民族とは、琉球・沖縄人(民族)とは、自己決定権とは Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- 西浜 楢和
- 2017年3月8日
- 読了時間: 13分
「沖縄通信」第121号(2017年2月)
『先住民族とは、琉球・沖縄人(民族)とは、自己決定権とは』
1.先住民族とは
今号は、のっけより人種差別撤廃条約から入る。同条約は1965年に国連で採択された。正式名称は「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」といい、日本が批准したのは1995年。「人種差別」について、同条約第1条の1は次のように定義している。
「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。
そして第8条で、締約国に対して人種差別撤廃の政策を義務づけ、条約履行のために「人種差別撤廃委員会」(18ヶ国から集まった人権問題に携わる専門家で構成。条約に批准した国が定期的に提出する報告書を審査し、必要に応じて勧告措置を取る)を設けている。
次に1989年に採択された国際労働機関(ILO)第169号条約を見る。正式名称は「独立国における先住民族および種族民族に関する条約」という。日本は批准していない。「先住民族および種族民族」について同条約第一条は次のように定義している。
第一条 この条約は、次の者について適用する。
(a)独立国における種族民族で、その社会的、文化的及び経済的状態によりその国の共同社会の他の部類の者と区別され、かつその地位が、自己の慣習もしくは伝統により又は特別の法令によって全部又は一部規制されている者
(b)独立国における民族で、征服もしくは植民地化又は現在の国境が画定された時に、当該国又は当該国が地理的に属する地域に居住していた住民の子孫であるために先住民族とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持している者
先住民族又は種族民であるという自己認識(Self-identification as
indigenous or tribal)は、この条約を適用する集団を決定する基本的な基
準とみなされる。(2項)
だから、近代国家が国民形成の名のもとに野蛮・未開と見なした民族の土地を一方的に奪ってこれを併合し、その民族の存在や文化を受け入れることなく、さまざまな形の同化主義を手段としてその集団を植民地支配した結果生じた人々が先住民族と呼ばれうる民族的集団なのである。
ところで植民地主義支配について、森宜雄は「支配地域の人命や民意、長期的発展に責任をもたず、ただその土地と資源の略奪と活用を目的とする支配」(『沖縄タイムス』2016年12月16日付「大弦小弦」)と定義している。
以下、先住民と先住民族の用語について、各民族を個別に指す場合は先住民族、それら先住民族に属する人びとを集団として総称する場合は先住民という語を用いる。
国連の推計では、世界中に現存する先住民族は、言語や文化的差異、あるいは地理的分離によって少なくとも5,000のグループがあり、その人口は約3億7千万人、70ヶ国以上の国々に住んでいるとされている。

2月26日
「ここヤマトゥから、大阪から、辺野古を闘う集い」の会場風景
先住民族と言う時、日本人の多くはネイティブアメリカン(インディアンと呼ばれる
人々)とか、南米のインディオの人たちを思い描くのであるが、どの民族が先に住んでいたのかという「先住性(indigenousness)」は、先住民族の資格要件の一つにすぎない。ここでは先住か、後住かということは問題ではなく、植民地支配や同化政策が行われていたかが重要なのである。
次に、2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」を見る。「宣言」は前文で、次のように言う。
国民的出自や民族的、文化的差異に基づき民族や個人の優越を説く教義、政策、慣行は人種差別主義であり、科学的に誤り、法的に無効、道義的に非難に値し、社会的に不正義である。
先住民族は自らの政治的、経済的、社会的構造と文化、精神的伝統、歴史、哲学に基づく生得の権利、特に土地、領域、資源に関する権利を尊重すべきである。
本文では、以下のように言う。
