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夜間中学その日その日 (478)    Journalist Worldジャーナリスト ワールド

  • 白井 善吾
  • 2017年1月13日
  • 読了時間: 3分

夜間中学を教育法規に明記さすこと (2)

「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」の成立を前に、「夜間中学を教育法規に明記さすこと」について夜間中学がこれまで議論してきたことをもう一度振り返り、議論を行った。忘れてはいないが、忘れさせられてしまっていた私たちの主張があったことに気づかされた。

夜間中学の側が用いていた理屈を、今度は文科省側が用いて2014年から2016年にかけ、矢継早に出してきた。夜間中学に対する文科省側の方針変更があった。その象徴は「最低一県一校の夜間中学開設を」「形式卒業者の夜間中学再入学」である。これを追っかけるうちに、相手の土俵に乗せられてしまっていた私たちに気づかされた。

一つは「憲法で保障された義務教育を受ける権利を万人が享受する社会の実現と学習権の保障の場としての学校教育法に位置づけられた夜間中学校の確立」を私たちは求めている。そして「国の責任によって義務教育が保障されなかった人が存在し、国はそうした実態を認め、国の義務として、それらの人びとの学習権にたいし義務教育を保障する学校を教育制度として法制化し位置づけなければならない」を私たちは言ってきたのではなかったかという指摘である。

二点目に、法案の14条には「就学の機会が提供されなかったもののうちにその機会の提供を希望する者が多く存在することを踏まえ、夜間その他特別な時間において授業を行なう学校における就学の機会の提供その他の必要な措置を講ずる」とある。これは「就学の機会が提供されなかった」責任がだれにあるのかを明確にしていない。それは、就学の機会の提供を希望している本人(またはその保護者)とも受け取れる条文ではないのかという指摘だ。

この条文は、「学校へ行けない」「字の読み書きや日本語ができない」などで困っている人に本来の学習の場を提供するのではなく、別の形で国が恩恵として学習の場を提供しますよという考えで成り立っている。

「学校」で奪われた義務教育は「学校」で保障する義務を国に実行せることが夜間中学校の存在意義ではなかったのか。

いつの間にか、相手の土俵で思考させられてしまっていた。

私が幻想を抱かされていたのは文科省幹部のこの発言だ。「(前略)夜間中学校が既存の中学校で2部授業という体制をとってきた。しかし本来なら1部が無ければ2部が無い。根っこから否定すると2部授業体制ではできなくなってしまう。私は夜間だけの中学校を作っても良いと思っていますし、義務教育未修了者のための昼間の中学校を作っても良いと思っていますし、小学校があっても良いとも思います。それから義務教育学校という9年間の学校制度ができましたから、義務教育未修了者のための昼間・夜間を問わない学校ができても良いとも思っています」(前川喜平文科省事務次官・2016.08.21  基礎教育保障学会)。

 これを聞いて、私たちはついに相手を変えることができた。こんな風に受け取ってしまっていた。ころっと、だまくらされてしまっていたのだ。成立した法を見てわかった。相手は何枚も上、そんなに甘いもんではないのだ。

私たちは今、学習者が夜間中学に入学して良かったと感じることができる学びを学習者と教員が立場を超えて編んでいける学校を作っていくことができる、そんな環境を教育行政として支えていく度量をもっているかを教育行政に問うべきではないか。

夜間中学で学んだ卒業生、今学んでいる学習者、そして、教員、かつて教員であった人が力を合わせて、今一度、原点に返り、私たちが主張してきた学びの場「夜間中学」づくりに努力を傾けるべきだと気がついた。

 
 
 
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