夜間中学その日その日 (480) Journalist Worldジャーナリスト ワールド
- 白井 善吾
- 2017年2月1日
- 読了時間: 4分

夜間中学書籍解題
浜野卓也著『星をあおぐ仲間』(東都書房)
夜間中学をテーマにした子ども向けの数少ない書籍の一つである(*)。発行日は1972年2月15日。著者は1926年生まれ、静岡県、東京都の中学・高校の教師で、出版の意図をあとがきで次のように記している。
「子どもたちが、中学校へも行けない貧困状態にあるのは政治の不完全さによる。児童憲章のたてまえからは、夜間中学校などは、絶対存在させてはならないのである。だが、いまの日本の状況の中では、ぜったいになくてはならない夜間中学校でもある。わたしは、かつて私の教室から夜間中学校へかわっていった少年Aくん、あるいは同じ公立学校の教師でありながらたいへん悪条件のもとで夜の教壇に立っている、かつての同僚たちに思いをはせてこのペンをとった」。
主人公は昼の中学校で3年生になるとき、家の貧しさのため、夜間中学へ転校していった北川京子。中華料理店の出前のアルバイトをしながら、昼の中学校に通っていた。しかし家計を助けるため、医院の看護助手として毎日働き、夜は城東中学二部(夜間中学)で学ぶことにした。
夜間中学で三つの大きな出来事を書いている。一つは一人の夜間中学生が体育の時間、ソフトボールをしていて左手中指をくじく出来事があった。ソフトボールが下手だからと個人の問題にしてしまわず、夜間部の生徒会がこの問題を取り上げ、夜間の運動場の「照明」問題として取り組むことにした。昼の生徒会と共同してすすめ、解決を図っていった。
夜間部生徒会が相談をして、理科室にもうけた「蛍光相談室」(生徒同士が相談する)とりくみが二つ目である。休みがちな級友のことの相談を受け、相談した結果、福祉事務所の所長に面会を求め、陳情書を渡し、生活支援をするよう夜間部の生徒会が行った。
生徒会が陳情の行動を決める議論の様子も詳しく書いている。「通りいっぺんの同情論だけで、解決のつくことではなかった。ではどんな方法が残っているだろうか。話しあっているうちに、生徒たちの意見は、社会科でならった憲法の問題にまでもさかのぼっていった。『社会科の先生がいってたぜ、教育は国民の義務であるとともに、権利でもあるって・・・』『その権利を守り、義務をつとめさせるのが、国家というもんじゃないの』・・」。
三つめはクラスで記録している、ホームルーム日誌。台風で学校が浸水する時、学校に駆けつけ生徒が教室から持ち出すほど大切なものである。次のような一節がある。「・・授業がおわる。そして、やっと、きょう一日がおわる。そのまま、この教室のいすをならべて、ごろりと横になりたいぐらいだ。校門を出て、Sさんとわかれる。だが、わたしたちのあいさつは『さよなら』ではない。『あしたもがんばろうね』『休んじゃだめよ』・・・とかわす。相手をはげますことは、自分をはげますことでもある」。
詩も書いてある。
「仕事をおえると学校に出てくる/社会ではどん底に生きているが/学校だけは天国だと思っている/いいたいことはなんでもいう/みんながうれしそうに話しあって笑う/教室からは笑い声があふれてくる」
北川京子と在日朝鮮人の金オモニら7人の夜間中学生、4人の夜間中学教員を中心に物語は展開している。夜間中学生徒会のとりくみが、昼の生徒会の共同のとりくみになり、昼のPTAの役員に共感の輪を広げ、課題が解決されていく。この共感をえることにつながったのは、夜間中学生が活動記録として書いていた1冊の「ホームルーム日誌」の存在である。このことは、いまの夜間中学の活動に示唆を与えるものだ。
「学びは運動につながり、運動は学びを育てる」この観点からこの本を読むとヒントになる記述が随所にあることが分かる。また全くのフィクションではないことも分かる。夜間の照明では、見出しが「夜間中学に明るい教室 東電が無料工事」(1963.11.21朝日新聞)の新聞報道がある。「27灯の蛍光灯を46灯にふやし、照度も110ルクスから200ルクスになった」と報道している。
*山本悦子著『夜間中学へようこそ』(岩崎書店)2016年
余寧金之助著『郵便机』 麦書房 (雨の日文庫) 1967年9月
椎名龍次著 『明日天気になあれ』 (岩崎書店) 1982年
岩井好子著『オモニの歌』(全国学校図書館協議会) 1990年