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「沖縄通信」第112号(2016年2月-1)

  • 西浜 楢和
  • 2016年4月9日
  • 読了時間: 10分

「沖縄通信」第112号(2016年2月)  原点はどこに?- 1996 年橋本・モンデール会談か、沖縄戦か ー

辺野古新基地建設をめぐり、状況は日々めまぐるしく動いています。月 1 回 発行(それもままならない時もある)の『沖縄通信』では辺野古の状況を刻々 伝えるよりも、少し長いスパーンで考えるのが良い場合もあると思います。

 そこで浮上してくるのが、昨年 2015 年 8 月 10 日から 9 月 9 日までの 1 ヶ月 間、工事を中断して持たれた政府と沖縄県との 4 回にわたる集中協議について の検証です。一体その場で何が話し合われたのか、何が決裂したのかを確認す ることはとても重要なことです。

 その中で翁長知事と菅官房長官の会談は、8 月 12 日、同 29 日、9 月 7 日の計 3 回開かれました(これ以外に集中協議は 8 月 24 日にも持たれている)。最終 の 9 月 7 日には安倍首相も出席しました。それを遡る 4 月 6 日に初の翁長・菅 会談が持たれました。2014 年 12 月、翁長知事就任後政府首脳は誰一人として 面談に応じないという程度の低いいやがらせをおこない、新知事就任後 5 ヶ月 が経ってやっと実現を見たものでした。

 ここでは、前後 4 回の会談において、両者は相手に何を伝えようとしたのか、 そしてそれは伝わったのか、その結果、何が明らかになったのかを見ることに します。

1.2015 年 4 月 6 日の会談

1)翁長知事の冒頭発言 ○ 日米安保体制について

 沖縄は全国の面積のたった 0.6%に 74%の米軍専用施設が置かれている。 戦後 70 年間、日本の安全保障を支えてき た自負もあり、無念さもある。

日米安保体制が重要だというのは、十二分に理解している。たった 1県

の沖縄県に多くの米軍施設を負担させて日本 の国を守るんだと言ってもその覚悟のほどがどうだろうかと思う。日本国民全 体で負担する中で、日本の安全保障をしっかりやってほしい。沖縄の危惧は、 今の日米地位協定の中では解決しにくいと思っている。

○ 沖縄の基地の歴史について

 今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはない。普天間飛行場もそれ以外 の飛行場も基地も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、 県民がいる所は銃剣とブルドーザーで基地に変わった。私たちの思いとは全く別に全て強制接収された。この 70 年間という期間の中で、基地の解決に向けて どれぐらい頑張ってこられたかということの検証を含め、そのスピードから言 うと先にはどうなるのか。なかなか見えてこない。

○ 2013 年 4 月 28 日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」について

 一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日 本の独立を祝うんだと言う。沖縄にとっては、あれは日本と切り離された悲し い日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思い はないのではないかと率直に思う。27 年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。 その間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶する ようなものだった。

○「粛々」という言葉について 官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、「沖縄の自治は神話である」と言ったキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。 自治権獲得の歴史は「粛々」という言葉には決して脅かされない。上から目 線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅し ていく。私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている。 こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子

や孫に対する思いというものが全部重なっていて、私たち一人一人の生きざま になってくる。

○ 普天間の固定化について

 官房長官にお聞きしたい。ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世 界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができる のかどうか、これをぜひお聞かせ願いたい。

○ ハナシクワッチー(=話のごちそう)

 2025 年、2028 年までに返すんだと書いておいて、その次に「またはその後」 という言葉が付いている。「ハナシクワッチー」と言って、沖縄では話のごちそ うという言葉がある。いい話をして局面を乗り越えたら、このことにはまた知 らんふりというのが、戦後 70 年間の沖縄の基地の問題だった。だから「または その後」が付けば、「50 年ぐらい軽くかかるんじゃないか」という危惧を県民み んな持っている。

○ 県民の民意について 県知事選挙で争点はただ一つだった。私と前知事の政策に、埋め立て承認以

外では違いがなかった。埋め立て承認の審判が、今度の選挙の大きな争点であ り、10 万票差で私が当選した。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考 えが示された。

2)菅官房長官の冒頭発言 ○ 辺野古新基地について

 わが国を取り巻く安全保障関係、極めて厳しい中にあって、まさに沖縄県民 のみなさん方々を含めて国民を守ることは国の責務だと思う。そうした状況の 中で、日米同盟の抑止力の維持と危険除去、こうしたことを考えた時に、辺野 古移設というのは唯一の解決策であると政府は考えている。

そして今日にいたるまで長い間、日米間で真摯に話し合い、議論してきたそ の合意事項でもある。辺野古移設を断念することは普天間の固定化につながる。

○ 沖縄の負担軽減について

 空中給油機 15 機全部を昨年、山口県の岩国飛行場に移した。緊急時における 航空機の受け入れ機能も九州へ移す予定で話を進めている。結果的に辺野古に 移転するのはオスプレイなどの運用機能だけだ。オスプレイの訓練についても 本土でできる限り受けたいと思っている。 3)両者は相手に何を伝えようとしたのか、そしてそれは伝わったのか。

 基地を中心とした戦後沖縄の歴史を語る翁長発言は圧倒的な迫力を持って、 読み手に迫ってきます。無論、相手(=菅官房長官)にどれほど伝わったかは 別の問題ですが...。事実、会談後の記者会見で、翁長知事は「きつい話もした が、しっかり聞いていた。ただ、ポーカーフェイスでどういう咀嚼したかは読 めない」と語っています。

