夜間中学その日その日 (469) アリ通信編集委員会 Journalist Worldジャーナリスト ワールド
- アリ通信編集委員会
- 2016年10月23日
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学習会「“行政管理庁:夜間中学早期廃止勧告”
50年を迎えた今、私たちは」
行政管理庁(現在の総務庁)が夜間中学早期廃止勧告をだし、夜間中学を認めないとする国の姿勢を明確にしたのは、1966年11月29日。まもなく50年を迎える。半世紀である。
50年後の今、国は「最低一県、一校の夜間中学の開設を」「形式卒業者の夜間中学入学を認める通達」をだし、今国会では夜間中学を想定した「教育の機会の確保法案」の審議が再開する。これまでとは正反対の展開である。
50年間、夜間中学の開設をうったえ活動を展開してきた私たちのとりくみを文科省はどのように説明するのだろう。
「“行政管理庁:夜間中学早期廃止勧告”50年を迎えた今、私たちは」 の学習会が多くの協力を得て実施される。
2016年11月26日(土曜)午後6時開会(参加無料)
会場は大阪市立文の里中学校。
第68回全国人権・同和教育研究大会1日目終了後、同じ会場。
プログラム 証言映画「夜間中学生」上映
証言映画制作を決意した 髙野雅夫さんに聞く
たった一枚の紙切れで夜間中学の死刑宣告を行った当時の行政管理庁の「夜間中学早期廃止勧告」に対し、夜間中学生の生活実態を夜間中学生自らが語り、カメラで追い、場面を編んでいく。労働、生活、学習をつなぎ、夜間中学の果たしている役割を行政管理庁の廃止勧告に対峙、夜間中学の必要性を人々に訴える証言映画であった。
登場するのは髙野雅夫さんの母校・荒川九中夜間中学生と教員。
“千江子鐘”(*)で始まる授業も映し出されている。遅れて登校、階段を駆け上る夜間中学生の後ろ姿を追うカメラ。職員室の戸をあけ、出席札を回転し、 「こんばんは」と声を掛け、教室に駆け込んでいく夜間中学生。昼間の仕事でした怪我、その傷を消毒をしてやっている教員。印刷工、米屋の手伝い、食堂の出前、プレス工、製本屋、メッキ工、どの顔も学齢の子どもである。しかし教室で見る彼ら、彼女らは仕事場の顔とは同じ人物とは見えない。3時間だけの「明るさ」である。
入学の問い合わせに、答えている、塚原雄太(教員)さんの透き通った声。東京駅から掛けてきた夜間中学生の電話に、すぐ会えないか、場所を決め、会う約束をしている見城慶和さんの声も流れてくる。
こんな夜間中学生の学びの場を一度も見ることもなく、机上で考えただけで、廃止勧告を出す。行政管理庁の役人への厳しい告発である。
この映画製作を企画、教員・夜間中学生あわせて59人で完成させたのである。この映画を担いで、1967年9月、髙野さんは夜間中学開設の全国行脚を実行した。
夜間中学廃止をもくろむ、国や行政管理庁に、逆に夜間中学開設運動で応ずる。まさに「ピンチをチャンスに!!」の取組である。
そして岸和田市岸城夜間中学の公認と1969年6月5日、大阪市天王寺夜間中学開設を実現する大きな力を発揮した。
大阪に公立夜間中学の扉を開けたのは髙野さんが配るビラを握りしめ、夜間中学の学びを求めた、義務教育を保障されなかった入学希望者であった。今こそ学習者自らの自立した立ち上がりが重要なのだ。夜間中学早期廃止勧告50年の今、私たちは集い、夜間中学開設に賭ける想いを確かめたい。
(

*)智恵子抄ではない。すんだ鐘の音が校舎に響きわたる。夜間中学の授業が始まる。東京下町にある荒川九中夜間中学。みんなは“千江子鐘”と呼ぶ。勉学半ばにして逝った永井千江子さんの形見だ。「高らかに学ぶ喜び千江子鐘」