「沖縄通信」第123号(2017年5月)会場を満杯にして「山城博治さんと語る会」 Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- 西浜 楢和
- 2017年6月17日
- 読了時間: 12分
「沖縄通信」第123号(2017年5月)
『5月21日、会場を満杯にして「山城博治さんと語る会」が開かれる』
ぼくも共同代表の一人である「Stop!辺野古新基地建設!大阪アクション」も呼びかけ団体となって、5月21日(日)、大阪弁護士会主催の共謀罪反対集会&デモののち、夜6時より学働館において「山城博治さんを囲む会」が開かれました。立錐の余地もない300名を超えようかと思える参加者があり、ともに保釈された山城博治さんを激励し、辺野古新基地建設を阻止する決意を固める集会となりました。
以下は当日の報告です。山城博治さんと照屋寛徳さんの発言録の文責は筆者の西浜にあります。

まず、山城博治さんの登場です。
立錐の余地もない会場
みなさん!今日は!山城博治です(鳴り止まぬ拍手)。今日はこんな大きな会場で、しかも山城激励と銘打って開催していただき心から感謝申し上げます。5ヶ月の勾留の間、さまざまな激励を賜りました。全国から多くの手紙やはがきが届いておりました。だけど拘置所はそれを全く見せてくれないで、釈放されたその
日の朝、届けられました。山のようなはがきや手紙を見て、ナチブサア(泣き虫)博治は泣きながら、胸が痛むような思いと感激をしながら見ておりましたけど、それを5ヶ月も見せてくれなかった奴らの思いに怒りが沸きました。本当にワジワジしたところでありましたが、でもいただいた激励に心から震えました。感謝しております。

みなさん!辺野古・高江に力を与えて、また私たち仲間にも力をいただいて、心から感謝を申し上げます。奴らに負けてはなりません!!!!(拍手、そうだ!の歓声)
今日は共謀罪に反対する大集会にも参加させてもらいました。本当に嬉しかったです。ともかく現場に立ちたい、戻りたい、そういう思いで一心です。けれども厳しい制限条件が付いていまして、現場に戻さない、戻るナとは言わないけれど、あれに会うナ、これに会うナと。結局帰れない、戻れないとそんな日々が続いて苛立ちを覚えますけれども、その機会を全県・全国を回って、引き続きの沖縄の闘いへの支援、ご理解をお願いし、また私たちには共謀罪、憲法改悪といった共通の課題がありますので、ともに闘うというメッセージを語る機会にもさせていただいております。どういう状況であれ、めげずに団結を固めながら、がんばっていきましょう。必ず奴らを倒すチャンスはあるハズです。安倍を倒すゾ!!!!(拍手、そうだ!の歓声)
しかし大阪のみなさんは余裕がありますね。先ほどテーブルに寄ったら「私たち毎週土曜日、JR大阪駅前で共謀してるからネ」との話をされておりました。本当にそうですよ、私たちは奴らが言う共謀罪という罪をするわけじゃあないんです。平和を造り、原発を止め、差別や抑圧をなくす、そういう“協議”、“共謀”をこれからもしようじゃあないですか。
勾留中、接見させない、人に会わせない、手紙を読まさない、窓はガラスがみんな封印されて外が見えない、虫歯が痛むとペンチで抜くことはするが治療はしない、病気をしているので主治医に診せよと言っても会わさない。一体これは何んやねんと思いました。まるで拷問のようですね。お前さんが素直に白状すればすべて叶えてあげると言わんばっかり。だけど私たちは血のにじむような努力をこの20年来、辺野古の浜で高江の森で続けてきました。たとえ奴らにからだを奪われようが、自由を奪われようが、くじけるわけにはいけない。
高江の森を潰し、辺野古の海を潰し、新しい