 屋良朝博は「翁長・菅会談を読み解く-『海兵隊=抑止力』は真実か?」(『沖 縄タイムス』2015 年 4 月 8 日付)で、次のように言います。

沖縄基地の真相は、在沖米軍の中で最大兵力、最大の基地面積を占める 海兵隊は沖縄でなくても機能するが、日本国内では米軍の駐留を拒否する -ということが沖縄基地問題の深層に隠されている。真実を見えなくする マジックワードが「抑止力」である。

 同盟は大事だと言いながら基地負担を沖縄だけに押しつける。そして基 地問題にあえぐ沖縄に対し、「もっと安保の大切さを考えてほしい」と詐欺師のような言説が氾濫する。

2. 2015 年 8 月 12 日の会談

第 1 回集中協議が開かれるまさにこの 日、米軍H-60 型ヘリコプターがうるま 市伊計島沖に墜落しました。

 会談後の翁長知事の記者会見での発言

○ 抑止力について 機動性、即応性、一体性、これが海兵隊が沖縄にいる理由だと防衛省は話すが、沖縄の海兵隊は揚陸艦がないから、これは理由にならない。 抑止力から言うと、もっと分散をしてやるべきではないか。私の発言につい て「いや違うでしょう、こうでしょう」との発言は官房長官からはなかった。「思いはわかる」とか、聞き役に回って話をされていた。

○ 原点はどこに?

 官房長官は世界一危険な普天間基地の危険性の除去が原点だと。私は、戦後、 普天間の住民がいない間に強制収容されてつくられた基地、これが原点だと。

○ 基地の負担軽減について

 嘉手納以南もいつ返されるかも分からんような書き方だが、それが返された としても 73.8%が 73.1%に 0.7%しか減らない。KC130 が 15 機岩国に移転し たと一つの成果として挙げているが、その時は普天間に 63 機あり 15 機減った から 48 機となった。ところがその後、攻撃用ヘリと大型ヘリが 10 機配備され、 今 58 機になっている。この話をしたら官房長官は「初めて聞いた」と言ってい た。

 会談後の菅官房長官の記者会見での発言 政府とすれば、橋本・モンデール会談、日米で普天間の危険除去、閉鎖、そうしたものの代替案として県内移設、そこが原点であると私は申し上げた。知 事については、サンフランシスコ平和条約、さらにそれ以前、そういうことの 意見であります。そこについてはお互いに大きな距離感があったという風に思 ってます。いずれにしろ今日スタートですから、これから進めていって理解が 深まる、そこは努力していこうと思います。

3.2015 年 8 月 29 日の会談

1)会談後の翁長知事の記者会見での発言 ○ 菅官房長官の思いは?

 何回か私の方で沖縄の思い、歴史の問題を話したので、官房長官の思いを聞 かせてくれませんかと話した。「私の原点は梶山元官房長官の秘書として沖縄問 題に関わって普天間の危険性除去についてというのはあるが、原点とかそうい うことについては日米合意の形のところから物事が始まっている」という話が あった。

○ 海兵隊の今日までの流れについて キャンプ岐阜、キャンプ山梨等から海兵隊が沖縄に来て、1960 年代の半ば以降から大変過密になってきた。復帰もして今日に至った数字が向こうは 80 平方 キロメートルまで減っているが、沖縄は 74%まで膨れ上がってきたことを地図を示したり、数字を示したりして説明もした。

2)会談後の菅官房長官の記者会見での発言

 私自身は正直 19 年前の橋本・モンデール会談の日米合意が原点である。私の 政治の恩師であります梶山静六先生からも「とにかく普天間の危険除去は絶対 に実現しないといけない」という話を伝えました。両者の間で、普天間の危険 除去、運用停止については一致した。まあそういうことです。ただ、その方法 については、著しく距離感があると思っています。

(「集中協議は残り 1 回となったが、どのように埋まっていない溝を埋めるか、 着地点はあるのか」との記者からの質問に対して)

 19 年前に県からの要請で普 天間飛行場の危険除去、運用停止、これが日米で合意したわけですから、それ がなかなか今日まで進まなかった。だが一昨年、仲井真前知事から埋め立て承 認を受けて、いまようやく始まってきているわけでありますので、行政判断は 私たち緒についたと思っていますし、行政の継続ということも法治国家である わけですから、そういう方向の中でこの 1 ヶ月間の集中協議、まだこれからも 残されていますので、そこは懸命に努力をさせていただいて、理解を深めると いうことに変わりはないということです。 3)両者は相手に何を伝えようとしたのか、そしてそれは伝わったのか。

 8 月 12 日に「今日スタートですから、これから進めていって理解が深まる、 そこは努力していこうと思います」と言い、この日もまた「行政の継続という ...方向の中で...懸命に努力をさせていただいて、理解を深める」と菅官房長官 が言う「努力する」との中味は、辺野古新基地建設を県に認めさせるという以 外にはないのです。

4.2015 年 9 月 7 日の会談

1)会談後の翁長知事の記者会見での発言 ○ 沖縄に海兵隊を置く理由

 中谷防衛大臣に「ミサイルが発達してい るので、沖縄は近すぎて危ないんだ」と私 が言った時に、「ミサイルにはミサイルで 対抗する」とおっしゃった時には、「私は 心臓が凍る思いがした。沖縄を領土として しか考えてないんじゃないか。140 万の県民が住んでいるということに、ご理解 がない。このようなすれ違いがあった」と総理に申し上げた。 (続く)

 
 
 
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