先住民族は自己決定(self determine)の権利を有し、生存・安全に対する権利、文化・言語・宗教・歴史などアイデンティティーに対する権利、経済に対する特別措置、土地や領域に対する権利、軍事活動の禁止、文化的遺産に対する知的財産権などが認められる。 この「宣言」によって、琉球・沖縄人は他の日本人と違うことを理由に差別されず、違いが尊重されるべきであって、日本による沖縄への同化政策が否定され、更に、沖縄に米軍基地を建設することは禁止されているのである。 2.琉球・沖縄人(民族)とは 前述の文章に当てはめると、「近代国家(即ち、明治政府)が国民形成(即ち、脱亜入欧、富国強兵)の名のもとに野蛮・未開と見なした民族の土地(即ち、琉球国)を一方的に奪ってこれを併合(即ち、1879年の琉球併合)し、その民族の存在や文化(即ち、針突(ハジチ)やカタカシラなど)を受け入れることなく、さまざまな形の同化主義(即ち、皇民化)を手段としてその集団を植民地支配した結果生じた人々(即ち、ウチナーンチュ)が先住民族と呼ばれうる民族的集団」となる。

パネルディスカッション。
右端がコーディネーターを務める筆者
同様に、先住民族とは、独自の文化や言語を持ち歴史を育んできた民族(即ち、琉球民族)が、近代国家(即ち、明治政府)によって一方的に領土を征服され(即ち、1879年の琉球併合)、言語の禁止(即ち、標準語励行と方言札!)を始めとする同化政策によって一方的に国民として 統合され(即ち、皇民化政策、施政権返還)、構造的な差別(即ち、米軍基地の集中)が継続している民族のことであるから、琉球・沖縄民族は紛れもなく先住民族だと定義づけることができる。
さて2001年、人種差別撤廃委員会は日本政府に対し「在日コリアン、部落民、琉球・沖縄人の人口構成比などの報告を求める勧告」を出し、次のように述べている。
沖縄の住民は、特定の民族的集団として認識されることを求めており、また、現在の島の状況が沖縄の住民に対する差別的行為につながっていると主張している。
2006年には、「ドゥドゥ・ディエン(現代的形態の人種主義・人種差別、外国人嫌悪および関連する不寛容に関する国連特別報告者)による年次報告書」が出され、次のように述べている。
14世紀から沖縄の人々により維持されてきた「琉球王国」は日本政府に征服され、併合された。/沖縄の人々が現在耐え忍んでいる最も深刻な差別は…日本政府が「公益」の名のもとに米軍基地の存在を正当化していることである。
その結果、沖縄の人々のなかには、恒常的な人権侵害に終止符を打つため に沖縄が独立領になることを望む者もいる。
2008年、「国際人権(自由権規約)委員会第5回日本政府報告書審査総括所見」が出された。国際人権規約は世界人権宣言の内容を基礎としてこれを条約化したもので、社会権規約(経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約。国際人権A規約とよぶこともある)と自由権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約。国際人権B規約とよぶこともある)が1966年に国連で採択され、1976年に発効した(日本は1979年に批准)。国際人権(自由権規約)委員会は、自由権規約の実施状況を審査し必要に応じて勧告措置をおこなうが、その「所見」である。
締約国(=日本)は国内法によってアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々を先住民族として明確に認め、彼らの文化遺産及び伝統的生活様式を保護し、促進し、彼らの土地の権利を認めるべきである。締約国はアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々児童が彼らの言語で、あるいは彼らの言語及び文化について教育を受ける適切な機会を提供し、通常の教育課程にアイヌの人々及び琉球・沖縄の人々の文化及び歴史を含めるべきである。
このように国際人権(自由権規約)委員会は、アイヌの人々及び琉球・沖縄の人々は先住民族であると明確に認定した。この「所見」を反映して、日本政府はアイヌ民族を先住民族と認めた(2008年)が、琉球・沖縄人(民族)を未だ先住民族と認めていない。
更に2010年に、人種差別撤廃委員会は日本政府に対する勧告を出した。
委員会は、沖縄の独自性について当然払うべき認識に関する締約国(=日本)の態度を遺憾に思うとともに、沖縄の人びとが被っている根深い差別に懸念を表明する。沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げているとする、人種主義・人種差別に関する特別報告者(ドゥドゥ・ディエンのこと)の分析をさらに繰り返し強調する。委員会は締約国に対し、沖縄の人びとが被っている差別を監視し、彼らの権利を推進し、適切な保護措置・保護政策を確立することを目的に、沖縄の人びととの代表と幅広い協議を行うよう奨励する。
