オセアニア・ハンセン隔離収容の島 Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- 北口学
- 2017年12月7日
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20年ほど前にフィジーの離島、ハンセン病患者隔離の島に仕事で行った。当時、廃墟になって数十年後の街。今はもう100年近い。小さな小さな島。 島の唯一の人間居住家屋、電気もガスも水道もない離島のバラック(水産試験場官舎)に二泊して色々な撮影をした。ブッシュの中には廃墟となった映画館や建築物が朽ち果てていく。その姿を目に焼き付けた。南太平洋一円からの隔離収容。ニュージーランドにあった施設も統合、その人々の暮らしの痕跡。 ハンセン患者の人々に出会ったのはフィジー共和国のあちこちにあるイスラム・モスクで。金曜礼拝の時。門に並んでその日の生活の糧を得るためにしゃがんでいたり立っていたり、手を出して喜捨を待つ。その列の前を通って礼拝堂に。最初は面食らったけれど、イスラム教の隣人愛と平等という部分を強く意識した。フィジー国内のあちこちのキリスト教会やヒンズー寺院では見かけたこともない。イスラムへの関心はその時に芽生えた。 私のフィジー居住の4年近く、そして、その後20年で何十回と再訪しているフィジー。多文化共生・異宗教を認め合うゆったりと人懐っこい優しい余裕のある国。素晴らしい国、見どころも多く考えることばかり。 そこに毎年、日本在住の高校生を1年間の留学で送り込んでいる。軌道に乗ってきた。発展するぞ、このプロジェクトは。受け入れ国のフィジーの多様性、インターナショナル性、安全性、愛らしく素敵な人々、、、。こんな素敵な国はなかなかありません。世界を巡ってきましたが惚れ込みます。マイノリティや差別、DVの問題などもありますが、取り組みも素晴らしい。 日本各地のハンセン関連施設も巡ってきましたが、ここに行った事のある日本人はあまりいないでしょうね。近いうちに再訪予定です。 詳しくは下記HPをご覧くださいませ。http://leprosy.jp/island/island11/「マコンガイ島はフィジーの首都スヴァより129キロメートルにある小島。1911年、フィジー政府により、ハンセン病療養所が開設され、主としてカトリックの修道女たちが治療と介護にあたった。周辺の島々より多くの患者が強制的に集められ南太平洋地域のハンセン病の隔離と治療の中心施設となったが、2年間継続して菌陰性である場合、一定の地域内に居住し、3カ月ごとに政府医務官の検診を受けることなどを条件に、退所を認める規定もあった(1919年~1927年まで83名が退所している)。療養所内には出身国別に5つの村があり、病院は男性、女性、重病者病棟とに分けられた。また教会やインド人のための寺などもあり、カトリックの司祭やインド人警察官も駐在した。開設当初は大風子油注射の治療が行われたが、化学療法の導入により患者は減少した。1911年から1969年まで4,500名が治療を受け、1,500名がこの島で亡くなったが、多くの治癒者は出身島に帰還し、残った人々は、首都にあるトゥメイ病院に併設された介護居住施設に移転した。※パトリック・トゥメイ(P.J.Twomey)はニュージーランドと南太平洋地域のハンセン病患者の救済に貢献し、今日のPacific Leprosy Foundation (太平洋ハンセン病財団)の基礎を築いた人物。(後略)」