夜間中学その日その日 (515) Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- アリ通信編集委員会
- 2017年10月22日
- 読了時間: 3分
特別展「夜間中学生展」 (2)
壁面中段に3人の夜間中学生「私の手」江草恵子(17)、「私の家族」(14)、「夜間中学」(14)の詩が掲示されている。
『私の手は/17才の細く白い手ではない/30代の手みたいに/太く短くふしくれだっている。/そしてみるからにごっつい。/わたしはなぜ/こんな手にならなければ/いけなかったのだろう。/だれが/わたしの17才の手を/こんな手にしてしまったのだろうか。/私は/一日中ペンと紙を相手に勉強がしたい/そしてもう一度/細く白い17才の私の/私の手にしておくれ』。
この詩の前で、足を止める人が多いことに気づいた。入口の高齢の夜間中学生の顔写真が来室者を迎え、「生きる」の章では10代後半の顔写真に変る。この詩を書いた人たちも、50年後のいま、60代から70代になっている。来館した夜間中学卒業生も、自分たちの人生と重なる部分が多かったのか、当時、金の卵と呼ばれ、集団就職したのは“表”。この網にもかからない、学校からの紹介もなく、ひとり故郷を離れ、大阪の小さな町工場で働き始めた時のことをこの写真の前で話した。中学から職業安定所を通して、労働条件、定時制高校にも通学できる条件を備えた職場に就職先をきめ、地方から都市部へ出てくるのが“表”。この網にもかからず、九州からひとり、大阪で働き始めた。後に夜間中学で学ぶことができたが、夜間中学のあることも知らないひとはまだまだたくさんいると話した。
大阪市内のある中学校は、この日校外学習、博物館を見学した。グループで特別展示室を訪れ、この展示の前を通り過ぎ、証言映画「夜間中学生」をビデオで流している、映像コーナーに向かおうとした。その足を止めたのは髙野さんの語りである。この3人はわたしが卒業した学校の夜間中学生です。17才とみなさんと同じ14才です。昼働いて夜、学んでいます。たった3行の詩でたくさんのことを伝えています。『私の兄/無口でおとなしい兄/その兄が家出してしまった』。そして最後の詩は、書いた本人は知らないんだけれど、たいへん有名な詩です。『夜間中学は何であるのか/どうやってつくったのか/げんいんは/だれがつくったか/ぼくは知りたい』。優しく語りかけた。一団の中学生は、うなづきながら話を聞いていた。
さすが、いまの子ども、部屋を出て行く際、ノートを取り出し髙野さんにサインを求めた。髙野さんは求めに応じ、気軽にサインした。記念冊子にもサインをし、子どもたちに進呈した。

この日のアンケートには次のように記されていた。
中学校の教師をしています。「学ぶ」と言うことの意味、原点を子どもたちにあらためて伝えたくて、来年、殿馬場夜中(夜間中学)の訪問を考えています。そんな中で、若い先生にも夜中のことを知ってもらいたくて、今日来ました。入ってすぐの「私の手」「私の家族」の詩、グサッときました。ありがとうございます。
子どもたちはどのように受け取ったのだろう?
一つの出会いが次の展開を生む。その日、普段は通らないところを通って家に帰る時、手にした一枚のビラで私は夜間中学に入学したんです。このように語る夜間中学生は多い。「一枚のビラのおかげで入学できた」(夜間中学いろは)。