2014年にも人種差別撤廃委員会は「日本政府報告に関する総括所見」を採択した。
委員会は、締約国(=日本)がその見解を見直し、琉球人を先住民族として認めることを検討し、それらの者の権利を保護するための具体的な措置を講じることを勧告する。委員会はまた、締約国が、琉球の権利の促進と保護に関連する問題について、琉球の代表者との協議を向上させることを勧告する。委員会はさらに、締約国が、琉球諸語を消滅の危機から保護するために講じられた措置の実施を迅速化し、琉球民族が自身の言語で教育を受けることを促進し、学校のカリキュラムで使用される教科書のなかにこれらの者の歴史と文化を含めることを勧告する。
同委員会の日本に対する審査は、日本が1995年に人種差別撤廃条約の締約国になって以来、2001年と2010年に次ぎ、2014年で3回目である。

「集い」を報ずる2月27日付
『沖縄タイムス』
以上、見てきたように国連も国際人権(自由権規約)委員会も、琉球・沖縄人(民族)を先住民族と認定しているが、日本政府は、琉球・沖縄人(民族)は先住民族ではなく、日本人であるとの立場を頑なに堅持している。
ところで、2007年3月に照屋寛徳衆院議員は、いつからウチナーンチュは日本国民になったのかとの『質問主意書』を提出した。それに対し、日本政府は「一般的に沖縄の方々については、遅くとも1899年に制定された旧国籍法施行の時から日本国籍を有していたものと承知している」と回答した。日本の徴兵制度は1873年に始まったが、沖縄は遅れて1898年に「徴兵令」が施行された。ところが何と沖縄の民衆は、旧国籍法施行1年前から徴兵されている。日本国民との法的根拠もないウチナーンチュが軍人として徴用されていたのだ。出鱈目も甚だしい。ヤマトゥ(日本)はウチナーンチュをかく扱ってきたわけだ。
以上から、現在、琉球・沖縄人は日本国(民)に組み込まれているが、日本(ヤマトゥ)民族ではなく、先住民族としての琉球・沖縄民族であることが分かるのである。
『沖縄タイムス』2月14日付読者欄『わたしの主張 あなたの意見』に、沖縄市・64歳の親泊善雄さんが「日本と異なる琉球の文化性」と題して投稿している。この文章はウチナーンチュの誇りのみならず、筆者にとっての希望だ。
しりとり遊びの経験は誰にでもあると思う。しりとりのルールは一般的 に「ん」で終わる言葉を使った場合に負けとなる。それは多分「ん」で始まる言葉があっては困るのである。日本の言語は一般的に「ん」始まりの言葉はないと思う。
先日「ンマハラシー」が開催された。これは琉球競馬のことである。「ンマ」は馬。「ハラシー」は走らせるという意味である。ただし日本競馬とは違う。早くゴールした馬が勝つというのではなく、足の運び方や美しい走り方、そして装飾や騎手の衣装なども評価の対象になるという。これらの総合点を競うというルールだと聞いている。
琉球の時代から行われている「ンマハラシー」は琉球民族の伝統文化の 一つである。「ん」始まりの言葉は琉球に多く存在する。言語のみならず日本と琉球の伝統文化の違いは同民族とは言い難いものがある。琉球人は日本人ではない。われわれは誇り高い琉球民族なのだ。
3.自己決定権とは
前述の、1966年に国連で採択された国際人権規約第1条1には次のようにある。
すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民
は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的 発展を自由に追求する。
「すべての人民は、自決の権利を有する」と、ここで言う「人民」とは既存の主権国家の「国民」と同義ではない。国家内における特定集団も「人民」とされ、自己決定権がある。特定集団とはエスニック・アイデンティティや共通の歴史的伝統、文化的同質性、言語的一体性、領域的結び付き等を持ち、集団自身が「自己認識」を持っている集団のことで、先住民族を含む。

デモ行進に出発。先頭にデモ指揮の筆者
