夜間中学その日その日 (923) 金城 実
- journalistworld0
- 2023年10月22日
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「オモニの像」 建立のこと 2023.10.23
文の里夜間中学で「オモニの像」を建立した時の場合は、どこに建てるかということでもめました。天王寺の場合はそんなにもめなかった。校長先生は昼間の学校の校長でもあれば、夜間中学の校長でもあった。昼間のPTAからつつかれるのを恐れて、できるだけ外に出さないようにという考え方をもっていましてね、板挟みにあうんです。
ところが、夜間中学の生徒会は昼の中学生にもみてもらうため、玄関前の中庭に彫刻を出すと決めた。当時、夜間中学の生徒会長はかなり力を持っていましてね、建築会社の社長さんでした。ややこしいこと言うんやったらね、抜き打ちに建てようということで、ある日の日曜日、7、8人、建築の仕事をやっている夜間中学生が集まりましてね、このオモニの像を一気に立ててしまうんです。引き抜くんやったら、引き抜けと。俺たち、権力ありませんが、権力がやったら許さんけど、頭つかってね。ガチャガチャ言うんやったら、一気に建ててまえ、その代わり弁当も酒も持ってこいと。一日のうちに建てる、一日のうちに建てきれなかったら、これ、えらいことになるぞというんで、用意周到にいろいろと材料とか仕事の段取りとか徹底的に打ち合わせをしてですね、一気に建てたんです。

さあ除幕式を迎えました。くす玉を作り、生徒会は準備に全力でとり組みました。生徒会長の権限は大きかったですよ。生徒会長に権限を与えているわけです。学校を一歩出たら、生徒は大先輩ですからね。
生徒会が権限を握らないとだめなんですよ。今どうなっているか、知りませんけど。学校の先生に渡したらあかん、生徒会が握る。決めるのは生徒会が決める。運動会も、学芸会も。そういう雰囲気でしたね、当時は。
さあ、今でも忘れられません。雪が降っていましたよ。除幕式。夜間中学生はわくわくしているんです。しかし、学校の先生たちは暗い顔してる。なんでか言うたら、昼間の生徒のお父さんお母さんがきたら、えらい騒動になるんじゃないかと、先生たちはクシュンです。俺だけ、おもろいと思って。むしろ、昼間の生徒たちのPTAが事を起こしてくれた方がいいなと思って待っとったんやけど…。
ところが、肝心の生徒がいないんですよ。ほとんど。特に年いった、韓国のおばちゃんたちが。どこに行ったんやと思っていたら、体育館で何か、わあわあ、わあわあ言うてる。チマチョゴリに着替えて、チャングをたたいていると思ったら、アリラン歌いながら、彫刻の周辺を、ぐるぐるぐるぐる回り始めた。彫刻の前に、日本酒の一升瓶を供えてるんですよ。マッコリも供えてる。私、マッコリ大好きです。何か楽しいというか、抜き打ち的に、この際、夜間中学の誇りを取りたかったんですね。私がやりたかったのは、誇りを奪い返すということなんです。なんで中学を卒業できなかったんやろうかとかね、どうして貧しかったんだとかね。夜間中学生の思いと重なり合ったんです。
『生きる 闘う 学ぶ』より
金城実さんは天王寺(1971~1974)、文の里(1974~1975)で夜間中学教員。担当は英語、美術。夜間中学生と共同作品「夜間中学生の像」(天王寺)、「オモニの像」(文の里)の制作を行なう。
金城さんに編集部から記事掲載の申し出をすると、夜間中学の教員をして、「夜間中学生の像」「オモニの像」を夜間中学生と共同作品制作に取り組んだことが、住吉の解放会館の「オガリの像」の制作と部落解放運動、水平社宣言の琉球語訳にとりくむことにつながっているんですと話された。夜間中学や夜間中学の学びの創造は、金城さんにも大きな影響を与えたんだ。(編集部)
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