top of page
検索

夜間中学その日その日 (459)     蟻通信編集委員会 Journalist Worldジャーナリスト ワールド

  • アリ通信編集委員会
  • 2016年7月28日
  • 読了時間: 3分

行政管理庁、夜間中学廃止勧告から50年

「フイルムかついで日本中まわりたい―差別への怒りをこめて―」 (1967.06.03)と題する一文が〝夜間中学の電話帳″「자립」(38~41頁)に収録されている。執筆者は髙野雅夫さんだ。

1966年11月30日、行政管理庁が「学校教育法に認められていない夜間中学校は早期廃止し、生徒たちは適切な保護措置をとって昼間学生に復帰させよ」と文部省、労働省、警察庁に勧告した。

この勧告に文部省は2回にわたって灘尾文部大臣名で次のように回答をしている。「学齢者の夜間中学入学については義務教育の性格上好ましくない」ので「夜間中学に入学しなければならない環境そのものをなくすよう努めており」、「学齢者の夜間中学入学者数は漸減してきている」(1967.09.18)。

「9月末現在では、学校数21校、生徒数466名となっており、なかでも生徒中に占める学齢者の割合が減少している」(1968.07.27)。勧告の指摘が実現するのも時間の問題だという姿勢である。

 髙野さんは上に書いた文書で「関係官庁は夜間中学生の実態をどれだけ知っているのか?一度でも夜間中学生自身の叫びを聞いたことがあるのか?」そして「みずから望んで夜間中学に入ったものは一人もいない。われわれを夜間中学に追いやったもの―その根源が改革されない限り夜間中学をなくしてはいけない。夜間中学を必要としない社会になることを切実に望んでいるのはわれわれ夜間中学生自身なのだ」と記している。

反撃のとりくみとして、夜間中学生の姿を追った証言映画「夜間中学生」の制作にとりかかった。撮影は荒川9中教員・塚原雄太、音声は髙野雅夫、画面に登場するのは髙野さんの母校荒川9中の夜間中学生である。

 反撃の行動は早かった。映画「夜間中学生」を作ることを提案したのが12月も押し迫った29日。勧告、約1か月もたたないとき。そして映画は1967年の1月から3か月で撮影。16ミリトーキー映画は5月9日完成、母校で試写会を行った。この映画をもって、夜間中学開設を訴える全国行脚に旅立ったのが1967年9月6日。大阪駅に立ったのが、1968年10月11日。天王寺夜間中学開校・入学式は1969年6月5日。

 私たちの誇りは、この行動が夜間中学生、卒業生から起こり拡がっていったことだ。

「夜間中学がなかったらぼくは一生義務教育を受けられぬまま終わった。かつての浮浪児仲間はどうしているだろうか?義務教育を受けられただろうか?」と髙野さんは語っている。

私たちはこの行動がなければ、大阪に夜間中学は開設できていただろうかと考える。いま教室で学んでいる夜間中学生はここに座っていないかもしれない。もちろん、夜間中学の教員は別のところで働いている。文科省は「少なくとも一県一校の夜間中学」と言っていただろうかと考える。

 筆者自身の生き方に大きく影響を与えた夜間中学や夜間中学生はこの証言映画「夜間中学生」であった。

2016年は行政管理庁の夜間中学廃止勧告から50年目である。

 
 
 
Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page