜間中学を育てる会」が運動体組織として活動が始まった。
夜間中学がこの社会に教育に果たしている役割をねばり強く言い、実践するとりくみがようやく関係者に認識されるようになってきた。最近の新聞報道に次のような記述があった。
「多くの夜間中学が採用するコース制ではなく、全ての授業を全員で受けるのが特色だ。生徒が母国の文化や得意教科を教え合い、助け合う中で自信を深める姿」「全ての授業を全員で受けるのが特色だ。生徒が母国の文化や得意教科を教え合い、助け合う中で自信を深める姿」「夜間中学とは年齢、国籍、抱える事情が異なる生徒がともに授業を受け、新たな学びの形が生まれる場だと期待している」「市内の他の小中学校にも良い波及効果を与えるはず。夜間中学で勤めた教員が昼間の中学に戻り、経験を生かすサイクル」(岡山で夜間中学テーマにシンポ 山陽新聞 2023.08.16)。
夜間中学の学びが社会を、教育を変える。その役割を考えたとき、教育行政が夜間中学の学習環境を改善する手立てを尽くすのは行政の責任ではないだろうか。42回夜間中学増設運動全国交流集会がまもなく始まる。学習者の意見に向き合ってみよう。
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