夜間中学その日その日 (457) 蟻通信編集委員会
- journalistworld0
- 2016年6月29日
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近畿夜間中学校生徒会連合会総会・新入生歓迎会
「2年間皆さんのご協力をいただいて連合の生徒会長を務めることができました。これからはあとの方にお願いしたい。私には気になることがある。太平寺夜間中学が移転した布施夜間中学の設備がよくなく、仲間が不便ななかで勉強を始めていることだ。これからも負けないよう連合生徒会、力を合わせてとりくんでいくことが大切だ」。
2016年5月15日、堺市産業振興センターで開催された近畿夜間中学校生徒会連合会総会で連合生徒会会長はこのように退任のあいさつを行った。総会では府県教育委員会や各市教育委員会との話し合いの場の充実、夜間中学の増設、夜間中学について考えるとりくみを進めることなど6点の2016年度活動方針を確認した。
これを受け、8人の夜間中学生が発言した。
「父が徴用でとられ、小学校3年で学校をやめることになった。『どうしても学校に行きたい、学びたい』と友だちと相談、二人で市役所に話に行った。3年からやり直せと、3歳年下の同級生と勉強を始めた。父が13歳の時に亡くなり、中学2年生までしか通えなかった」。夜間中学にたどりつくまでをこのように語った。「これまでは周りの人に言いにくかったことも話ができている」「夜間中学を必要とする人はたくさんいる。たくさんの人に夜間中学があることを知らせたい。そして夜間中学をずっと残したい」と発言した。
「大阪市の就学援助は6年間だけしかない、7年目からは就学援助はない。1日980円の通学費がかかる。続けて学びたいが、通うことはできないと言っている仲間がうまれてきている。7年目以降も在籍期間、就学援助のある居住市もある。同じ夜間中学生、住んでいる市によって就学援助制度が違う。まったくおかしい」と制度の不合理性を訴えた。
「43年目を迎えた守口夜間中学は。今年『さつき学園』となり、6歳から80代の夜間中学生が新しい校舎で学んでいる。4月25日の開設記念日には、改めて大阪の夜間中学の歴史をみんなで学習した。50年前の1966年、夜間中学早期廃止勧告に対し髙野雅夫さんが夜間中学を広めるために立ち上がり、この運動の結果生まれたのが天王寺夜間中学だ。就学援助制度も、補食給食も先輩たちが作り上げた制度。その制度を廃止したのは2008年当時の橋下知事だ。私たちの先輩は連合生徒会に結集して闘った。私は夜間中学に学び、自信が持てるようになった。太平寺の移転問題も行動する力がわいてきた。東大阪市教育委員会に対しおかしいこと納得できないことは生徒会で団結してとりくんでいくことが大切だ。そのために毎日の学びを大切にすることそして各校の毎日の生徒会活動が重要だ」
「長栄との統合をいってきた東大阪市教育委員会に対し長い長い1年の闘いでした。4月設備が十分でないなど100%ではありませんが、全員が布施夜間中学で学ぶことができました。そして17人の入学生を迎えた。しかし東大阪市教育委員会は再編整備計画をいい、大変不安です。私たちは教育委員会に要望をぶつけ布施夜間中学を守っていく。生徒会連合会の去年1年間の応援ありがとう。これからも応援よろしく」
「天王寺は校舎も古く、講堂は4月から使用できないと張り紙がしてある。勉強ができる条件も悪くなり、生徒数が減り、出席が悪くなり統合が進んでいくんではと私たちも多くの卒業生も心配している。3月大阪市議会の委員会から訪問があり、夜間中学の適正化の話があった」
「熊本の大きな地震では建物がつぶれ、たくさんの人が亡くなっている。学ぶ機会を失い、二度と私たちと同じ人を生みださないよう、被災者の応援を生徒会として取組みましょう」
新会長は「去年6月、突然東大阪市の教育委員会が太平寺夜間中学の布施中学移転取り消しをいってきた。それに対し太平寺の生徒会を先頭に生徒会連合会が力を合わせ反対の闘いに立ちあがり、何とか新しい布施中学で太平寺の仲間全員が勉強できることができた。このことは私たち一人ひとりの力は弱いけど、みんなが力を合わせれば立ち向かっていけるという証拠だと思う」と団結してとりくむことの大切さを訴えた。
総会に引き続き新入生歓迎会を行った。「新入生の皆さんも、今まで義務教育を終えていないために、一人で苦しんできたかもしれませんが夜間中学に入ったからには、みんな仲間です。わからないことや何か心配事があったら、何でも相談してください。みんなで助け合っていきましょう」。生徒会長は歓迎の挨拶を行った。
夜間中学で学ぶことの意味を参加者全員が考えることができた集会であった。