夜間中学その日その日 (948) 夜間中学資料情報室
- journalistworld0
- 2024年2月2日
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夜間中学の学校公開 2024.02.03
開かれた夜間中学として、夜間中学の姿を広く教育関係者に公開し、夜間中学への理解を進めていただこうと、夜間中学の学校公開のとりくみが大阪府教職員組合の申し出で始まった。1995年のことだ。夜間中学の課題を全体のものに、小・中・高校の教育現場の「学び」や教育を見つめ直すことを目標にとりくみが続いている。夜間中学の側は参加した先生には夜間中学生の横に座って、夜間中学の学びを体験していただく。夜間中学生と語らいを行なっていただく機会を提供できればと考えた。夜間中学生も私たちがどんな人生を送っていま夜間中学にきているかを、是非知って頂きたい。いろいろな想いが重なり合って学校公開が取り組まれている。
2024/1/19、守口のさつき学園夜間中学で開かれた学校公開には昼の授業を終えた教職員約50名が府内から駆けつけた。夜間中学資料情報室に届いた1通の感想文を紹介する。

生徒さんの壮絶な生い立ち、そしてさつき学園にたどり着くまでの経緯を聞き、一言では言えないのですが、敗戦後78年を過ぎても「学び」を奪われ続けてきたということの罪深さを痛感しました。「学びたい」このおもいを何年もかけて得られた方々の学びに向かう姿勢に驚くとともに、一緒に学ぶ中で何とも言えない心地よさを感じました。
私が一緒に学んだ授業は「数学CD」クラス。今日の課題は、400年前に実在した話で、1日目一粒、2日目は二粒、3日目に四粒というように、お米を前日の倍ずつもらうと数日後には何粒になりますか?という問題を考える内容でした。生徒さんと話しながら10日目には512粒になることが分かりました。すると生徒さんは「茶碗一杯はいったい何粒なの?」と先生に質問します。すると先生は、その疑問から次の発問を考えます。30分の授業参加があっという間でした。生徒さんの生活にあった課題、そして生徒さんの疑問から授業が展開する。この授業に参加した教員は目からうろこでした。
交流会では、様々な背景がある生徒さんの作文を実際に読んでもらいました。その中で、日本国籍を持ち中国で生活をしていた生徒さんが日本に帰ってきたときの話が印象的でした。中国の先生からうけた差別、「わからない」が言えない苦しさ、テストの点数のさらし行為…。帰国後はじめて覚えた日本語は「アホ」。話をしてくれた生徒さんは10代ぐらいでしょうか?昼間に働く教員として、ヒヤッとしました。子どもたちに発している言葉や言動、昼間の学校にある当たり前は、あっていいものなのか?いつの間にか、指導しやすいように、教員側が勝手なルールをつくっているのではないか?いろんな葛藤が生まれました。夜間中学の先生は交流会の最後にこう言いました。「ここには自分のことを『先生』という人はいません。自然と生徒さんの姿を見て、学ぶ姿を見て、生徒さんを尊敬し自分からあたまを下げてみんながあいさつするんです。ここにはあいさつ指導なんてありません。そもそも〇〇指導って言葉がおかしいと思ってくるんです」と。
わたしは教職20年を過ぎましたが、初任の頃は団塊の世代の先生方に囲まれ職員会議で議論を交わす姿をたくさん見てきました。しかし、最近は職員会議での論議もなく言われたことをこなすことで精一杯になってしまっています。
「点数」=「学力」という価値観の押し付けや、おかしな学校文化のもと、結果としてマイノリティーの子どもを傷つけていることにも気づかない教員が増えているように思います。だからこそ、経験の浅い先生はもちろん、すべての教職員が、夜間中学校での学びを見てほしいと思いました。
文中に「生徒さん」の語彙が11箇所登場している。「生徒」ではない。昼の学校では中学生や高校生を何と云って第三者に説明しているのだろう。
夜間中学の学校公開に参加した昼の先生たちから、「私たちが夜間中学で授業を体験できますか」「やらせてください」と申し出があり、守口市の昼の学校の先生たちの公開授業が実現した。もちろん、夜間中学生も「先生たちの授業を受けてみたい」「私たちが役に立つんだったら」とその日を迎えた。
夜間中学が今在ることの意義を確認することが出来たとりくみであ。
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