琉球・沖縄民族は、ウチナーンチュという自己認識、米軍基地の集中という現在の差別的状況、琉球王国という歴史的経験、固有性の強い伝統芸能や慣習、しまくとぅば(琉球諸語)という言語的一体性、琉球諸島という領域的結び付きがあるからこの概念に当てはまるのだが、一番の問題点は、ILO第169号第一条2項でいう「先住民族又は種族民であるという自己認識は、この条約を適用する集団を決定する基本的な基準とみなされる」という「自己認識」を集団自身(琉球・沖縄民族)がどれほど保持しているかという点にある。
ところで、先住民には少なくとも、以下の4つの権利と権原があるとされる。
(1)集合的権利(Collective rights)
(2)自己決定権(Self-determination)
(3)自己認識/自己アイデンティティ権(Self-identification)
(4)土地権と天然資源に関する固有の権利(Land rights and resources)
(『先住民とは誰か』池田光穂)では、自己決定権とはいかなるものか。
自己決定権には内的側面と外的側面がある。内的側面というのは、既存国家の枠内で、人民が自らの政治的、経済的、社会的、文化的発展を自由に追求することが保障されることを指す。自治権の意味合いに近い。
一方、外的側面というのは、既存国家から独立する権利を指す。内的自決権の行使が著しく阻害される状況は、さまざまな人権が侵害され続ける事態とも捉えられるため、それを救済するための「分離権」ともいえる。
(『沖縄の自己決定権』、琉球新報社・新垣毅編著、高文研)
2015年5月30、31日の両日、琉球新報社と沖縄テレビ放送が実施した県民世論調査では、自己決定権を「大いに広げていくべきだ」と回答した人々が41.8%、「ある程度広げていくべきだ」が46.0%、「広げる必要はあまりない」6.8%、「広げる必要は全くない」2.4%、「分からない」3.0%という結果となり、実に87.8%の人々が自己決定権の拡大を求めていることが分かった。
ところで、この「自己認識」の確立において、最も重要な課題は言語(しまくとぅば)の復権であると筆者は考える。
芥川賞作家の大城立裕は次のように言う。
沖縄は自信を持ったが、米軍基地温存に伴う差別(治外法権)はなくならない。ウチナーンチュが文化的誇りを持つに至った今、沖縄では本当の自立に向けて思想が動き出している。… 問題なのは言葉だ。生き方という意味での文化の基本だ。ウチナーグチは非常に誇らしいと思ってはいるが、実生活では日本語に滅ぼされつつある。(『沖縄の自己決定権』)
5年に一度おこなわれる琉球新報社の県民意識調査が2016年10~11月に実施されたが、しまくとぅばに愛着を持っているとの回答が86%ある。ところが、「聞くことも話すこともできる」は全体で41.2%。50代で46.6%なのに対し、40代で24.9%と急激に減少している。

アメリカ領事館前で抗議のシュプレヒコール
こうした現状に対して、沖縄県 は2006年、「しまくとぅばの日に関する条例」を制定し、9月18日(「く」九、「とぅ」十、「ば」八の語呂合わせ)を「しまくとぅばの日」と決めた。「県内各地域において世代を越えて受け継がれてきたしまくとぅばは、本県文化の基層であり、しまくとぅばを次世代へ継承していくことが重要であることにかんがみ、県民のしまくとぅばに対する関心と理解を深め、もってしまくとぅばの普及の促進を図るため、しまくとぅばの日を設ける」(第1条)という趣旨である。しまくとぅば(琉球諸語)に関して、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、2009年、世界の約2,500言語が消滅危機にあると報告した。その上で琉球諸語を独立した言語(個別言語)として「沖縄語」「国頭語」「宮古語」「奄美語」「八重山語」「与那国語」に分類し、「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当」(『沖縄の「岐路」』、沖縄タイムス社)としている。 当然のことと言うべきなのか、地元2紙の『琉球新報』と『沖縄タイムス』は毎日毎日、日本語(ヤマトゥ言葉)で発刊されている。『沖縄タイムス』は週1回日曜日の紙面に「うちなぁタイムス」欄を設けており、2013年7月7日に創刊号を出して以来、今年2月12日で第187号を迎えている。しまくとぅばを普及させようとしても、「沖縄語」「国頭語」「宮古語」「奄美語」「八重山語」「与那国語」に分類され、お互いに意味が通じないものもあると聞いた。これを例えば「沖縄語」(=首里くとぅば)に統一すれば、そこにはまた新たな問題が惹起するだろう。こうした問題点を克服して、先住民族であるという自己認識の確立を望まないわけにはいかない。