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夜間中学その日その日 (956) 砦通信編集委員会

  • journalistworld0
  • 2024年3月4日
  • 読了時間: 4分

  差別越境と大阪の夜間中学誕生             2024.03.04


 国は夜間中学早期廃止勧告を出し、夜間中学の閉校が続く中、憲法に明記された生きる権利と学ぶ権利の保障を求め、夜間中学開設運動を実践した髙野雅夫氏は靑森・北海道・岡山・京都を経て、1968年10月11日、大阪に入った。214日のたった“独りの圧力団体”と呼ばれる地べたを這う開設運動を実行する。

 大阪入りした日、東京プリンスホテルでガードマンが撃たれて死ぬ事件があり、髙野さんは、その横を新幹線で通り過ぎている。そんな事件が起ったことを知ったのは大阪に着いてからで、連続射殺魔・永山則夫の第一の殺人事件である。




 

 当時大学紛争も激しくなり、一学生の筆者はもその影響を受けながら、討論会、集会ものぞき、指導教官や同級生と議論をしながら休講の多い毎日を送っていた。髙野さんが来阪した頃は、猫の手も借りたい、秋の取り入れ時でもあり、そちらにも多くの時間をかけていた。髙野さんが「夜間中学生」上映が学内で行なわれたことも知らなかった。髙野さんの開設運動の記録「わらじ通信」を収録した『チャリップ』を見ると非常に近い時間と距離にいたことがわかるが、出会うことはなかった。

 1968年の大阪ではもう一つ大きな教育問題が吹き荒れていた。「差別越境」である。1968年5月2~4日奈良県橿原市で開かれた「部落解放研究全国集会(第2回)」で部落差別が絡む越境入学について強い訴えが奈良県御所市立御所中学の清原草宣先生からあった。230名の入学生の内12名の欠席があり、調査の結果大阪市内の公立中学へ名目上の寄留をして越境入学をしていることが判明、大阪市教委に越境入学取り消しの要求をしている報告があった。

 新聞報道の見出しを見ると「未解放部落を避けあと絶たぬ越境入学」(1968.5.4朝日)。越境者は強制転校 来春から大阪市教委 登録先を訪問調査説得、もう手ぬるい」(1968.9.1朝日)。「まるで“越境入学料”“名門”の天王寺中学 3年越し、余分に寄付を割り当てる 1年生に2万円」(1968.9.18 毎日)。

 髙野さんが大阪に入ってからも、「『越境入学』4万人越す ほとんど有名校に 府教委小中学調査 来春、きびしくチェック」(1968.10.24讀賣)。「教員から姿勢正す 越境入学問題で 柏原教育長声明 越境チェックに推進委」(1968.10.25 朝日)。「越境通学根絶に 教師自粛せよ 大教組アピール」(1968.10.26讀賣)と報道は続いている。「教職員の子どもたちも越境生がかなりいる。このままでは保護者に対して厳しい指導が出来ない」と報じている。

 1968年5月25日開かれた会議で大阪市が明らかにした越境入学の実態として区域外通学生徒数/在籍生徒は 天王寺中学628/1794=38.4%。文の里中学1143/2489=45.9% を明らかにしている。区域外生徒を居住しているところに戻すと、空き教室が4割近く生ずることでもある。

 夜間中学開設運動を実行し、大阪府、大阪市に突きつける髙野さんの主張に応えるには、府・市の姿勢が一方で差別教育を行ないながら、もう一方で生存権、学習権の保障を求める夜間中学開設に応えることは大きな矛盾をもっていた。

 夜間中学の開設を求める市民運動に拡がっていく包囲網に応える方法として、大阪市教育委員会は開設に後ろ向きな、国の姿勢がある中で、空き教室に反差別の象徴である夜間中学を開設する決断をした。差別教育からの決別を夜間中学の開設をする起死回生の決断だと言っていいのではないだろうか。

 越境生を居住地に戻すことで生まれた教室に、天王寺(69年)、菅南(現・天満)(70年)、文の里(73年)、昭和(76年)に各夜間中学が開校されていった。

 時移り、人替わり、このような経緯で生まれた大阪市立の夜間中学であることは教育行政担当者の常識にはなっていなかった。1992年、夜間中学生が多数居住している、東成・生野区に夜間中学の開設を実現するため、生野・東成自主夜間中学の活動をはじめた。天王寺・文の里・昭和の夜間中学は阪和線の天王寺・美章園・南田辺と一駅ごとに夜間中学があるという、極端な偏在が問題化し、配置の検討と東成・生野区に新たな公立夜間中学の開設運動を大阪市教職員組合の教育運動として取り組んだ。

 1993年頃の大阪市教委の担当者は「交通の便利なところに夜間中学を開設した」と誤った開設理由を説明した。越境生を居住地に帰し、生まれた空き教室の認識はなかった。

そして2021年10月私たちが知ることになった、文の里・天王寺夜間中学の廃校問題である。残念ながら、夜間中学偏在について、越境問題が根底にあることの明確な理由を大阪市教育委員会の担当者から聞くことは出来なかった。

 夜間中学の開設を決断した背景に大阪の差別教育の反省から、越境入学の子どもたちを居住地の学校に戻し、生まれた空き教室に夜間中学を開設する。再生する大阪の教育の象徴として夜間中学の出発であったということ。私たちはこのことを陳情書に記し、糾したいと考えている。

 2024年3月19日開催の大阪市会・教育こども委員会に、教育委員会議で再審議を行なうことを求める陳情書を届ける。

 
 
 

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