基地をつくり、与那国や宮古や石垣にたくさんの自衛隊基地がつくられようとしているが、再び戦争の惨禍に投げ込まれ、あの地獄のような戦争をまた繰り返すのかとの思いが走ると、これはとてもじゃあないけど、彼らに負けるわけにはいかない。何より、共謀の話を一杯しよるんですね。「お前の隣りにいるのは誰だ」「映像に映っているのは誰だ、名前を言え」「大阪から来ているのは分かっている、大阪の誰だ、名前を言え」こんな話ばっかりです。とてもじゃあないけど言えません。「分かりません。あとは黙秘します」としかできません。
今、現場の状況を見ると、現行法では実行犯を中心に捕まえますから、たとえ共謀があっても何らかの実行がなければ共謀できませんが、これからは話をしただけで共謀になってしまうので、隣りにいる人は誰かと言った途端にパクられてしまいます。恐っそろしい時代、恐っそろしい話しです。写真を見せます。こいつは誰かと聞きます。今までは実行がなければ捕まりませんから、たとえ名前を言っても、それから証拠調べが始まって実際の映像もなければ聴取もできないでしょう。
最近になって分かったことですが、共謀をするだけでは罪にはならんと言うけれど、任意取り調べが可能だということです。これ怖いです、みなさん。島袋ふみ子さんが任意取り調べを受けています。「来てちょうだい」と言われている。話ししただろうで任意取り調べされたんじゃあ、みんなやられてしまいます。そんな時代が来ないように、是非共謀罪を止めて、暴走する政府を止めよう。大阪のみなさん、東京のみなさんが精一杯努力をしていることは分かっています。私たちも精一杯力を尽くして、全国の仲間と一緒になってこの無茶苦茶な時代に走る政府の暴走を止めたいと思うところです。是非めげずにがんばっていきましょう。
辺野古の海は埋め立てが始まったと言われていますが、まだ石を積み上げて、石を積み上げたところに護岸を通して中を埋めるんだという話ですが、これ土台無理です。私たち県民や全国の仲間の気持ちを折るためにポーズをしているようですけど、山の上から流れて来る川-比(ひ)謝(じゃ)川という-の水路をどうするのかもまだ決まっていません。埋立てた瞬間、上から川が、水が流れて来る。埋め立て土砂がどんどん流れて行きます。埋め立てできない。稲嶺市長が水利権の管理者です。稲嶺市長がOKしない限り埋め立てなんて出来ない。海もサンゴ礁の深い海で、土砂を埋めればいいというものじゃあなくて、土砂を埋めた瞬間、サンゴ礁が時間が段々経過していくと埋めたはずがまた沈没する。辺野古の海は北が深い空洞になっていて鍾乳洞的になっているんじゃないのか。かなりヤバい海で、それの見直しが必要なそうです。計画の大幅な修正が必要です。翁長知事がいる限り、その修正を認めるハズがない。だから、みなさん土砂の埋め立てはまだいってません。最大の課題は稲嶺市長と翁長知事を取り替える、二人を取り替えないことには最終的に埋め立ては出来ないと思っています。是非そのことを信じて、仲間たちとともに引き続き座り込みを続ける、この中でさらに活路が開ける、その時期を待とうと思っています。ともかく現場に座り込んで、止めるという闘いをこれからも続けてまいります。
どうかみなさん、力を貸してください、全国で止めましょう。そして高江のこれ以上の破壊や訓練による破壊をさせない、そういう運動にもまた励んでいきたい。与那国の自衛隊基地が出来てしまいました。宮古にミサイル基地が出来るそうです。石垣にも自衛隊の駐屯基地が出来るようです。沖縄がさらにまた基地の最前線になります。安倍さん!お願いだから、そういう無茶苦茶止めてくれんか。それ以上やるんだったら、我々も覚悟があるゾ。あなたの首を取るまで私たちは闘う、そういう決意をしながらがんばりたいと思います。
「座り込め ここへ」を歌う
ここで、山城博治さんは自身の作詞である「座り込め ここへ」を歌います。
座り込め ここへ ここへ座り込め
腕組んで ここへ ここへ座り込め
揺さぶられ つぶされた 隊列を立て直す
時は いま
腕組んで ここへ ここへ座り込め
座り込め ここへ ここへ座り込め
歌うたい ここへ ここへ座り込め
揺さぶられ つぶされた 団結を立て直す
時は いま
歌うたい ここへ ここへ座り込め
座り込め ここへ ここへ座り込め
旗かかげ ここへ ここへ座り込め
ひきずられ 倒れても 進むべき道を行く
時は いま
旗かかげ ここへ ここへ座り込め
ここへ 座り込め オッ!
照屋寛徳先生には、私が拘置所にいる間、毎日のように国会の激務を縫いながら来ていただきました。喋るのはほとんど冗談ばっかり。照屋寛徳!さすがだと思いました。裁判の話、堅い話、ほとんどしません。病気で入院中もそうでしたが、とにかくしなやかに、したたかに生きる、笑いが必要です。心が折れないために心しなやかにある、これが必要なんでしょう。
どうぞ、みなさん、厳しい時代ではありますが、しなやかで、緩やかで結構ですが、持続できる運動、持続する魂、くじけない闘いをつくって行きましょう。ありがとうございました。感謝申し上げます(鳴り止まぬ拍手)。

