夜間中学その日その日 (504) Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- 白井善吾
- 2017年8月13日
- 読了時間: 3分
学習者と学びを創っていくこと
湿気を大量に含んだ重い空気がよどみ、肌から噴き出た汗がしたたり落ちるようになる。仕方なく曲げた腰を伸し、首に巻いたタオルで汗を拭き取るとしばし、清涼感が戻る。腰をおろし、水田の畦の草取りを始めると、数分で汗が噴き出てくる。
子どもの頃、この時期の最大の農作業は田の草取りである。ヒエとイネの区別を教えてもらいヒエ取り作業である。イネ以上に株を張り、抜き取る作業は、きつい仕事である。草取りを終えると、追い肥を施す。イネの株と株の間に豆炭状の肥料の塊を足で泥の中に押し込んでいく。黙々と作業を続けるのだ。ヒエ株が残っていると、せっかくの肥料がイネにはいかず、ヒエにとられてしまう。こんな作業を経て、水田は日に日にその様子を変えていく。一晩で様子が一変している。葉の先に透き通った水滴を付け、日光を反射している。
祖父が、祈祷を受けてきたお札が水口(水田に入れる水の入口)に竹に挟んで突き立てられている。日照りや虫害を受けることなく豊作でありますようにとの祈祷済みのお札である。
7月の終わり頃、1週間ほど、田の水を落とし、水田に水を入れない。中干し(なかぼし)作業を行う。この頃の子どもの楽しみは、普段は水が流れている水路が干上がり、所々の水たまりにナマズ、フナ、モロコが集まってきている。
そんな場所は子ども仲間では知れ渡り、だれよりも早くその場所に行くことが重要で、農作業はほったらかし、その場所を何度も見に行くのだ。待ちきれなく、水路の上手と下手に土手をつくり、バケツでその間の水をかき出す。そのうち子ども仲間も加わり、交代で水のかき出しが急ピッチで進む。蛇にかまれないかとおそるおそる、石垣の穴に手を差し込むと手にぬるっとした感触や、ぶるぶると震える感触が伝わってきた。・・・
捕った魚を子ども同士で公平に分け、家に持ち帰った。農作業をそっちのけにして遊んできた後ろめたさはあったが、母親は、文句は言わなかったどころか喜んでくれた。たらいに水を張って、持ち帰った魚を放し、泥を吐かした後、母親はその料理に取りかかった。その日の食膳にのぼり、家族で食べたのは勿論である。
「先生、株の分けつは進んでいますか?」、一人の夜間中学生のこの発言をきっかけに、その日の理科の時間は内容が大幅に変ってしまった。イネ一株は何本になりましたか?遠い昔、農作業を経験してきた夜間中学生は意外と多い。この時期、分けつを繰り返し、日増しに株を太くしていく稲の成長を、汗が噴き出る頃の農作業を想い出し、「しっかり農作業をやっているか?」「怠けていないか?」と激励の意味も込め、「ひと株は何本になりましたか?」と質問があった。
一人ひとりの語りを大切にして、みんながそれを聞く、その発言を受けて次の人が語りを重ねていくのだ。私も上に書いた経験を語った。
「私の息子も同じようにしていました。捕った魚を持って帰ってきてくれた時はどれだけ助かったか。貧しい生活では、毎日のやりくりにどれだけ苦労したことか。そんな時、お母さんも喜ばれたと思います」
次の時間、イネをひと株、根から引き起こして土のついたまま教室に持ち込んだ。本数を数えるのはもちろん、土壌の肥え具合、根の色などをみんなで観察した。「先生、百姓、怠けてますなぁ」厳しい評価である。そして次のように話した。
「落ち葉をかき集め、積み上げ、切り返しを繰り返して堆肥を作り、十分発酵が進んだ堆肥を入れ、土壌づくりが大切です。化成肥料にばかり頼っていると、だんだん土が死んでいきます。人間も自然の一員ですから。自分だけええめをしていたら、しっぺ返しがきますよ」。

学習者と学びを創っていく、そんな実践ができるところが夜間中学だ。