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夜間中学その日その日 (920)   砦通信編集委員会

  • journalistworld0
  • 2023年10月8日
  • 読了時間: 3分

2023年 文の里夜間中学は50周年記念の年!!   2023.10.09

文の里夜間中学は1973年4月12日、開校入学式を行なった。1年生49名、2年生8名、3年生9名の69名が参加した。天王寺夜間中学の生徒数が278名となり「文の里を南部地域、天王寺を中央地域、菅南を北部地域に分け、居住地か勤務地いずれか便利のよいところに入学させる」と新聞は報じている(1973.3.3讀賣)。

 今年は50周年の記念の年だ。



 天王寺夜間中学卒業生の呼びかけで結成された、「夜間中学を育てる会」が夜間中学開設運動をとりくみ、開校が実現しことを私たちは忘れてはいけない。「1973年2月末、文の里夜間中学が設置されることが本決まりとなった」(文集「雫」1号)。開校入学式に教員の発令がまにあわなかったことから、開校を求める働きかけを、育てる会が直前まで行ない、教育委員会の決断を促していたことがわかる。


 もう一つ大切な出来事があった。重度脳性まひの高橋栄一さんが、関西ではじめて、夜間中学の門をくぐった。「執念、教委動かす 仲間の応援も支え 37歳やっと入れる夜間中学」(1973.4.7朝日)。高橋さんは22歳の時、両親に「ぼく字がおぼえたい、学校行きたい」といったら二人とも泣いた。「ぼくも泣いた」。72年春、天王寺へ入学願いを出したが、「設備がない、障害が重すぎる、職員が不足している」と入学ができなかった。高橋さんは教育委員会などに手紙を書いた。


 がっこういきたい  

                                   髙橋 栄一

十五ねんまえ(二十二のとき)におやにぼく

じがおぼえたい、がっこういきたい、とも

だちがほしい、とおとうさん、おかあさんにい

ったら二たりともないてしまった。ぼくもな

いた。

おとうさん、おかあさんは、がっこうにくや

くしょうに、いったが、こたえは としがいき

すぎ、しょうがいがおもい、せつびがない

この三つのりゆうでことわられましたがあ(き)らめ

きれづ(ず)まいとしまいとしはるになるとおとう

さん、がっこうにいきたい、おかあさん、

がっこうにつれていってとおやをこまらせ

ってきた。

いまのぎむきょういくは十六でうちきられて

いる これはちょうっとお(か)しいんじゃないでし

ょうか ひとはなんじゅうになってもべんき

ょうが たいせつだとおもいますしにんげん

はべんきょうこそわかがえりだとおもいます。


 記事には今倉校長(当時)の話が載っている。「栄一さんを受入れるためには設備をと思うのですが、栄一さんは、そんな特別扱いはいらんと言っています。ころんでも自分で起きるからって。でも本当にあの執念には驚きました。私も障害者に対する考えを改めました」(朝日 1973.04.07)。

 毎日新聞の見出しは、

「押し開いた“教育の門” 身障の高橋さん、37歳で夜間中学へ、ついに来た入学通知 熱情冷たいカベ溶かす」(1973.04.10)。


 夜間中学の開設には多くの先輩や教育委員会をはじめ関係者の想いが込められている。

 

 完成した『자립 チャリ』を届けるため、文の里夜間中学を訪れ、廊下を歩く、髙野さん親子の写真(1975.6)が「アサヒグラフ」に掲載されている。夜間中学生とどんな話しをしたんだろう? 

 
 
 

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