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夜間中学その日その日 (977)  白井善吾

  髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ⑥ 長征(4)   2024.6.29

 なぜオキナワへか?髙野雅夫夜間中学資料に髙野さんが書いたメモがある。


「なぜ オキナワへ」(仮)

琉球以来 本土(ヤマト)から/裏切られても 裏切られても/本土(ヤマト)への幻想を持ち続けるオキナワの歴史が/公教育から切り捨てられた夜間中学生たちが/公教育に憧れて生く歴史が/ネガとポジのように重なり/その本質を悲願の本土復帰を果たした/沖縄人(ウチナンチュウ)の未来と本根(ママ)確信するため




 髙野さんは沖縄に発つ1975年6月時点、当時の夜間中学の実態にたいし厳しい分析を行なっている。


 夜間中学は名前と顔をかくして必死に生きてきた人間が文字とコトバを奪い返し、自ら名前と顔をさらしていくために、夜間中学予備軍をこれ以上つくらないために存在する重要な砦だったはず。

 生まれた夜間中学の姿は、知識を詰めこむことが「勉強」だと信じている生徒。そして詰めこませることが「教育」だと信じて、勉強の中味を問おうとしない教師。生命をかけて守った砦は「亡霊」に。夜間中学という「形」は奪ったが、教育の「中味」を奪い返された。


 この指摘は残念だが50年後の現在もそのまま当てはまる。的を射ているのだ。制度の中にどっぷりつかってしまうと、見えなくなってしまうのかもしれない。この考え方に基づき、2006年髙野さんは17項目の「公開質問」を夜間中学現場に行なっている。しかし、公開質問を受けていることすら、受けつがれていないのではないだろうか。髙野さんが指摘する考え方を受けとめ、謙虚に相互批判、相互点検を行なわないと、日本の学校教育にしめる夜間中学の役割が果たせなくなるのではないだろうか

 

 神奈川県川崎から福岡県大牟田まで74校の夜間中学に『ルンプロ元年 자립』を届けながら当時の夜間中学現場の姿を髙野さんはこのように視ていた。


 確かめる旅はオキナワである。過去、再三、日本人から「処分」され踏みつづけられてきた歴史を持つ島だからである。髙野さんが向かう3年前、オキナワは、「本土復帰」をとげた。だが、今の「復帰」の姿が沖縄人の自立になっているのか。同時に「本土」の自立にもつながっているのか?髙野さんは「否」と考えている。沖縄返還、沖縄の日本本土復帰記念事業として開催中の沖縄国際海洋博覧会がどのような状況をもたらしているか。オキナワ各地を訪れ、生活を通して確かめたいと考えた。そのために自ら進んで「悪魔」のみちを行くをさして、“冥府(カク)魔道(シン)の旅”となづけオキナワをめざした。

 公教育から切り捨てられた夜間中学生と裏切られてもヤマトへの幻想を持ち続けるオキナワの人たちを重ね、夜間中学や夜間中学生が依拠する理論をオキナワに身を置いて確認する旅であった。

 「자립通信」28通にある髙野さんの視点をいま夜間中学現場を預かる人たち(私も)は受けとめていただきたい。

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