夜間中学その日その日 (909) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2023年8月29日
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42回夜間中学増設運動全国交流集会報告(1) 2023.09.29
42回夜間中学増設運動全国交流集会は8/26・27、高知市立自由民権記念館で開催された。全国から84(県外53、県内31)名が熱い日差しの中、駆けつけた。
「自由は土佐の山間より」と言われる土佐の自由民間運動は近代日本の歴史に大きな役割を果たした。自由民権記念館の建物は土佐産の大理石や石灰岩でつくられている。二日間かわされた議論も「憲法」「学習権」「生存権」がキーワーズであった。

主催者を代表した戸田雅威実行委員長の挨拶は、「坂本龍馬は、姉・乙女への手紙に、『日本を今一度洗濯いたし申候』とその決意を記しました。今日と明日の「『夜間中学生の声』学ぶ」2日間の研修会が、高知の、また各都道府県の、さらには、日本の教育の、『テストや試験のための教育から、一人の人間になるための教育』への『洗濯』の一助となりますことを、心より願求禮讃し、開会のあいさつとさせていただきます」で結ばれた。
「日本を今一度洗濯」は夜間中学がいま存在することの意味をそして、交流集会の立ち位置も言い当てた言葉である。
前日から土佐に入りした、髙野雅夫さんは高知国際中学夜間学級に給食支援活動を行なっている、古い友人にあい、今日の集会に参加した。
髙野雅夫さんのアピールを紹介する。
アンニョンハセヨ! 東京の夜間中学卒業生・髙野雅夫です。1966年11月、当時の行政管理庁は夜間中学は学校教育法に認められていない。法律違反だから廃止せよと文部省に勧告しました。勧告を受けて、当時25校あった夜間中学が19校に減らされていく中で、1969年6月5日、(大阪市)天王寺中学にわれわれ、夜間中学予備軍を含めた仲間たちで、はじめて夜間中学を勝ちとりました。
89名の仲間が瞳を輝かせてぞくぞくと駆けつけている中で「ざま見やがれ」と思いました。「大阪は民族教育や人権教育、同和教育をちゃんとやっているからそんな人は一人もいません」大阪市、大阪府の教育委員会どこへ行っても、そう言われました。それなら、大阪の人口、200万の人たちに200万枚ビラを撒きつづければ、必ず仲間たちが現れてくれる。そう信じて毎日毎日、ビラを撒きつづけました。天王寺、心斎橋、梅田、梅田の歩道橋で撒きつづけ、毎日、大阪府や大阪市の教育委員会に行きました。
しかし、天王寺夜間中学が10年早く出来ていたら、この89名の仲間たちは、もっと豊かな青春や人生を送ることができたのに、そう想うと、くやしくてくやしくてなりませんでした。
その想いを受け継いで、第一期生の倉橋健三が、自分たちだけが学ぶだけでいいのか、大阪にはもっと多くの仲間たちがいるはずだ。そう想い、「夜間中学を育てる会」の言い出しっぺとなり、「夜間中学育てる会」を結成しました。そのあと、大阪市、大阪府、奈良県、兵庫県に夜間中学を開設しました。夜間中学は自分たちが勝ちとった歴史をもっています。
今、大阪市は天王寺夜間中学、文の里夜間中学の統廃合を計画し、実行しようとしています。この輝かしい歴史を奪われることなく、大阪の夜間中学生も含めて、全国の夜間中学生がこの歴史を守るために、最後まで挑戦をしなければいけないと思っています。
「かつて、紙切れ一枚もらったがために、夜間中学から断られ、私は、このまま死んで行きます」。もう一つは「近くに夜間中学がないので、無学な私は毎晩、毎晩、布団の中で泣いています」。この留守番電話に残された、彼女たちの声は、いまだに忘れることができません。
廃止反対の挑戦をしたいと心から想っています。天王寺夜間中学は不滅だ!文の里夜間中学は不滅だ!!
夜間中学増設運動全国交流集会は誰からも制約を受けない。全国各地の自主夜間中学のとりくみを持ち寄り、喜び、苦しみ、悩み、課題を話し合い、勇気をもらって、さらに実践を行なう。そんな集まりだ。
この日の集会の様子は、別会場で行なわれた集会にもズームで流され、夜間中学増設運動を支える教職員に会議の内容を届ける試みを行なっていただいた。夜間中学のとりくみを教育全体に反映していく新たな企画である。(つづく)
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