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夜間中学その日その日 (978)  白井善吾

   髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ⑦ 中島章夫さんのこと 2024.07.12

 全夜中研大会の17回(1970年東京)も18回(1971年大阪)も私は参加していない。私が初めて参加したのは33回(1987年大阪)からである。しかし、17回も18回もまるで参加してきたかのような錯覚に陥ってしまう。髙野さんが音声テープの文字起こしを行ない、『チャリップ』に収録された18回大会の記録を何度も読み返したり、17回大会を撮影した16ミリフィルムを何度も映写して、脳裏に焼き付けられたのかもしれない。髙野雅夫夜間中学資料にある写真やフィルム、音声テープ、自筆資料に眼を通し、リバティー大阪(大阪人権博物館)で開催した72回特別展「夜間中学生展」(2017.10.18~12.16)の準備に参加したことによるのかもしれない。夢の中で展示の組み立てをして、次の日その資料を探し出す、そんな体験をしたのも、その時が初めてであった。

 夜間中学生展開催中に説明員として展示室に詰めたとき、次のような体験をした。私たちが特別展示室で最初にすることは、特別展示室の照明のスイッチを入れることである。照明が入ると、展列ケースから、さまざまな展示物が一斉に声を出し始めるのだ。証言映画『夜間中学生』が回り始め、夜間中学生が昼働いている職場のプレス機の音、精米機がまわる音、蒸気機関車の汽笛、塚原雄太さんのよく通る声が響きわたる。中川督之助大教組書記長、五島庸一教文部長に迫る髙野さんの声も聞こえてくる。小林晃君や授業中の夜間中学生の声も聞こえてきた。出来上がった共同作品を群読している声だ。18回全国夜間中学校研究大会で意見発表をする須堯信行さん、傍らに立つ古部美江子さんの「形式卒業者の夜間中学入学を認めよ」との2年越し訴えの回答を文部省中学校課 中島課長補佐に迫る声だ。夜間中学の増設を府教委の担当者に訴える康友子さんの声も。・・・50年間の夜間中学生の学びと生徒会活動の声である。



 展示室の中央に立つと、4面の展示ケースからの声が重なり合って、「学ぶたびくやしく、学ぶたびうれしく」「学ぶことは生きること」「学びは運動につながり、運動は学びを育てる」「空気をうばうな!! 空気をよこせ」「生き証人が歴史をつくる!!」そして天井から「東大阪にもう一校の夜間中学をつくれ!!」夜間中学生462人のシュプレヒコールが響きわたる。特別展に参画して分かったことだが、展示物と来館者が対話をするそんな空間が、「夜間中学生展」であった。

 会期中の12月、前川喜平さんが、来館された。18回大会の展示の前で、形式中学卒の夜間中学入学について夜間中学生と文部省中島課長補佐のやりとりを説明した。形式中学校卒の夜間中学について、認める発言をされ、このことにより、全国の夜間中学で次の年、50人を超える入学者があったこと、文科省が2015年に通知を出す、44年前に既にあったことを紹介した。一時間半ほどの説明にうなずくことが多かった前川さんも、ここでは「中島さんは立派な私たちの先輩です」と返された。

 何が切っ掛けか、私の夢の中に17回、18回の中島課長補佐が登場した。翌朝の朝刊を見て驚いた。中島章夫さん逝去の記事が掲載されていた。88歳で亡くなられたことを髙野さんに伝えると「夜間中学に理解のある役人であった」。文部省で奥田課長、中島課長補佐らと話し合った日(1970.12.19)の出来事を説明された『チャリップ』752~753頁)。

 中島さんは大阪府枚方市出身で大阪外国大学中国語学科と東京大学文学部卒で、文部省大臣官房審議官で退官され、民主党の国会議員になられた。私たち以上に大阪のことはよくご存じの方であったのだ。

 

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