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夜間中学その日その日 (503) Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • 白井善吾
  • 2017年7月29日
  • 読了時間: 5分

 解題 大多和雅恵絵著「戦後夜間中学校の歴史」六花出版 2017年

 夜間中学関係者は一読しておきたい上記の著書が出版された。本の副題が「学齢超過者の教育を受ける権利をめぐって」。 序章、1部・夜間中学校の制度をめぐる戦後史、2部・1970年代における夜間中学校の開設。全8章、370ページにおよぶ大著である。

 開設当初は学齢生徒を対象としていた夜間中学が「1970年代には学齢超過者を対象とする教育機関に変容した。義務教育制度の中でどのような矛盾や実態を孕(はら)みながら成立したか」「夜間中学校の存在を通し義務教育制度の問題を明らかにする」と著者は課題を設定している。

 夜間中学が成立することの法制度的矛盾について「学校教育法では高校・大学では夜間に授業を行う課程や学部を置くことを認めている。しかし、小中学校ではそれを認めていない。学校教育法施行規則46条の『授業時刻は学校長がこれを定める』との規定を根拠に夜間に二部授業を行っている。上位の法規に夜間課程を認めていないのに、下位法規の解釈においてそれを認める、法の拡大解釈をしなければ現実に憲法の教育理念を貫徹することができない」と田中勝文の論を引用、田中の指摘を肯定している(70頁)。

 二部授業として、夜間中学の位置づけができた経緯について、次のように書いている。内藤誉三郎(1949年当時文部省庶務課長)が神戸市教育委員会を訪問し当時の木戸只一教育長に面談、「神戸市はどのような法律を適用して夜間中学校を創設したのか」と質問した。木戸は「夜間中学校は中学校の二部授業としてやっている」との返答に「内藤さんは手を叩いて了承してくれた」と紹介している(74頁)。

 著者は文部省の夜間中学に対する姿勢を次のように紹介している。夜間中学校の開設は「義務教育の建前からいえば当然違反」とし、対外的には反対の意向を示した。法制度的には「正規に認めることは困難」だが、「趣旨については一応認められる」との消極的な対応で1980年代まで一貫している(101頁)。

 著者は夜間中学校に関する行政監察についても詳しく議論を行っている。「実態としては『黙認』していた夜間中学校に対し他省庁より『義務教育の夜間制は変則で学校教育法にも認められない臨時的措置』という法制度的矛盾を突きつけられたことのインパクトは相当大きかったのではないか」「夜間中学校の問題がいわゆる『表ざた』になったことで文部省は夜間中学校の実態に目を向けざるを得ない状況となった」「これを機に夜間中学校に在籍する学齢超過者の存在が浮かび上がることとなった」。

 著者は国会における夜間中学校に関する政府答弁の分析を章を起こしてすすめている。今でこそ、国会議事録にアクセスして「夜間学級」「夜間中学」で検索をかければ、パソコンの画面に議事録内容を表示さすことができる。以前は図書館で国会議事録を読み込みながら分析をすすめてきたことが懐かしく思い浮かぶ。これまで答弁がどのように変化してきたかを時系列で押さえることは難しかった。今回著者は1950年代から1980年代をⅠ期「学齢生徒への対策の重視」、Ⅱ期「学齢超過者問題の浮上」、Ⅲ期「『生涯教育』的観点から」、Ⅳ期「教育の『権利』と『義務』のはざまで」に分け、夜間中学に関する文部省の方針の変化を図式化している(137頁)。その中で、文部省の方針は1960年代後半から80年代にかけて「否定から肯定へかじ取りが大きく変化したとみられる」と結論づけている。

 国会答弁の分析の結果として著者は次のように書いている。学齢超過者の『義務教育』をめぐる文部省の解釈として「学齢児童生徒に対しては自治体や国はその就学に責任を負うが、学齢超過者に対しては自治体も国も『義務』はない。しかし、社会生活を送る上で義務教育程度の知識は必要であり、社会秩序の維持のためにも義務教育に相当する教育を行うことは『望ましい』ことであるので、自治体あるいは国も『お助けして』施策を講じている」と書いている(164頁)。

 1970年代の夜間中学校の開設運動を取り上げた第2部では川崎市における開設運動と東京の夜間中学校における日本語学級の開設過程を扱っている。夜間中学早期廃止勧告を“夜間中学の死刑宣告”だとして、未修了者の学習権保障を求めて開設運動を展開、19校の公立夜間中学開設につながる増設運動については、次の課題として、概略の記述になっている。

 1960年代後半から髙野雅夫を中心に始められた夜間中学開設運動について、「憲法26条の教育を受ける権利に、第25条の生存権の思想が加わり、その理念が構築されたことに特徴がある。『生きること』と『学ぶこと』を密接に結びつけ、人びとの生きるための基盤の確保を『学校教育』に求めたものであったと捉えることができる」と述べている(223頁)。

 終章では触れることのできなかった、今後への課題を記述している。その中に夜間中学運動に日教組の動きが明らかにされていないとの指摘がある。

 読み終えた今、示唆に富む論述と指摘を、今夜間中学現場で直接関わっている人たちだけでなく、過去に関わった人たちも加わり、活発な議論を行い、「夜間中学の明日」に活かすこととが重要ではないか。

憲法施行70年を迎えた今、70年間、夜間中学を冷遇視し続けた国は180度その対応を変更した。この転換をどのように私たちは分析するのか?そしてどんな立ち位置をとるか?この大著はその視座を示しているように思う。

 
 
 
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