夜間中学その日その日 (492) Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- 白井 善吾
- 2017年5月13日
- 読了時間: 3分
文科省が発した通知文(2)
「夜間中学は法律違反である。夜間中学を早期に廃止しなさい」。これが国や政府、文部省の考え方であり、方針であった。
1966年11月29日、行政管理庁は夜間中学早期廃止勧告をおこなった。
勧告に文部省は次のような回答を行っている。
「学齢者の夜間中学校入学については、義務教育の性格上好ましくないので、文部省としても、厚生省労働省との協力のもとに、就学奨励のための施策に充実等、夜間中学校に入学しなければならない環境そのものをなくすよう努めており、また各都道府県においても長欠対策という面からその解消を図っている(以下略)」(1967.9.18)。
全国に21校、生徒数466名が学んでいるが、「夜間中学校に在学する生徒が減少するよう努めていきたい」(1968.07.27)。このように灘尾文部大臣名で回答を行っている。
にもかかわらず、夜間中学開設運動をはじめとして、関係者の粘り強い取り組みの結果、学齢超過の人たちが学ぶ夜間中学として今日までその歩みを刻んできた。
半世紀を経過するいま、国や文部科学省は夜間中学早期廃止勧告とそれに対する回答書を発したことを忘れたかのように、「・・・義務教育未修了の学齢を経過した者等の就学機会を確保するため,中学校夜間学級が重要な役割を果たしているところ,今後,夜間中学等の設置を促進するためにも,夜間中学等において学齢を経過した者に対して指導を行う際にその実情に応じた特別の教育課程を編成できるよう制度を整備するものです(以下略)」(2017.03.31)通知文を出している。
この間、国の施策により、義務教育未修了になった人たちの夜間中学入学を断り、学びを拒否してきたことを考えたとき、このことに一言も触れず、上のような通知文を出すことはできない。わたくし的には恥ずかしくて街を歩くことはできない。
よくよく考えてみると、全国に31校ある公立夜間中学のうち19校は夜間中学早期廃止勧告を乗越えて開設されてきた。夜間中学の制度は「法」に基づいて生まれたものでなく、市民の「運動」により制度化された教育制度である。

多くの人たちのとりくみの結果、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が成立(2016.12.07)した。夜間中学を開設する根拠となる法律が公布施行された。
夜間中学は公教育制度の中にあって、この枠を超え、公教育制度のもつ矛盾を明らかにし、実践を行ってきた。それを教えたのは学習者である夜間中学生の実態であり、生い立ちであり、発するコトバであった。実態に学び、耳を傾け、試行錯誤を繰り返してきた。これが夜間中学のあゆみであった。
私たちはそんな学びを、次のようにいっている。
「奪い返す文字やコトバは明日からの生活を勝ちとる知恵や武器となるもので、地域を変え社会を変えていく学び」。
夜間中学の学びに参加したジャーナリストは「安らぎと安定感がある」と表現した。「生徒の学びたいという強い意欲とその生徒を尊重している教師の姿勢が響きあって教室を安らぎと安定感のある場所にし、開かれた学校の雰囲気も作っている」「自己を肯定的にとらえられるようになり、潜在的なたくましく生きる力が揺さぶれたのだろう」。
私は文科省初中局長名の、通達「学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の施行について」(2017.03.31)の「夜間中学等において学齢を経過した者に対して指導を行う際にその実情に応じた特別の教育課程を編成できるよう制度を整備するもの」は私たちの夜間中学での実践をこのように記述したものと考えている。