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夜間中学その日その日 (533) Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • アリ通信編集委員会
  • 2017年12月2日
  • 読了時間: 2分

特別展「夜間中学生展11.25」(16)

 「博物館の展示なんてやったことがない、素人が、ようここまで、やりはりましたなぁ」。忙しい毎日を送られている方であるが、早々にお越しいただいた時も展示の内容について、特に話はなく時間が過ぎた。電話口で開口一番このように言って、「訪れた知人も同じ感想を言っていた。気を遣うとったら何もできまへん。気を遣う必要はない、どんどんやりまひょ」。そんな風にもいった。「大阪人権博物館で『夜間中学生展』ができる。夢みたいな話や。これまでもできたらなぁと思とったけど、できるんですね」そのように率直に言って激励してくれた人もあった。

 髙野さんも「展覧会の名前が『夜間中学』だったら、俺は協力しなかった」と言っている(ハフポスト日本版 2017.11.25)が、『夜間中学』展でなく、『夜間中学生』展として組み立てを、人権博物館と夜間中学生歴史砦が主催することになった6月以降、その組み立てと、準備に激論を重ねた。何度も概念砕きをおこない、残り時間を見ながら作業を進めた。各夜間中学から出展もあり、最終組み立てが確定したのは1週間前であった。しかしこの展示をおこなうのであれば、このことに触れないと意味がないのではとか、今でも反省点は多い。

 しかし来館者が、展示と語らいをされ、来館者同士の会話を聞くと、特別展が実施できたこと本当に良かったと考えている。

 この日も多数の夜間中学生の来館があった。夜間中学の教員と話し込みをしながら時間をかけ展示を見て行かれていた。後でその教員に伺うと、展示のキャプションには年号が書いてある。髙野さんの行動と自分の人生を重ね合わせ、夜間中学にたどり着くまでの自分史を話されているのをずっと聞いていましたとのこと。

 この日、3度目の来館になる卒業生は近畿夜間中学校生徒会連合会が今もとりくんでいる就学援助補食給食の大阪府補助復活を求める闘いに参加し、夜間中学で学ぶことの意味を自らに問いかけながらとりくんだことを展示の写真を見ながら次のように語った。連合生徒会が一つになってとりくむと、みんなが元気になっていくのがわかってうれしかったと。またきます。がんばって下さいと差し入れがあった。包みの中は桜餅であった。

 就学援助補食給食の大阪府補助復活を求める闘いは夜間中学生が立ち上がり、行動を起こす。そして教員が支える。次の場面では夜間中学生が教員を支える。授業中のやりとりも、そのことが実感できる展開であった。

 この特別展「夜間中学生」展は夜間中学生がとりくんだ“一つの闘い”ではないだろうか。

 
 
 
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