top of page
検索

日本の人権運動と映画『グラン・トリノ』 Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • 北口学
  • 2017年6月23日
  • 読了時間: 3分

 昨今の日本の人権運動、反差別のアクションなどの流れを自らもヘイトカウンターなどに参加しながら強く思うことがある。遅きに失した感もあるがクリント・イーストウッドの2008年作品『グラン・トリノ』という一本の作品は見ておいた方がいいと強く思います。  80年代にはサンフランシスとやLAの公民権運動やアジア系移民、公民権運動などの調査、イタリアのトリエステの精神医療闘争などを学ぶために世界一周や各地を訪問し続けていました。自立生活運動やアメリカのマイノリティに対するアファーマティブ・アクション、柏木さんが運営してたオンボロ事務所で、まだNGOだったアジア太平洋情報センターの紹介で、脊損の車椅子の方の案内でアジア系移民の共同作業所やLAの多様な場所、そしてハーベィ・ミルクが殺害されたカストロ・ストリートを一人で目に涙をためながら歩き回った30歳になったばかりの自分を思い出しています。当時は大阪府障害者総合福祉センターの研究員として故 楠敏雄さんらから学びながら、牧口一二さんらとノーマライゼーション研究会など。  在特会やヘイトが顕在化する今日、そして沖縄差別が強化されるネット時代、あの頃との大きな変化を日本国内で実感しています。そして本家のアメリカも良心的な部分では80年代から大きな変質と「サラダ・ボウル」と言われる多民族国家への良心的意識と運動の変化がこの作品に顕著に見られると感じました。ある意味マイノリティの権利擁護運動の重要性は今日、飛躍的にその重要性を増している日本です。しかし旧来型の限られた組織や人権団体の人権運動スタイルが大きな変化、多様性、改善を求められている時代であると痛感する日々でもあります。人権運動の多様化と豊かさが切実に求められている現在日本社会に示唆に富む一本の作品ですね。  もちろん現行の反差別運動への批判のつもりは一切ありません。しかし、豊かさ、広がり、戦術的多様性が今こそ求められていると痛切に感じます。  私は私の守備範囲と得意技、個性、研究者としての側面をフル稼働しながら、現場に根を張り、隣人である多様な国籍の滞日外国人の日常に寄り添いできる事で走り回る日々が続いています。貧乏暇無しです。

 80年代はアメリカのADA法や公民権運動、アファーマティブ・アクション、精神医療闘争が日本に導入された時期でした。今は米国でも大きなバック・クラッシュを経て多様で広範な市民レベルの多文化共生や反差別運動が展開されています。私の個人的感慨ですが、日本の人権運動も10年以上欧米から学べと80年代、90年代進んできたわけですが、40代以降の若手の人権問題に関わる人々に最大限の敬意を表しながらも、オルタナティブ、新しい運動の誕生や、発展を心から願う、そんな気持ちを強く持った『グラン・トリノ』という一本の作品はおすすめです。80年代に欧米の現場やアジア系移民や性的少数者、多様な運動を世界中で若い時期に吸収してきた私だから感じる一風理解していただけない私の個的な感慨かもしれませんが。  大阪というローカルで対日外国人の人々と毎日、実生活レベルで付き合う日々を送る珍しい日本人の私ですし、半分以上、日常的に付き合うのは滞日外国人の友人たち、全く日本人と付き合ったり会話もしない日も多々の変わった私ですしね。ただ、日本も大きなターニング・ポイントを迎えていることは強く思います。

イーストウッド、いい監督、素敵に大活躍、重要な作品を世に出す彼はすごいですね。日本では劇映画に限って言えば巨匠 柳町光男監督くらいしか思いつかないな、急には。  先月、柳町監督とアポを取ってカフェでお会いしたばかり。お互いの成長や25年ぶりの飲み屋での柳町さんとのサシの対話は嬉しかったなぁ。

 
 
 
Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page