夜間中学その日その日 (969) 白井善吾
髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ⑤ 長征(2) 2024.5.18
髙野雅夫氏が“長征”と名付けた行動の目的の一つは1969年以前にあった夜間中学と当時開設していた夜間中学に『자립』を配り届けることがあった。
『자립』の編集を1974年2月1日に開始し、1975年1月元旦に完成させた。収録した資料には『자립』のみにしか見ることのできない資料が多い。全国夜間中学校研究会18回大会全体会議の記録は音声記録を文字化した貴重な記録で、(全夜中研は18回大会の記録誌は発行していない)髙野さんがその作業を行なった。全体会議の様子を知ることができる唯一の資料ということができる。

開設されていたと記録のある、74校の各夜間中学に調査用紙を送り、10都府県71校から返送されてきた回答結果を一覧表にして収録している。これも『자립』のみにしか見ることのできない資料である。調査項目は、①校名・学級名 ②所在地 ③開設年月日 ④開設理由 ⑤廃止年月日 ⑥廃止理由 ⑦卒業生総数 ⑧文部省調査もれの学校 の回答を求めた。
髙野さんは各夜間中学に次の調査依頼文を送っている。
前略 新学期でご多忙中恐れ入りますが、小生、東京・荒川九中夜間学級の卒業生で“すべての人たちに完全な義務教育を!! ”と叫び続けて―夜間中学廃止反対から―開設運動をやっているのです。今その記録をまとめているのですが、戦後、いつどこで夜間中学が開設され―いつ廃止になったのか?正確なことがわかりません。文部省が昭和28年に調査した「夜間に授業を行なう学級をもつ中学校に関する調査報告書」をもとに別紙のことを調べていただきたいと思います。その他、「夜間中学」に関する“資料”や“写真”でゆずって頂けるものがありましたら(コピーでもけっこうです)お送りください。費用が必要なときはご連絡下さい。後ほどお送りします。いずれそちらにお伺いして「夜間学級」に関する資料やお話を聞かせていただきたいと思っていますのでその節はよろしくお願いします。尚、記録が出来ましたら(5月末頃)お送りします。以上、お忙しいでしょうがくれぐれもよろしくお願いします。
差別の根を断ちきるために!! 本当の生きる権利と学ぶ権利を奪い返そう―。
本当の意味で夜間中学なんか必要としない社会を作るために―。
1974.4.1
中学校長殿
東京・荒川九中夜間学級卒業生
髙野雅夫
71校から寄せられた回答を分析し、一覧表にして『자립』収録した貴重な資料である(1076~1091頁。)長征と名付けた行動で、回答のあった、夜間中学開設校(元・現)に『자립』を届けながらオキナワに向かっていった。
調査依頼から1年2ヶ月後に各学校を訪れたが各学校の側の対応はさまざま、「前もって約束されていますか?」「校長、教頭は不在です」、渡された大冊『자립』を受けとるか?どうするか?有料?無料?応対に出た教員自らが判断できず戸惑う対応が記述されている。
おそらく『자립』を届けながら、オキナワに向かうことを髙野さんは話さなかったであろう。壮大な「長征」の行動とその意図は学校現場の一教員と物差しが異なるのだ。自分が応対に出た教員なら、髙野さんにどう対応したであろう?
1975年7月3日の『자립通信』NO.28で関門海峡を渡り、福岡に入った髙野さんは次のように書いている。
am 9:55 中国自動車道 東美SA発―10:50 関門海峡を渡る―18年ぶりの九州―かつて17才の時、手前の名前も書けず文盲(ママ)のまゝ野良犬の如く逃走した九州へ今자립号と共に入る。国道3号線から小倉南区企救中学へ更に3号線に戻り66Km福岡市博多区東光中学へ―博多駅裏近くかつてチンピラ時代にこの辺りを歩いたのかも知れぬ。熱いものが身体中に燃え心がおどる―この18年間俺自身信じられないような“生きざま”をさらしてきた―自己さえ信じられない可能性を持っているのだ人間は―それが人間なのだ!!「博多駅に行ってみようか?」「オヤジのセンチメンタルだよ」俺たちの歴史(いのち)も生君や大にとってはセンチメンタルなのか?! 復讐も―おとしまえもセンチメンタルなのか?! ベトナムは―カンボジアはしょせん他国の話か?! そんな事はない―俺たちの
歴史(うらみ)がセンチメンタルであるはずがない―生君大ちゃん、復讐に―おとしまえに時効はないのだ。
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