続いて、弁護士であり衆議院議員である照屋寛徳さんが挨拶に立ちました。
照屋寛徳衆議院議員
ウチナーからやってまいりました“土人”であります。高江・辺野古で闘った私たちウチナーンチュに、事もあろうに大阪府警からやって来た機動隊員が「おい、くそ!土人!シナ人!」と言った。ウチナーンチュを侮辱し、差別する暴言であります。しかし“土人”と言われて「いや、沖縄県民は“土人”ではない、日本人だ」と、こう言ったら闘いは駄目なんだ。今日は大阪のみなさん、兵庫沖縄県人会のみなさんも来ていますが、かつて勧業博覧会(筆者注:1903年に起こった第5回勧業博覧会での人類館事件のこと)で、アイヌ、朝鮮、琉球人を展示物にした、そういう中から当時の沖縄のみなさんは日本人になろうとがんばった。その結果があの悲惨な20万余の命を失った沖縄戦であります。だから私も山城博治も“土人”でいい。
さて、博治くんから大変熱のこもった挨拶がありました。唄も歌ってましたネ。最近は、唄は照屋寛徳よりは少しは上手になった(笑)。博治が逮捕されて、最初は名護署に留置をされました。名護署から昨年12月26日に拘置所に移管され、私は彼と足しげく接見する中で、一番きつかったのは名護署におる12月頃だったと思います。もう別件逮捕、別件逮捕で勾留が続いていると、非常に精神的にもきつかったろう、肉体的にも辛かったろうと思います。そして、年末に名護署で接見した時に「博治、覚悟せ!今度の正月は拘置所で迎えることになるから。聞くところによると、正月にはおせち料理もみかん一個も出るらしいヨ、がんばれ」と言ったら、本人は怪訝そうな顔をしておりました。1月4日に拘置所で今年初めて接見した時に「博治、どうだ、ぼくが言った通りおせち料理とみかん一個が出たか?」と聞くと、「出ました、出ました」と。
この寒い折に靴下を差し入れさせないとか、沖縄でも旧正月の頃が非常に寒い、本人が寒いから、それならホッカイロを差し入れしようと、博治の連れ合いにお願いをしました。「駄目です」と。「どうして駄目なのか?」「例がない」「例がないからと言って被疑者を寒がらしていいのか」と、それで博治の連れ合いが1週間-1週間ですよ-、拘置所と激しいやり合いをして何とかホッカイロが入るようになった。このようにして、他の人たちには接見禁止はついてない、博治くんだけが家族とも友人とも会えない、兄弟とも会えない、弁護士以外は会えない、そういう状態が続きました。152日間の山城博治の長期異常拘禁は、沖縄で時の政権、権力に抗って生きていくとはこういうことなのだ、このように私なりに理解をしました。
ところが、あの挨拶を聞いた通り、困ったことに博治くんは私の高等学校の後輩でございますけれども、彼は非常に心の襞(ひだ)が細かい、だから彼の演説は非常に味がある、人間的で。あの機動隊員から“土人”と言われても、山城博治が闘争現場で機動隊員の人格を損ねるような言葉を吐いたことは一度もありません。今日、博治くんが言ったように、保釈はされましたけども非常に厳しい保釈制限条件がついております。それで私も今日はついて来るような形になりました。
みなさん!最後に申し上げたいことは、安倍政権のもとで2020年改憲憲法を施行すると、こういうことを言っております。私は安倍改憲というのは立憲主義を破壊し、憲法の平和主義を破壊し、それどころか人間を破壊する内容だろうと思っております。私たちは勇気を持って、顔を上げて共謀罪廃案まで、そして安倍改憲を許さず、ともに闘ってまいりましょう。

そして今、キャンプ・シュワブのゲート前、辺野古・大浦湾の海上では毎日のように座り込み闘争、カヌー隊による抗議行動が展開されております。どうかお集まりのみなさん!ウチナーに対する同情ではなくて、私たちはアメリカ海兵隊が戦争するためだけの巨大な新基地を絶対に作らさない、こういう決意を持って私たちの闘い、運動に真の自立、連帯を寄せてくださいますように心からお願いを申しあげます。今日は本当にありがとうございました。
山城博治さん(右)と筆者(左)
「Stop!辺野古新基地建設!大阪アクション」より、ぼくが連帯のアピールをおこないました。ぼくは次のような発言を山城博治さんと会場のみなさんに贈りました。
ぼくが信用を置いている数少ない研究者・学者に早稲田大学名誉教授の鹿野政直さんがいます。最近出版された『あま世へ』の中で、彼は論考『沖縄史の日本史からの自立』で次のように書いていま
す。

沖縄の歴史と日本の歴史とは、別だと考えるほうがいい。そう思うようになりました。
で、わたしなりに、沖縄の近現代史を時期区分してみました。すると、つぎのように三期に区分すれば、沖縄のい(、)ま(、)の由来をもっとも明確に理解できるのではないかと思いました。すなわち、
一、「琉球処分」に始まる戦前・戦中の沖縄県時代(1879年~1945年)
二、沖縄戦の時期(1945年3月~9月頃)*短いため「時期」としてみまし
た 山城博治さん(右)と川口真由美さん(左)
三、米軍占領下の琉球時代(1945年~72年)+復帰後の再度の沖縄県時代(1972年~現在)*両者は、本質的に切断されていず、連続しているため
という三期です。そういう三つの歴史的経験が積み重なっているのに、ゆ
きついたともいえます。それぞれの時代を特徴づけると、
一は、「最後尾の県」とされた時代
二は、「捨て石」(ないし「防波堤」)とされた時期
三は、「太平洋の要石」(+「捨て石」)とされた(されている)時代
となります。
こういう特徴づけを、本土の人間がしたということで、侮辱されたと感 じられる方が多いと思います。… 沖縄のい(、)ま(、)が、以上の三期につづく、いや、より正確にいえば、それを転回させるあらたな四期の出発期だ、と思わずにはいられません。繋いでいえば、四は、「されて」からの脱却へということになります。
鹿野政直さんはこのように述べています。
お集まりのみなさん!いま沖縄は「されて」からの脱却の時期に入りました。これをこじ開けて来たのが今日ここに居る山城博治さんとウチナーンチュの高江・辺野古の闘いです。この闘いに私たちヤマトンチュもともに歩んでいこうではありませんか?この闘いの中にヤマトンチュの未来もかかっているのです。ともに闘いましょう。
それぞれの団体、個人からのアピールが終わって、川口真由美さんが登場します。迫力ある沖縄しまうたに山城博治さんも加わり、会場は最高に盛り上が
りました。

会場、立ち上がっての手拍子